2005-08-31 09:51:42

<苦とは>

テーマ:哲学

自分のためだけに世界が存在しているわけではないという認識は、うまくいかない現実を受け入れるためには必要な見解であるかもしれない。

しかしながら、この見識は良くも悪くも、自分というものの存在意義に目を向けざるを得なくさせる。
世界はどの程度、自分を必要としているのかと。


確かに、うまくいかない現実を受け容れられれば生きることに苦を感じずにすむ一方、世間から必要とされない自分を悟ってしまえば、死ぬことに対する抵抗をすら、感じなくなってしまうかもしれない。


よって、世界については、それを感じるヒトの数だけ世界があるという視座も必要であろう。
私の感じる世界とは、所詮、私だけの世界に過ぎないという考え方だ。
我々が感じる世界を変えることができるのは、他の誰でもない、己自身であるという意味である。
我々の主観を超えて世界が存在するわけではないからだ。


我々の多くは、苦の原因を己の外側の要因に求めようとする。
けれども、己の内面のありかたに思いが及ぶようになってはじめて、苦は苦でなくなるものなのかもしれない。
視座を支配するのは己自身なのだ。

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2005-08-14 09:50:29

<心の強さ>

テーマ:ブログ

何をもって心の強さとするのか、いや、そもそも心とは何なのか。
考えると奥が深い。

心のあらわす様々な現象の中には、医学的常識をはるかに超えた病の快癒のように、奇跡と呼ばれるものが含まれている。
そうした症例の多くで、ポジティブなビジョンを維持し続けることのできる心の特性が指摘されてもいる。
ネガティブなビジョンに打ち勝つ心の力。
それを信念と呼ぶ人もいるだろう。


強固な信念は科学の常識さえ容易く超えてしまうという事実を目の当たりにすると、世を支配するのは理知のみではないという真理に思い至る。

心という論理を超えた存在が宿す信念こそ、未来の趨勢を決定する鍵であるのかもしれない。


では、心を磨くとはどういうことをいうのだろう。

心の鍛錬によって強固な信念をい持つことは心を硬化させることを意味するものではなく、心の柔軟さを放棄することでは決してない。


五重塔にみられる木造建築がなぜ強靭なのかといえば、それは「しなり」に負うという。
硬すぎればポキリと折れてしまうものでも、柳のようにしなることで強度を増す。
五重塔は構造上、そうしたしなりによって地震や強風から守られており、これは現代建築物にも応用され、高層ビルでさえそのように造られているのだそうだ。

柔らかさと硬さとの協調が本物の強さを生み出す。

これは心も同じではないだろうか。

心の強さとは、強固な信念と、臨機応変、状況に即応できる柔軟さとの、ほどよき調和にあるのかもしれない。

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2005-08-10 12:41:46

<心技体>

テーマ:哲学
心技体とはよくいったもので、スポーツを極める上では、これらの要素を個別に認識して各々に気を配る必要がある。
これらのバランスが競技能力に反映すると考えられるからだ。
試合形式の練習のみでは競技力を向上させる効果に乏しいため、技術を磨くには的を絞った反復練習が必要であるし、肉体のスケールを向上させる場合でも同じように的を絞る必要がある。
例えば特定部位の筋力増強を図ったり、呼吸器系あるいは循環器系の機能向上を図ったりという具合に、目的に応じてトレーニングした方がより効果的な場合がある。

往々にして、技術の吸収に貪欲なタイプ、技におぼれるタイプは肉体のスケールアップ、即ち基本的な運動機能の向上を意図したトレーニングが疎かになりがちである。
確かに、技術練習でもある程度肉体はつくられるが、体作りに的を絞ったトレーニングには決して及ばない。
その一方、体作りにばかり執心して技術練習が疎かになれば、やはり競技力の向上は望めない。
つまり、技と体はそれぞれに目的と手段を選んでこれらを磨くのが効率がよいといえる。

では、心についてはこれをいかに鍛えればよいのだろう。
ブルペンピッチャーという言葉がある。ブルペンでは勢いのある投球ができるのに、マウンドに上がると萎縮して実力を発揮できない投手のことだ。
ここでいう実力とは、潜在する技と体の能力を意味する。
しかし、実力とは本来心を含めて評価されねばならない。
技と体に恵まれていても、これを使いこなす心が磨かれなければ、ブルペンピッチャーから抜け出ることはかなうまい。

客観的に評価しやすい他の能力に比べ、心については実際に勝つか負けるかの瀬戸際まで追い込まれねば、それが磨かれたのかどうかを知ることができない。
心の弱さというものは、真剣勝負においてこそ、余すことなく暴き出されてしまう場合が多いからだ。些細なことでいらだつ心の弱さが命取りになる。
何度壁を乗り越えたと思っていても、試合ごとにその認識は覆されることになり、己の心の弱さと向き合わねばならない羽目になる。
競技に没頭すればするほど求道者としての側面を帯びてしまうのを避けられなくなってくる。

結局、心については、技と体を黙々と鍛える過程も含めた日常生活のすべて、人生そのものが鍛錬の機会である。
つまり、競技能力に関しては選手の人間力が色濃く反映する側面を持ちうるということだ。
大げさにいえば、競技に取り組むのは人生に取り組むのと差がないということなのかもしれない。
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2005-08-02 07:35:40

<挨拶>

テーマ:ブログ


開業をきっかけにして、人前で挨拶する機会が増えてきた。

しかし、この挨拶というのがどうも私は苦手である。

挨拶をきいてくださる方々の立場に立つと、短ければ短いほど良いのではないかという気になってしまい、何を話してよいかわからなくなる。

私自身、長ったらしい挨拶をきかされるのは苦手だからだ。


しかし、短くすればしたで、ついつい労をとってくださった方々へのねぎらいのコトバがなおざりになってしまい、長くしようとすれば、それはそれでまとまりがなくなってしまう。

バランスが難しいのだ。

考えれば考えるほど何を話してよいかわからなくなってしまうので、最近では、よくないと知りつつも、酒を飲んだ勢いにまかせることが多くなってきている。

いわば酒席での思いつきにまかせているわけだが、これは突然あらぬ本音が飛び出してしまうリスクを背負うことになるし、まとまりを損なう危険も高い。

かといって、原稿をつくっても、緊張でゲシュタルト崩壊を起こしてしまう私に、その文面を人前で忠実に再現することなど至難のわざである。

どうしたものやら。


私が尊敬するご高齢の某名誉教授は、長すぎず、短すぎず、軽いユーモアを交えて挨拶する様が実に見事である。年季のなせるわざなのか、才能なのか、いずれにしても、いつかあんな風に挨拶できるようになりたいものだ。




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