2005-07-25 05:51:14

<万が一>

テーマ:ブログ
いきなり暗い話題でなんだが、昨日、生まれてはじめて親戚でない方のお通夜に行ってきた。
付き合いは浅かったが、ご縁のあるお方だった。

死因は交通事故。
深夜、センターラインを超えて、対向車線を走っていた軽四自動車に衝突、相手の車に乗っていた若い男女二人を道連れにしての他界であった。
自分だけならまだしも、誰かを巻き添えにしてこの世を去るのはさぞかし無念であったに違いない。
なぜなら、故人はこれまでヒト助けを生業としていたからだ。
私の住まいからほど近い場所で整形外科を開業なさっておられた先輩医師であった。
開業して数年、患者も増え、これからという矢先での出来事。

残された者たちにとっては、決してくつがえることのない現実が待ち構えている。
故人を失う以前と何ら変わらぬ周囲の日常に違和感がつきまとい、なくしたモノの大きさをゆっくりと味わうことになるのだろう。

実は、私も来月に開業を控え、あわただしく準備を進めている。
銀行からお金を借りるとき、万が一の場合に備え、残される妻や子のためにと団信加入を勧められた。
万が一という確率は、一体どれくらいのことをいうのだろうか。。。
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2005-07-19 00:58:02

<正義と葛藤>

テーマ:哲学

何かや誰かを正そうとしても、相手に挑発されて気分を荒らされるだけである。

荒れた気分で相手を正そうとしても、うまくいくものでは決してない。

荒れた気分は相手の気分をかき乱し、その相手の気分によって、さらに己が気分を荒らされることになるからだ。

怒気は怒気をとめどなく増幅させる。


理屈は、それを解するものにしか効力を持たない。

理屈のための理屈を論じる者に道理はない。

自己の理不尽さにまるで無頓着な相手に説くことのできる道理など存在しないのだ。


そもそも、何かや誰かを正そうとすることが独善に他ならない。

自分以外の存在を正すことなど、誰にもできない。

正しいという判断は、自分のものでしかないからだ。


とすれば、正義の鉈を振りかざすべき相手とは、己が自身である。

それを悟れぬ限り、争いの輪廻から抜け出ることはかなうまい。

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2005-07-10 09:55:33

<スターウォーズ・エピソード3>

テーマ:映画
スターウォーズ・エピソード3を観た。小学生の頃、第一作目にあたるエピソード4を劇場で観てから、長い間ファンを続けていた私にとっては、至福のひとときであった。
そして、作品は期待を裏切らぬ内容だった。
ヒトの葛藤を描くのは、ウケル作品をつくるためには欠かせぬ条件であると私は思う。
なぜなら、ヒトは誰しも葛藤を抱え込んだ存在であり、劇中の葛藤がわが身の葛藤におきかえられることで深い感動を味わうことができるからだ。
逆にいえば、どんなに手の込んだ作品も、葛藤がそこになければヒトは現実感を味わうことができないことだろう。絶対善や絶対悪のみが描かれるなら、ヒトはそこに感情移入することはできまい。なぜなら、ヒトは善でもなければ悪でもないからだ。

本作品は、主人公の愛とエゴとの葛藤の末、エゴが勝ることでもたらされた悲劇である。
愛とエゴとの違い、愛が執着や偏愛に陥ることで悲劇をもたらす構図が余すことなく描かれていた。
誠の愛に依拠した行いのみが正義に適うという真理。愛に潜んだエゴの罠が克明に描かれた作品だった。
誠の愛とは。エゴとは。
贅沢な映像と音楽が、いやが上にも主人公役の好演をひきたてる。

物語を現実におきかえたとき、我々は悪といかに向き合うべきかの示唆を得ることができる。
主人公の苦悩は個人の葛藤をよくあらわしていたが、本作品は、社会の苦悩をもよく表していた。
劇中、戦争は陰謀に操られていることをうまく表現していたが、これは現実にもあてはまるからだ。
本ブログNo.4<悪とは>No.29<罪と罰>No.43<世界の巨悪> などを参考にしていただくことができれば幸いである。

悪を駆逐するのは、いつの世も愛なのだ。個からはじまり、社会に広まる誠の愛のみが、我々を救済できると私は信じる。

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2005-07-04 13:09:27

<ウルトラマンネクサス>

テーマ:映画

先日、ウルトラマンネクサスが放送予定を大幅に短縮して最終回を迎えた。
出勤前の十数分、朝食をとりながら、途切れ途切れに息子と観ていた作品だったが、あまりのわかりにくさに、年甲斐もなくビデオを借りてきてまで観てしまった作品だった。
終盤、ストーリー的にかなり無理な駆け足を行ったせいか、やや難解であると同時に唐突な感が否めなかった。
もっとも、難解という点では、最初からそうであったのかもしれない。とにかく、ちびっ子たちが喜んで観るような番組でなかったことは間違いない。

ちびっ子やお年寄りが相手の場合、歌舞伎にみられるような型が求められる。
注意力の散漫な世代の心をとらえるには、番組の途中、どこからみてもストーリーの全体像が透けてみえるくらいのわかりやすさが要求されるからだ。
本作品は、明らかにそういう作品ではなかった。
放映短縮は、視聴者層に大人世代を意識しすぎ、あまりに子供世代を無視しすぎたダークな展開であったがゆえの、当然の帰結であったように思う。
番組が始まって数話の段階で、「こんなんで大丈夫か!?」と心配していたが、悪い予感が的中してしまった形である。

個人的にはとても残念だ。なぜなら、デキが良かったからである。
さらに残念なのは、この打ち切り劇の傍らで、予定されていた劇場版「ULTRAMAN2」の企画まで頓挫してしまったことだ。

子度向けと思われていた作品が、その殻を打ち破るときには、こうした悲劇がつきまとうもののようだ。
かつて「宇宙戦艦ヤマト」や、「機動戦士ガンダム」もそうだった。
志のある企画ほど、世間から正当な評価を得られず、再燃、復活を待たねばならないものなのかもしれない。

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2005-07-04 06:46:12

<制約と創造性>

テーマ:哲学
何かを具体的に限定してしまうことは、そこに宿りうる創造性を奪ってしまうことのように思われがちだ。
しかし、何かを実現するためには、そこにエネルギーの集中が必要になってくるのであり、そのためには、具体的なビジョンやプランも必要である。

たとえば、ここに学力が不足してはいるが、それでも医者になりたい少年がいたとしよう。
少年はただ漫然とそれになりたいと願ってさえいれば、医者になれるものだろうか。
祈りだけで医者になるには、相当な祈祷力が要りそうだ。
いや、はっきり余人には不可能といってよいだろう。

この少年が医者になるためには、現状認識と、具体的なプランが必要になってくる。
学力が足りないと一口にいっても、どの科目の、どういう問題に対応する能力が足りないかを自己分析して、これを補う具体的なプランが必要なのだ。
そして、どの段階でどのレベルに達しておくかといったタイムスケジュールも必要になってくる。
それがなければ、何年でも際限なく受験浪人してしまうかもしれない。
方針が決まれば、いつまでに、どういう問題集のどこを重点的にやればよいかが明瞭になり、エネルギーを集中させやすくなる。
漠然とした目標も、目先の問題に還元すれば、アプローチしやすくなる。
戦略を練ることで、エネルギーの浪費を少なくすることができるのだ。
これは、事業に置き換えれば、コストの削減につながるものの考え方である。

ところで、創造性の高い建築物というのは、ある程度限定された条件のもとで生まれるものであるといえる。
例えば、いくらでも好きなだけ土地を使ってよいといって設計を依頼されても、設計士は困ってしまうことだろう。
何平米の土地に、何階建ての、どういった様式の建物が望みであるかが依頼主から説明されなければ、本当に創造的な仕事はできないものである。
諸々の制約があることで、かえってそこに問題の打開策としての様々なアイディアが浮かぶものではないだろうか。
玄関の狭くなってしまいそうな建物には、来客の目線を遠くに抜くためのアイディアが生まれるものだ。
また、住人の足腰が不自由なら、そのためのアイディアが生まれるものなのだ。

制約は創造性を育むのである。
これは、ヒトの人生も同じであるかもしれない。
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