2009-07-05 00:22:00

MW(ムウ)

テーマ:映画

自らを 無くか有りかの 存在論



 いきなり「MW」(ムウ)を観てきた。いくら手塚治虫生誕80周年の映画化だとしても、この作品がロングランになるとは思えない。手塚ファンでも、大人向け作品を嫌う人たちもいる。そして、案の定、映画館で、もともと手塚ファンであろう人たちは少なかった。おそらく、結城美智雄(原作では「美知夫」)を演じる、しかも悪い奴としての玉木宏が観たくって集まった連中、そして、 賀来裕太郎(原作では「巌 (いわお)」)を演じる聖職者なる山田孝之が観たくって・・・。
 そう、明らかに、私のような手塚ファンというよりも、彼らのファンが目に付いた。そして、そんな役者ファンにとって、この作品がどう映ったんだろう。望むらくは、玉木宏ファンがより一層タマキファンになり、山田孝之ファンがより一層ヤマダファンになって欲しい。とともに、お互いのファンがもう一人の、例えば「山田孝之っていいじゃん」とかヤマダファンが「玉木宏っていけてるよん」なんて、なって欲しい。私は、その狭間で、真相究明に動きすぎた牧野京子を演じる石田ゆり子に、「そんな途中で、そんなお姿に」という状況に「合掌」と手を合わせながら、彼女に成仏して欲しくって、最後まで観た。もちろん、同様に、あの大林宣彦映画のファミリーである刑事の橘誠司を演じる林泰文にも同調した。
 それはともかく、何故二人の主人公に両方とも魅かれて欲しいと思ったのか、と言いますれば、これは間違いなく原作者の手塚が狙ったことであるけど、二人ではない、のである。映像には二人の役者が出てくるが、観る側は、この二人の自分の心の中の善人の要素と悪人の要素で捉えることができる。エスとエゴ、あるいはスーパーエゴ。性善説と性悪説と、そんな二律背反はよく語られるが、私たち人間は、押し付けじゃなくても、どこかで自らの価値を問うとき、善悪の此岸にいる。そして、彼岸にいけば、どうなんだ、そう思う。現実は待ってくれない。善悪なんかを問う前に、自らの存在が、神ではなく、自分よりも下劣な人間から否定される。しかも、その下劣な人間は、意外と階級の上位にいる。上位にいることで、下位に人間を自分のご都合でなんとでもなる、そう思っている。
 このMWがきっと、少しは知ってても、だから観たくない、そう思う人は、おそらく、考えさせられるけど、そんなこと考えたって世の中、どうにもなるもんじゃない、そう思ってるから、避けたいのだと思う。
 「MW」(ムウ)はたまたま、物語上、湾岸戦争の細菌兵器として扱われている。しかも、その開発がアメリカの管轄の下、日本の小さな島で行われたと。荒唐無稽ともリアリスティックとも受け取ることができる。日本とアメリカの関係、終戦から今日までの歴史観をどう捉えているかで、私たち日本人の現象的な判断がなされる。一つの客観とは別に、一人ひとりの答えはひとつではなかろう。
 そこを手塚は、フィクションだよ、と言いながら、「もしそうなら、あんたはどっち」なのだね。タマキなのヤマダなの。鋭い人は、自分の中で二人いることに気づく。それが、この作品の主題だ。さらに、ご都合主義で国家が個人を抹消することから、いつのまにか個人が国家を翻弄し抹消しようとする、かつて日米安保条約の頃の多数のモラトリアムな学生たちの革命ごっこに対し、これはまさに、自らのキャリアアンカーも掛けた、自分からこれを奪われては生きていく意味がない、傍から見れば非道徳で悪の行為であっても。そんな情動がタマキくんにあるから、私なんかも、ひそかに頑張れと応援したくなるし、善悪の彼岸で善が滅んでも悪はこの世に生き延びることができる、を象徴するような結末に、めちゃくちゃ魅かれるのだ。恐らく、彼には目的や目標などなく、根の深い動機付けがあるだけではなかろうか。
 実は、「MW」のMとW。当然、善悪の裏返しを狙ったタイトリングではあるが、MがMenであり、WがWomanであることも原作者は考えていたそうな。確かに、神父を演じるヤマダの男っぽさからすれば、銀行員でありながら絶えず返送を繰り返すタマキの女っぽさ、社会的なことよりも人間の愛憎劇に走るのは、男の論理を駆逐する女性らしさもあるね。
 あのね、ここだけの話、いいこと教えてあげる。実は、もうひとつの「ムウ」のタイトリング、あるんよ。「無」「有」。これ、哲学者サルトルの「存在と無」に近いよ。そしてね、善を行使するヤマダくんを「無」とし、悪戯に多くの人に死までも及ぼす生を生きるタマキくんが「有」という。ここまで言うと、ちょっと、この映画、むちゃ奥深くなるでしょ。どないするん? 正しく自己否定? 間違っても自己肯定?
 ところで、こんなに人間として考えるべきことの多い映画なのに、お誘いしても簡単に「いやいや、それ観たくない」とか「ご遠慮します」なんてこと、おっしゃられた方、いやはや人生もったいないと思いますよ。限られた生命、自らのキャリアを充実させたいと思うんであれば、この映画は観ておくべきですね。ま、軽く楽しく適当にの人生だけでいい、そういう人には不向きかもしれませんが。
 ちなみに、もちろんフィクションではあるけれども、化学兵器の漏洩というエピソードは、1969年7月8日に沖縄のアメリカ軍基地内の知花弾薬庫で起こったサリン漏洩事故が下敷きになっているとのこと。フィクションといえども、デタラメな設定をまんざらしないのが、優秀なフィクション作家である。私みたいな、どうでもいいことを言いたいためにフィクションを紡ぐのではない、手塚氏は、明らかにありえるであろう事に対し、マスコミのやり方がキライなばかり、フィクション作家として真実を描きたかった、そんな人間なのである、と思う。
 生誕80周年の作品である。悔しいのは、たかだか生誕80年なのに、ご本人がとっくに他界されていることである。長生きして欲しい人が、みんな早く逝ってしまわれることに、自分自身、残りの人生を考えさせられてしまう。



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