2つのモディリアーニ展 | 空想俳人日記

2つのモディリアーニ展

[モディリアーニ展] ブログ村キーワード


仮面なる ヴィーナスの吐息 耳立てる



 2つのモディリアーニ展を見た。本当は別々に書きたいけど、でも、敢えてひとつ屋根の下で書くね。理由は3つ。
 第一には、2つの展の比較相違。次には、何故に同じ画家の展が同時期に。そして、最後には、各展そのものよりも両展を重ね合わせて得られた画家の人生と結晶。

 2つのモディリアーニ展のうち、ひとつは、東京は国立新美術館の「モディリアーニ」展。原始美術の影響を色濃く示す初期の「カリアティッド(古代ギリシャ建築の梁を支える女性像の柱)」の作品群から独自の様式を確立した肖像画にいたるまで 幅広い作品を紹介し、プリミティヴィスム(原始主義)に根ざしたモディリアーニの芸術がいかなる変遷をとげたのか、彼の画家人生を時系列に捉え時代を大きく4つの章立てで括る。
 Ⅰ章 プリミティヴィスムの発見:パリ到着、ポール・アレクサンドルとの出会い
 Ⅱ章 実験的段階への移行:カリアティッドの人物像-前衛画家への道-
 Ⅲ章 過渡期の時代:カリアティッドからの変遷-不特定の人物像から実際の人物の肖像画へ
 Ⅳ章 仮面からトーテム風の肖像へ:プリミティヴな人物像と古典的肖像との統合
 彼の画家としての人生が学べたし、特にカリアティッドを描いた作品がずらりと並んでいるのが特徴的といえば特徴的。あまり知られていなかった原始美術の影響が彼の画家としての力の根源にあることが十分に理解できた展示会だった。



 一方、名古屋市美術館特別展「アメデオ・モディリアーニ」展は、東京の国立新美術館と比べて展示作品数は少ないが、珠玉のような作品の数々に対し、見るほどに深く豊かな感動を与えてくれた。こちらも基本的には、時系列での作品配置。
 今回の展覧会は名古屋市美術館の開館20周年を記念して開催されたもの。
 「初期作品1906-09」
 「カリアティードの時代1909-14」
 「絵画への復帰1914-17」
 「豊饒な裸婦1917-19」
 「様式の完成1917-19」
 カリアティッド(カリアティード)の時代、モディリアーニの彫刻活動に影響を与えたのは、ブランクーシとの出会い、ルーヴル美術館のエジプト彫刻の二つなんだそうです。そして、そのことよりも、この名古屋市美術館特別展で目を見張ることになったのは「豊饒な裸婦1917-19」。今回の展覧会の最大の見せ場ではなかったか。今年「ウルビーノのヴィーナス」を観たばかりの私にとって、まさしく相乗効果。あのゴヤ「裸のマハ」とも共通する裸婦の絵画に、彼のルネッサンス期の絵画への憧憬がひしひしと感じられた。そして、さらに私がインスピレーション的に感じたのは、あのボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」! そう裸像というだけではない。そこに描かれたヴィーナスの首から上を見よ。その傾げた首と表情を見よ。そこにモディリアーニの女性たちを見るのは決して誰にも難しいことではなかろう。だよね。よね。ね。
 ボッティチェリ自身も 遥か昔に失われた古代ギリシアの名画に対し2世紀の歴史家ルキアノスが著した記述に着想を得て作品群を描いており、『ヴィーナスの誕生』はそのうちの一つであるそうな。またヴィーナスが取るポーズは、メディチ家が収集していたギリシア・ローマ古典時代の大理石の彫像を連想させるが、ボッティチェリはそれらメディチ家のコレクションを鑑賞する機会があったようだ。
 ごめん、ボッティチェリじゃなくモディリアーニの話だったね。




 そんな2つのヴィーナス展、もとい、モディリアーニ展により、私の中を相乗効果の風が舞い上がり・・・。とはいえ、何故に同時期に別々でモディリアーニの展覧会。「こうやって企画が重なって、作品取り合うことってちょこちょこあるよね」というような声も囁かれているけど、私は美術界の舞台裏に疎いので分からない。でも、同時にやらなければ名古屋開催の作品も東京に貸し出されて東京版モディリアーニ展は名ばかりじゃない真の最大規模の展覧会として超不滅の物になったかもしれない。でも、逆に名古屋の方は、なんでも東京一極集中に対して、この展覧会でほくそ笑んでいるかもしれない。あっ、ごめん、偏見。
 さて、そんなモディリアーニという画家の人生と結晶の数々。そこで私は、二人の女性とも知り合うことになった。一人はベアトリス・ヘイスティングスというイギリス出身の詩人でジャーナリストの女性。2人は大麻と酒にふけり、波乱の日々を送っていたらしい。2つ年上の女性で2年間のお付き合いだったそうな。
 そして、もう一人が運命の女性ジャンヌ・エビュテルヌ。15歳年下の画学生。モディリアーニの酒や麻薬の破滅的な生活は改善されないうちにジャンヌは妊娠、1918年に戦争を避け静養をするためにニースに移り長女ジャンヌが誕生。気持ちも明るくなり多くの作品を制作し、1919年にパリに戻ってからも創作を続け、ジャンヌは2人目を妊娠した。しかし、モディリアーニは病に倒れ、彼の作品がロンドンで紹介され評価され成功は目前だったのに病状は悪化し1920年1月24日に息を引き取った。その2日後に妊娠9ヶ月の妻ジャンヌは飛び降り自殺した。
 モディリアーニにとって、まさに彼の絵画は仮面の告白のような絵ではなかろうか。あの瞳が輝かぬ、何処を見ているのかわからぬ虚ろな、というか、からっぽの目。首を傾げ、何か言いたそうな、でも何も語りかけてこない、何処か淋しげな女性たち。少し薄ら笑いもあるけれど、そんな女性たちをあたかもヴィーナスのように捉えた私は 彼の絵からヴィーナスの吐息を聞いたような気がする。
 そう、まさに私は絵画を鑑賞するのに、その鑑賞眼よりも私の貝の殻が仮面の下から漏れる吐息を耳にしたのだ。そんな2つのモディリアーニ展であった。