スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師 | 空想俳人日記

スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師

血が走り 憎しみの肉 混ざり合う



 いやあ、参りました。脱帽して、理髪師の椅子に深々と腰を下ろしたいと存じます。でも、お願いだから、ヒゲを剃っても首は掻き切らないでね。
 まず驚いたのが、ブロードウェイの巨匠スティーヴン・ソンドハイムとヒュー・ウィーラーが手掛けたトニー賞受賞の同名舞台を映画化するのにあたって、おなじみのジョニー・デップとティム・バートンの名コンビで成し遂げてしまったこと。いや、もう一人、忘れてはならないヘレナ・ボナム=カーターの存在。彼女も加えての名トリオですね。
 ようは、ジョニー・デップとヘレナ・ボナム=カーターの歌ですよ。3年ほど前でしたか、世界中を魅了した不朽の名作ミュージカルを絢爛豪華に映画化したラブ・ストーリー「オペラ座の怪人」よりも断然、絶対によろしい。と思うのは私だけ?
 お話は、昔々あるフリート街というところに理髪店を営むベンジャミン・バーカーと愛する妻子と共に幸せに暮らしていましたとさ、から始まる。いいねえ。妻の名はルーシー、そして娘である子の名はジョアンナじゃっあそうな。その幸せが一判事のルーシーへの一目惚れで一変するなんて、お伽草子のような展開。
 無実の罪で流刑になったベンジャミン・バーカーが15年の歳月を経てフリート街に戻ってくる、スウィーニー・トッドという名に変えて。ここで、名だけが変わったと思ってはならない。幸せに暮らしていたままならば、ベンジャミン・バーカーは平々凡々名幸せな日々を送り続けた、お話にも屁にもならないであろう人間。
 それがスウィーニー・トッドというお話しの主人公になりえたのは、その名を名乗ることで彼が復讐の鬼に変身したためなのだ。だから彼は最後まで復讐の鬼としての末路を辿るべき運命なのだ。だいたい、ターピン判事のみならず、身寄りがないだけで彼と何らかかわりのない者まで、バッタバッタとなぎ倒し、ではないが、ざっくりざっくり切り裂き魔。食用家畜の屠殺であるまいし? ハッピーエンドなんかあってたまるか。だからこそ、ディズニー映画ではなくティム・バートン映画なんだ、とも言えるのだけれど(ティムはディズニーのアニメーターとしての経歴の持ち主でもあるけどね)。
 しかも、そこには、愛するがあまり、いつしか彼に加担することになるミセス・ラヴェットの存在も凄い。素晴らしい。彼の大家でもあるパイ屋の女主人ミセス・ラヴェットの商売繁盛は、殺人鬼スウィーニー・トッドと実はしっかりと連携しているわけだ。食肉生産加工ラインの一環体制確立ってわけ。
 しかも彼女、あな怖いかな、妻ルーシーはターピンに追いつめられた末に自殺し、娘ジョアンナは幽閉されている、という驚愕の事実を彼に伝えてしまっている。確かに娘ジョアンナは、その通り。だが、妻は・・・。
 その顛末は最後まで眼を覆わずに、このミュージカルを思う存分愉しまないと、最後まで愉しめない。そして、主人公の行く末も愉しめない。特に、罪もない一般人や復讐の的だけでは済まない殺戮、その誰が誰を殺したのか(おお、ミセス・ラヴェットを最後には母のように慕うエドワード・サンダース演じるトビーまでが・・・、なんたるちあ、じっくりとこの眼で確かめることを愉しまなければ、このお話の醍醐味は味わえない。結末を否定しては、このお話は、お話にならない。
 さらに、この映画の見所は、そうした愛と憎悪の固まり同士がそっと静かにぶつかり合うのに、ミュージカルならではの歌による会話。対話形式の掛け合う歌も見所だが、三者が三様の想いを同一の楽曲のカタチに練り上げられ、各々役者が歌い上げる。それをミュージカル専門役者ならまだしも、ジョニー・デップとヘレナ・ボナム=カーターがやってのけてしまっているのだ。いやあ、ティム・バートン映画もここまで来ると、この監督・男優・女優の結束力というか、信頼の絆とでもいうか、見事である。
 今でも脳みそから離れないのは「ジョアンナ」の歌。ああ、二度目の掛け合いで歌われる「ジョアンナ」をもう一度聞きたい。こりゃあ、やっぱオリジナル・サウンドトラックを入手するしかないかな。この映画で殺戮関係者たちをどうしても受け入れられなければ、せめてジョアンナに純粋な思いを寄せるアンソニー・ホープ役のジェイミー・キャンベル・バウアーの歌に酔いしれなさるとよろしい。