2008-01-05 07:55:30

恋する神父

テーマ:映画

神の愛 仏の愛も 一人から 



 韓国映画で神父にならんとする主人公のお話で、えっ、と思ったけど、韓国って、結構キリスト教徒が多いみたい。仏教の国、いやそうではない、儒教の国、そんなふうな印象があるみたいだけれど、宗教信者の約半分が仏教徒で半分がキリスト教徒で、儒教信者は1%に満たないらしい(ちなみに、国民の半数は無宗教らしいけど)。
 では、キリスト教信徒で言うと、プロテスタントが圧倒的に多く、カトリック教徒の3倍はいるらしい。つまり、このお話は、半数であるキリスト教徒の中の四分の三ではなく、四分の一にあたる環境の中でのお話。というのも、真面目な神学生キム・ギュシクを演じるクォン・サンウは、 神父を目指しているのである。神父は敬虔なるカトリック。プロテスタントであれば牧師と言う。おそらく、韓国でも牧師であれば婚姻は許されているのではなかろうか。神父は神の僕として婚姻をしないのだろうね。
 真面目な神学生ギュシクは、神父になる儀式の一ヶ月前に、親友ソンダル(キム・イングォン)の巻き添えで失態を演じ、罰として片田舎の教会で精神修行をすることになる。で、その教会で、酒に酔った一人の若い女性ボンヒ(ハ・ジウォン)に出会ってしまうのだ。アメリカ帰りで神学とは無縁の彼女、恋人にフラれ荒れまくり。以来、ボンヒの破天荒な言動に振り回されるギュシク。さらに、そんな彼女へ洗礼を受けさせることを教会からの卒業課題にされてしまう。こうなると、必然的にボンヒと一緒にいる機会が多くなり、恋する神父になってしまうわけだよね。
 お話はいたってシンプル。でも、何故かな、ギュシクとボンヒの恋愛感情のプロセスは、とっても共感してしまう。確かにギュシクは神学生という立場だから特定の人を好きになることは許されない。なあんて、普通の人ではありえないこと。でも、そのもどかしさは、なんのことはない、愛してしまった人に素直に「愛しています」と言えない純情可憐な人からすれば痛く共感。破天荒のボンヒだって、結局は言葉にできなくて、彼が目の前を通るたびに「デオ・グラシアス」なんだよね。もどかしいけど、切ない、心の奥底の糸が震えてしまう。
 コミカルで軽いタッチのお話だけれども、いい映像だね。愛と感動の韓国ドラマという路線から外れているのもいい。それよりも、どのシーンかは言わないけど、急にハ・ジウォンとクォン・サンウの表情がドアップされるよね。そこから、私たちも、女性ならクォン・サンウの一挙手、そして男性ならハ・ジウォンの一投足、これから目が離せなくなるでしょ。そう思わんかねえ。神父という役方はたまたまの設定。そんな設定を借りての、こういう関係って見過ごしがちな日常茶飯事にあるよね。お手々つないで野道を行けば胸がキュンと鳴る、そんな日々が思い出されるなあ。

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