2006-06-11 07:52:43

嫌われ松子の一生

テーマ:映画

空仰ぎ 曲げて伸ばして 星になる 



 そういえば、「無法松の一生」ってありましたね。それが何って、別に何でもないけど。
 この映画、「おもろいやんけ、でも、ちと浅いかなあ」タイプと「つまんねえけど何かぐっと感じるんだよね」タイプと、そんな狭間を行ったり来たりしながら、ついにはそこから食み出して、私は松子と踊りながら唇尖がらせて銀幕に吸い込まれておりました。
 8ミリ撮っててコマーシャルフィルム作ってて映画界入りした、今では日本映画の大御所でもあられる大林監督の、まさにアウフヘーベン的フュージョンを成し遂げられたとも言えるデビュー時の作品を、なんでかしら思い起こさせてくれました。
 原作は読んでおらず知りませんが、これ普通に描けば、暗い人生の演歌的物語にもなっちゃうでしょうね。でも、コミカル&ミュージカル、乙女心のユメユメファンタジー。映像技巧も含めると、ちょっとてんこもり過ぎるかもしれないけれど楽しい。そして後半戦の「なんで?」と「人生終わった!」と想いながらも何度も不屈の精神で立ち上がる女矢吹ジョーのバイタリティ。七転八倒人生流転、七転八起厚顔無恥、あ、いや失礼。
 だいたい、こんなポップタッチに仕上げちゃあ、なんですと、太宰治の「生まれてきてすみません」は、普通なら合わないっしょ、いっしょの映画にはならんでしょが。ところが、それが見事に調和しているのですねえ。果敢に惜しみなく愛を奪うが如く人生真っ向から生きる泣き笑いと、地獄の底まで付いて行こうとするしがみつきの孤独感。おそらく、映像的エンタの面白さが強烈だからこそ、その寂寞感が余計に引き立つのかもしれませんね。
 こりゃもう、ハリウッドもどきでない、ハリウッドのいいとこ取りをしながらも邦画のもともとの精神性や叙情性を棄てずに大胆にもコンプレさせちゃった、そのあわせ技的なあたりが、この映画の凄いところなんでしょうねえ。
 凄いといえば、そんな映画作りに、ちゃんと応えてしっかり役を演じきる主人公川尻松子役の中谷美紀。あんたあ、えらい! そういやあ、ついこの間「力道山」でも妻役でいい演技、その力量を感じさせてくれましたなあ。歌あり踊りありのザッツ・エンターテイメント。
 ばかりじゃない。人の心の隙間に染み入る蝉の声のようなひとつひとつのエピソードと、それを通して最後に語られる心憎い人生観。教え子との再会で、松子は神だ!なんてね。でも、そんな究極的なテーマに押し上げて、へへえ、と平伏すのは簡単です。
 記憶に焼きつくは印象的な家族と日々の回想。病気がちな妹と、その妹ばかりを可愛がる父親。そんな父と二人だけでデパートに行ったシーンは忘れられませぬ。唇尖がらせると父が笑った。父を笑わせようと、それが癖になる。父からの愛の欠如と愛を奪った妹への憎しみ。これ深入りすると、心理学の方のコンプレックス物語になってしまいますけども、彼女が神のような愛し方になってしまった根っこがここにあるとすれば、神様は恐らく愛して欲しい人(他の神様?あるいは人間?)から愛されなかった孤独な方なのかもしれません。いかん、話がずれていますね。
 そんな神かもしれない松子に、「中学生は早く家に帰りなさい」と言われただけで暴行を加えるグループ。それは、巷でよく耳にする、浮浪者虐待事件を思い起こしますね。浮浪者は、まるで社会に必要のないゴミのようにしか見られない人々。そんなゴミは袋叩きにして排除しても誰も文句は言わない、むしろ、社会から抹消したがっている人々と同じ思い・・・。どうなんでしょう。
 松子は決して神なんかではありませんね。甦りもしませんし。あちらの世界へ行く、そこで「おかえり」「ただいま」。この松子の想いは決して神なんかじゃない、私たち人間の心の中にある一番の柱の部分ではないでしょうか。この映画を観た方は感じたでしょう。でも、それを知っているか知ろうとしないか気がつかないかは分かりませんが、知らず知らず私たちは、みっともないもの、バカみたいなもの、アホ臭いもの、社会にふさわしくないもの、ゴミみたいなもの、生きている価値などないもの、などなど、そう思ってしまっているのではないでしょうか。思いたくなくても、思わざるを得ない、思わさせられているのかも知れません。ほら、何気ない日常の中で、明らかに或るレッテルを貼って全体から排除しようとする・・・。
 そういえば、かの「無法松の一生」。残念ながら私は観てませんが、以下のような映画だそうです。
 戦争の敗北の色濃くなった1943年に公開された「無法松の一生」は、戦争一色の世の中で異色の映画。時は明治時代、北九州は小倉を舞台に繰り広げられる、人力車夫の富島松五郎の生き様、そして陸軍大尉の未亡人とその息子との人間的な触れ合い、さらに未亡人への秘められた想いが瑞々しく描かれた作品で、全体主義を無言で批判しているそうです。ファシズムの時代の中で、無垢なる正気の一徹さを貫く松五郎の姿が、当時の日本人の心を強く打ち、小さきものや弱きものへの愛情が、そのまま時代へのレジスタンスとなったため、戦中の内務省の検閲によって、大幅にカットされ、さらに戦後のアメリカ占領軍の検閲によって再びカットされ、二度の検閲で、20分弱が永遠に失われてしまったそうです。
 私たちは、何のために生まれて生きているのでしょうか。生まれてきてすみません、そういう言葉を吐くためでしょうか。それとも、生まれてきても意味のない人を、世の中から排除するためでしょうか。誰がそれをしてもいいと言っているのでしょうか。松子の悲しみは松子自身だけの問題じゃない気がしました。

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コメント

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4 ■hana147様

コメントありがとうございます。

ゴミのような人間は一人もいませんよねえ。どんなに違いはあれど、みんな夜空に輝く恒星とおんなじですよねえ。

3 ■TBありがとうございました。

私はこの映画「何かぐっと感じました。」
ぐっときたのがなぜなのか分からなかったけど
この日記で少し分かった気がしました。
また覗きにきまーす。

2 ■奈緒子と次郎様へ

こちらこそ、コメントありがとうございます。
キャスティングもなかなかよかったですよね。

1 ■TBありがとうございます♪

本当におもしろいですよね。
小~さな細部にまでこだわっていながら、
全体もしっかりとまとまっていて。
大いに笑って泣きました(^o^)

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