2006-01-31 22:10:53

博士の愛した数式

テーマ:映画

数式に 見えない心も 見えてくる 



 なんてったって、吉岡ルート先生の授業は最高である。数学の教師である彼が担当するクラスの一年間の初めの授業にこんな話をしてくれるのは最高だ。自分がルートという仇名も含めた自己紹介をする最初の授業、それがこの映画、物語の全貌だ。
 そうそう、私も高校に入ってすぐの頃は、数学に関しては学年で一位とか二位だった(おいおい自慢話かよ)。その時の先生が面白かったことと、入ってすぐの頃は、いわゆる数Ⅰだから、中学の延長、そんなに難しくはない。先生が面白かったというのは、授業そのものではなく、日頃の行動。学校の正門の池に氷が張るくらいの寒い日に、先生はアイススケートの靴を持ってきて滑ろうとしたら氷が割れた。授業へ来る前に、夜間の生徒のための給食センターの前に転がっている残り物のパンをかじってくる。そして、授業を生徒よりも自分がドタキャンする。そんな先生は、図書館で屯している私になんだかんだで話し掛けてきた。それが実は私も嬉しかった。そんな変な先生も、私が二年生になると、担当じゃなくなった。授業は、数ⅡBとか数Ⅲになる。だんだん訳がわからなくなる。文学に色気づいたせいも加わり、理系ダメ人間になっていった。
 でも、もし吉岡ルート先生に出会っていたら、数学は一種の文学であり芸術でもあることに気づいていただろう。残念。
 さて、授業の内容のポイントに入ろう。
 友愛数、素数、虚数、絶対数。素晴らしい、その紐解き方。その都度、感動し、目頭が熱くなる。数学にだ。数学がこれほど心の扉を打ち、心を開いてくれるものだとは。ここでは今更、ひとつひとつを解説すまい。 だが、なかでも、素数の他者とは違う独立自尊オンリーワンなる個の存在、そして虚数の目に見えないが心の中で想像し感じるべき愛ともいえる存在、それらが、人間の存在を言わんとしていることは自明の理だ。
そして、吉岡ルート先生の、教室内の素数たちに向けての虚数溢れる授業は、私たち観客にも行なわれているのだ。
 その彼がそんな授業を行えるのも、彼をルートと命名した名付け親の博士、寺尾聰との友愛だ。そして、その友愛の始まりこそ、ルートの母と博士との出会いだ。家政婦として出向く母の足のサイズを聞く。記憶が80分しか持たない博士は毎度聞く。サイズは24、4の階乗、潔い数字だ。
 子どもを放っておいてはいけないという博士の提言で、いつしか息子は学校帰りに博士宅を訪れ三人で食事をする、そんな友愛が始まる。その中から、母である深津絵里は発見する、絶対数を。数学者でもないから勿論すでに昔発見されている絶対数を知らない、そんな数学的知識に乏しい彼女が絶対数を発見する。絶対数と言う一つの真理を。そこには、かつて博士を義弟としながらも罪ある関係に陥った姉の邪心は微塵もない。
 そして、かつて博士が、その義理の姉に送った手紙の中の数式eπi=-1(無理数×円周率×虚数=-1)と、深津母と息子ルートとの交流を通じた後に導き出された数式eπi+1=0は見事だ。算数的には、イコールを挟んで左項と右項を移しただけかもしれない。しかし違うのだ。eπi=-1は博士自身が-1なのだ。ところが、eπi+1=0はプラス1によって、0なのだ。0は無だ。無欲でもあり、ニュートラルでもあり、始まりでもあり、無限にも繋がる。限られた時間の中でその時間を生きる、実際には線分しか描けない直線の断片かもしれないが。
 教師になったルート先生は黒板に書く。「時は流れず」と。「流れる」のではない、「流れず」なのだ。それは一瞬の永遠でもある。そうして、ラストにはブレイクの詩が用意されている。一見矛盾を含んでいるようにも見えるその詩の言葉が、この映画のおかげですべて解ける、理解できるのだ。詩と数学がここで融合する。なんて美しいドラマだ。
 物語そのものは、それほど起伏はない。淡々としているが目を離せない。むしろ薪能のシーンに躓きそうになるくらい。地味でありながら徐々に高まる心の震えは治まることがない。
 誰か、寺尾殿に賞を与えてくれないだろうか。ルートがいて、その教えが教育に生かされるなら、博士にノーベル賞を贈ろうよ。だめなら、せめて日本アカデミー賞主演男優賞くらい、いいでしょ。それに監督賞も。原作にはないらしいブレイクの詩、でも、こだわったからできる作品づくりだ。映像も美しい。ところどころのロングショットの風景は心に沁みてくる。
 学問とは、おそらく数学に限らず、こうしたものかもしれない。こうした感動もなしで、センター試験に臨んで勝ち負けに翻弄される子供たちは、あまりにも人間の真理から遠い場所で格闘している。可哀相だ。そう思わせてくれるだけでも、希少価値のある映画じゃなかろうか。
 そうそう、そういえば「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」も数学の映画だった。あれはあれなりによかったけど、博士のアンソニー・ホプキンスに対し、二人の娘のうち、長女はペケでしょ、次女が何とか世話をするけど、その不毛さ。数学の証明をモチーフにしながらも現実とのギャップに、親子愛は証明させられず、いつのまにか恋愛ドラマの愛の証明に挿げ替えられてしまっている。それに対し、この映画は、まさにアンチテーゼ、「そうじゃなかろう」と言っているような気がする。静かな中に、そうじゃない、そんな力強さが潜んでいることを見て取れないだろうか。それは、普通の人と普通じゃない人をそのまま描いた普通の視点の作品に対して、これは、普通の人が本当は普通じゃなく普通じゃない人の方が普通かもしれない現代社会、それを暴露した香山リカさんの力強さにも繋がる作品なのではなかろうか。詳しくは彼女の「多重化するリアル」あたりの現代社会を抉った評論を読んでください。
 ともかくアンソニー・ホプキンスはずっと普通じゃなかった。そういう境遇で終わった。でも、寺尾は普通じゃないけど実は普通な人よりもうんと普通で、普通の人のほうが異常なのだ。何故なら、この映画、人はどう生きるべきかに、いたく素直に最も人間らしい素数として生きていく姿勢への崇拝があるのですよ。そう思いません? 
 何をたわごとを、そういう人がいたとしても、整数だけで生きていく経済社会の人々の目に見える算数計算しか知らない無知をどうか許したまえ。
 吉岡ルート先生の授業を受けられた私は、彼に感謝の気持ちでいっぱいになった。すると、生徒の一人が最後に「先生」と声を掛けた。生徒の声の方に顔を向けると「ありがとう」という言葉が返ってきた。私の心と完全に共鳴した。私も心の中で「ありがとう」と叫んだ。

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コメント

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4 ■man10様

こちらこそはじめまして。
うん、今になって、数学って面白いんだ。そう思いましたねえ。

3 ■はじめまして

TBありがとうございました。
私もルートや博士のような先生に数学をならったら、もっと数学を好きになれたかも?なんて思わせられました。

2 ■小町さま

そう! ルート先生の授業、最高でしたよ。ああいう授業ができる先生が学校の先生になると、日本の教育も変わりますよ。

1 ■こんばんは

TBありがとうございました!
映画ではルートが授業するシーンまであるのですか!実はまだ映画を見てないんですが、そんなら一度見てみないと損ですネ☆"

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