2005-11-14 21:23:41

誰も知らない

テーマ:映画

知りたくない 知ったら火の粉が ふりかかる 



 言葉にしようと思って、ずっと書けなかった映画。是枝裕和監督の作品は難しい。いや、映画が難しいのではない。コメントするのが難しいのである。たいてい、「感動しました」「私には分かりません」「つまらないです」になってしまう。で、それ以上に理由を書こうとするコメンテイターは、しどろもどろになる。私も、しどろもどろになる、だから書いても仕方がなかろう、そう思っていた。
 でも、「誰も知らない」は、いつかコメントしなければならない、そう思っていた。「幻の光」で知ったこの監督は、日本映画の中でもっと地位を築くべき監督だと思うから。そして、この「誰も知らない」で、まさに不動の地位を築いたはずなのに、いかんせん、あの象使いも演じた名優、柳楽優弥くんが前面に出てしまい、せいぜいキネ旬くらいで、一般人からは監督の影は薄くなってしまったようだ。
「誰も知らない」は、誰も知らない方がいい、そんな映画かもしれない。そして、誰もコメントしないほうがいいのかもしれない。そう言っているかのようだ。
 でも、何故今になって、私はコメントする気になったのだろう。


 ここに描かれている家族は何だろう。事実に基づくお話らしい。だから、こういう家族がいた。それだけか。いや、この事実は、ひとつの現代劇の象徴。ということは、現代の家族崩壊劇なのか。
 現代社会の中で、家族の絆が崩壊しているらしい。では、かつては、しっかりした絆があったのか。例えば昭和三十年代とか四十年代の頃、さらには遡って、戦前、そこに家族の理想の姿があったのか。
 一つの見方をすれば、大家族の時代から、ある時期、核家族化が進んだ。その核家族化の中で子育てのお手本や助っ人がいないことで、子育てが分からず放棄が生まれた。なんてことも言える、その発展した形として、親子の絆の輪までぶちぎれる、核から個だけ、自己中心へという論理。
 じゃあ、この映画は、それが言いたかったのだろうか。じゃあ、核家族の前は素晴らしい大家族ということか。そこでは三世代共同体。しかし、親たちは子どもに対し存分に振舞えず、子どもは親よりも親の親の存在を無視することも否定することもできなかった。特に、長男家族の中へ嫁いで来た奥様方は、今からすれば全く自由もなかったケースが多いと言う。核家族は、ある意味では、それ以前の大家族に対し、自由な生き方がもたらされた形でもある。これは、家と家の婚姻から個人と個人の婚姻になったという、愛の謳歌でもある。
 では、「誰も知らない」の悲劇は、核家族やさらには、個人の愛を優先した親たちの自由な生き方がもたらした結果なのか。


 誰も知らない、この家族の中で、誰も知らずに死んでいった女の子(どこか朋ちゃんに似てる)。それは現代社会だからこそ、隣は何をする人ぞで、誰も知らないのだろうか。そうではなかろう。誰も知らない人々は、いつもいる。知りたくない人もいる。誰にも知られない方がいいこともある。
 母親役のYOUはいい役者。ここで彼女は、誰も知らない尋常でない子育てをしている。育てられている子どもたちも、誰にも知られたくない。しかし、誰も知らないのはそのことだろうか。マスコミでは報道された。さて、そこで、私たちは、報道を受けて絶えず繰り返して批評する、家族とは何だ、子育てとは何だ。様々な意見や実践が叫ばれる。叫ぶことで飯を食える人までもいる。しかし、本当のことは誰も知らない。Nobody Knows。知っている人はいない。分かった振りして、いろいろ語ることはできよう。その語り人よ、「あなたは大丈夫なのか」、いや、誰もが不安で仕方がない。できれば、避けて通りたい。そうだ、誰も知らないのは、ある意味では、誰も知ろうとしない、からでもある。知った振りして異口同音の正義風を吹かせたくなる。


 ところで、例えば昭和のある時代、いい家族がありました、という物語がある。しかし、それは本当だろうか。あくまで、一例であって、全てがそうだと言えるのか。それに比べて、今は荒んでいる、崩壊している、本当にそうだろうか。叫び声があちこちで上がるようになり、誰かに知られねばならない、そういうマスコミなどによる露呈現象のせいではないか。かつては、隠さねばならない、そういう時代もあったと言う。
 この映画は結論を急がない。むしろ、問題だけを提起した映画だ。何故なら、悲劇であるはずの子どもたちに、真の幸福な時間はなかったのだろうか、と訴えているようにも見える。
 悲惨さしか報道されない中で、この映画では、もっと違う視点ももたらされる。悲劇ばかりを強調することが子供たちを弱者の論理でより被害者にしてしまうが、そうして、被害者であること故に、彼らの生き方まで、悲壮感漂うものに仕立てていいのだろうか、監督は、そう言っているような気がする。それは、報道関係や、彼らを知らない単なる第三者が、ひとつのテーマに仕立て上げたいだけであり、それをすることにより、彼らのひょっとして充実してたであろう生活までも、あってはならない異常なことにしてしまう、恐ろしい結論立てをしてしまうのではないか。

 子供たちは、ある自立の中で、太い絆を築いてもいた。そして、それに対し、彼らを受け入れられなかったのは、ひょっとして周りの世間ではないのか。もし彼らが被害者なら、加害者は母親じゃなく、世間ではないのか、そういうふうに見えたのは私だけだろうか。
 幾つも視点ができると、私たちは、曖昧な作品と言ってしまいがちだ。だから、誰も語り尽くせなくなる。それどころか、触れられない。私たちは、大きな流れ、大きな報道、大きな意見に、知らぬ間に染まってしまうのだ、いや染まった方が楽であり、その方が、声も大にして叫ぶことができる。でも、触れなければ。触れることで、こうした映画の可能性は、言葉に置き換えられないほどのリアリティを共有する機会を与えてくれる。


 それにしても、何故、今、この映画を語るのだろうか。そう言えば、「Always 三丁目の夕日」「Takeshis’」と、ふたつの戦後を意識した作品を見せられ、その中で家族やら人間関係の絆が問われているように思え、ふと思い出した、全ての人が「あの頃はよかった」素晴らしいと思わされる完全無欠のパワーある作品と、殆どの人を不毛かつ不条理な世界に陥れ絆なんぞないことに蓋をしたくなる作品。
 さらに思い出したのは、たくさんの家族像が登場する、あの大林監督の「理由」。せんだって、テレビでも放映されたが、興味深い。映画そのもののテレビ放映ではなく、監督自らがテレビ用に日テレバージョンとして再編集しなおしたものだ。もともと大林監督は、脚本も書くが編集を人任せにしない人。
 その再編集バージョンで感じたのは、映画として構築された作品を監督自らが解体してしまったことだ。美しい映像やストーリーテラーよりも、ニュース性を前面に押し出した家族の悲劇、絆を報道スタイルに変えた。これはもはや映画ではない、そう評価する人も多かろう。じゃあ、映画は、何のためにどうあるべきなのか。これも映画だ、そう認めるキャパはないのか。
 監督自らが脱構造主義的な解体を行なってしまうということは、ひょっとすると、そのドキュメンタリー性、「誰も知らない」の是枝監督の目指すもの、そして、かつて大林監督も「北京的西瓜」などで試みた、ドキュメントタッチに、多くの人が甘い感動の大きな流れにあっという間に飲み込まれない、むしろ、問題提起に対し自らの脳味噌で試行錯誤し理解判断していただく、そんな見る側の土壌作りを、新しい人々の自立育成を、期待しているのではなかろうか(少々、考えすぎかもしれないけど)。


 かつて、映像手法として、ダダやシュールレアリスムがあった。多くの人に受け入れられたかどうかは分からない。また、邦画でも、ある時期、実験的映像も含め若手作家の可能性に期待すべきATGがあった。そうした歴史がすべて映画に活かされているかどうかはわからないが、全くムダではなかったはずだ。
 そして今、映画は単に娯楽でエンターテイメントでなければならない、そういう概念は、私も含めて、もう旧人類ものになりつつある。新しい映画作りはあちこちで始まっている。
 もちろん、楽しければいい、それも映画、それが否定されるわけではない。しかし、もっと世の中を見つめ、自分を見つめなおす、その素晴らしい対話相手として、映画というものがあってもいいのではないか。
 そうした映画作りに対し、私たちは、可能性を潰すのでなく、大いなる許容で、惜しみない拍手を贈り、迎え入れたいと切に思う。

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コメント

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8 ■tatsumune様

うん、確かに自分に置き換えて、近くにいたら、そう思うと、自らの無力を思わざるを得ないかもしれませんね。

7 ■表現

挿入歌の「異臭を放つ宝石」という一節が心に残りました。
この子達と接点があったとしたら、ぼくは何かをしてあげられたのかな?とか色々、膨らませてくれた「種」のような作品だったのかも。

6 ■snifsnifサマ

>ここに来られた事を嬉しく思いました。

あいりがとうございます。光栄です。私の考えは、飽くまで私の捉え方でして、けっして絶対的だとは思っていませんが、でも、あるんじゃないかなって。

5 ■誰も知らない

あたしは好きな映画でした。shisyunさんの文章を読んで。自分が感じていたのとは違った、新しい考えを知ることが出来て。
ここに来られた事を嬉しく思いました。

4 ■linさま

>それが悪いとは思いませんが事実の歪曲化或いは監督の恣意的な表現というものも念頭に置くべきかもしれません。
確かにそのとおりですね。すべてを鵜呑みにするのでなく、観る側もしっかりとした視点をもっていないといけないかもしれません。

3 ■くらのすけ映画社さま

>なかなか見事な文面ですね
>ここまではかけない。
ありがとうございます。でも、ここまで書くと、相当映画よりじゃなく、自分よりかもしれませんね。

2 ■TBありがとうございます

加害者を母親だけではなく社会全体とする監督のアプローチは、「ディスタンス」でも若干感じられましたが本作では非常に明確な意図を持って描写されていましたね。事実をベースにした作品をどういう視点で扱うかという点で「エレファント」等とは対極の位置にある作品だとも思います。
それが悪いとは思いませんが事実の歪曲化或いは監督の恣意的な表現というものも念頭に置くべきかもしれません。優れた作品であることは間違いないと思いますが。
此方からもTB返させて頂きます、また宜しくどうぞ。

1 ■なるほど

なかなか見事な文面ですね
ここまではかけない。
勉強させていただきます
また遊びに来てください

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