香織の手を引き急ぎ足で自室のドアを目指した。香澄は背後の気配に確信した。
新居選びに失敗したのだ。

しかし、今の香澄に再度の転居資金はなく少なくとも数ヶ月はこの部屋に住まざるを得ない。
それまではなんとか香織に、怖い思いをさせずに済む事を祈るしかなかった。

その日の夕刻、階下の住人を転居の挨拶で訪ねた。
チャイムを何度か鳴らすが応答なし。だがドアから明かりが漏れている。
留守の筈はないと思いつつも諦めて帰ろうとした時ドアの中から声がした。

「だ、誰?」

明らかに怯えを含んだか細い声。

「あ、初めまして。今日、上の404号に引っ越してきました川原といいます。引っ越しのご挨拶に伺いました。」

ゆっくりとドアが開いた。
ドアの中には50歳くらいの鬱々とした表情を露わにした女性がいた。

「こんな所に引っ越して来たのかい…。悪い事は言わない。さっさと余所へ引っ越しし直しなさい。」

「えっ…。それはどう云う事ですか?ここは何かあるんですか?」

「… 私は何も知らないよ。… それじゃ、…。」

明らかに怯えた目で周りを見回し、そのあとは取り付く暇もなくドアを閉めた。

「あ、これ…。」

香澄は手にした引っ越しの挨拶の菓子折りを差し出したが、既にドアの近くには人の気配はなかった。
仕方なく菓子折りの袋をドアノブに掛け帰ろうとして、2.3歩歩いた時、香澄は住人の名前を確認し忘れた事に気付いた。
慌てて表札を確認しようと振り返った瞬間、香澄は全身の血の気が引いた。
たった今ドアノブに下げた菓子折りが消えていた。
ドアが開いた気配も音も…何も感じなかった。
背筋が凍りついた。
香澄は一目散に自室を目掛けて駆け出した。
その背後にまたあの気配を感じた。
私の後ろに誰かがいる。
あまりの恐ろしさで振り返る事が出来ない。
必死の思いで自室のドアまでたどり着いた。

しかし、香澄のすぐ後ろにはあの気配がついて来ていた。<
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