<9月16日(土)その3>
川崎大師を後に、一路東京方面へと向かったのだ。
しばらくは参道沿いに続く商店街を歩いて産業道路まで出たよ。
それにしても、ずっと商店街が続いているんだねー。
それだけ川崎大師の参詣客で栄えていたということかな?
最近は高層マンションも増えているみたい。

工事中の大師橋を渡ると大田区羽田。
ものすごく海に近いけど、まだこの橋のところは多摩川なのだ。
川崎川の大師河原はちょうど芝生をはやしているところで、青々してきれいだったよ。

大師河原大師橋から多摩川

橋を渡ってすぐにあるのが正蔵院というお寺。
宝徳2年(1450年)と文禄4年(1595年)の二度にわたって補修をしたという鎌倉様式の不動明王立像のあるお寺なので、このお寺自体も相当古いみたい。
お寺自体も歴史を感じさせる雰囲気でよい感じだよ。

羽田正蔵院

そのとなりにあるのが、羽田村・漁師町の鎮守だった羽田神社。
戦国時代末期にはすでにあったという神社で、もともとは牛頭天王社と言っていたみたい。
残念ながら旧社殿は空襲で焼失してしまって、今の社殿は戦後に建てたものだって。
神社の奥には明治2年に築かれた富士塚があるんだけど、大田区では唯一のものだとか。
ちなみに、ここの富士塚は登れないよ!

羽田神社羽田神社富士塚

大鳥居駅手前の萩中公園で小休止。
実は、川崎大師の門前で名物のくず餅を買っていたのだ。
元祖久寿(くず)餅の住吉屋総本店というお店だよ。
※なんか池上にも「久寿餅」の元祖の店があったような・・・。
ここの一人用お持ち帰りくず餅は、すでに切ってあって、しかも300円とリーズナブルなものなのだ。
食べてみると、口当たりよいぷりぷり感。
きな粉もおいしくって、グー!
ここのくず餅は一級品だよ(^o^)/

住吉屋総本店住吉屋のくず餅

くず餅で腹ごしらえをした後はぶらりを再開。
大鳥居前で環八を越え、しばらく行くとあるのが濱竹天祖神社。
由来はよくわからないけど、なかなか古そうなのだ。

濱竹天祖神社

さらに北上して呑川を越えたところにあるのが子安八幡神社。
旧村社でなかなか歴史はありそうな感じ。
社殿の彫刻も立派なんだ。
ここには、安永3年(1774年)の石鳥居があるんだ。
神社のある北糀谷のあたりはもともと下袋村といって、六郷用水を開削した小泉次太夫さんの知行地だったんだって。
この通りはその6代目が寄進したものみたい。

子安八幡神社

糀谷を越えて大森に入ったあたりにあるのが、弁天神社こと三輪厳島神社。
大森海苔の守護神なんだって!
なんでも、治承4年(1180年)に義経公が玉川の渡しを渡ろうとした際、折悪しく南西の風が吹きすさび、舟がどんどん流されてしまったんだって。
ふと波先を見ると小高い杜があって、ここは神のおわすところに違いない、と一念祈願すると、なんと風がやみ、波もおさまったのだとか。
で、その瀬島に舟をつけ、杜を分け入っていくと、果たしてそこには小さな社があり、神の使いの白蛇がいたそうな。
義経公が厳島大神が助けたもうたと里人に語り、地元の人と協力して社殿を改修して立派な神社にし、注連竹を建てたのだとか。
これがこの神社のはじまり。
で、話はここで終わらないで、その後、この注連竹には黒いコケがつくようになり、これをなめてみると風味があっておいしい。
そこで、他にも棒を建ててみると、そこにも黒いコケがつく。
これを乾かして食べるようになったのが海苔で、以来、大森の海苔は鎌倉将軍に献上されるほど有名になったのだとか。
そう言えば、むかしは大森は海苔の製造で有名だったみたいだね。
今は埋め立てが進んじゃったけど、むかしは大森は海沿いだったというし。
今でもこのあたりには海苔屋さんが多いんだよね。

三輪厳島神社

ここから少し先はもう大森警察署前。
ここで産業道路は第一京浜と合流するのだ。
合流地点には、旧東海道の美原通りとの分岐点があるのだ。
美原はもともと三原で、北・中・南原の3つをあわせて三原と言っていたことに由来するのだとか。
ここの道は旧東海道の道幅を比較的よく保存している貴重な道らしいよ。

三原通り・旧東海道

なかなか味のある商店街が続くんだよね。
でもでも、この道も900メートルほどで終了。
平和島の駅を過ぎたところで再び第一京浜と合流するのだ。
ここから先は、旧東海道沿いに点在する東海七福神めぐりを楽しんだよ。

(つづく)