第533号池田城 | 城新聞

城新聞

-Japanese castle press-
Trying to find dreams are more precious!
I walk to the horizon and there I find another,
It all seems so surprising and then I find that I know.

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建武元年の1334年、前後に現在の池田市にある五月山南麓の丘陵地に、豊島の土着豪族池田教依が築いたのが始まりで、代々池田氏が城主を務めました。築城当初は、主郭部分と小さな曲輪が取り付けた小規模な城であったそうです。主郭の中には、枯山水風の庭園が築かれており、戦闘防御施設の中に文化施設が設けられ、この時代から城は生活の場所でもあったことがわかります。池田氏は次第に勢力を強め、それに伴い、15世紀後半の充正の時代には摂津守護細川氏の有力な家臣で、充正は三の丸を拡張するなど城の規模拡大をはかりました。1508年、池田貞正は細川高国と戦い、落城しましたが、嫡子久宗が池田城を奪回。1568年、織田信長の摂津入国に際して信長の軍門にくだり、摂津三守護に任じられています。その後、池田氏の内紛に乗じて荒木村重が池田城を支配する下克上を起こしました。これにより村重が伊丹城に移り有岡城に改築し、南北朝時代以降分郡支配体制だった摂津が、村重の一国一大名体制になりました。ですが、その後、信長に村重が謀反を起こし、1年近く抵抗。その際、池田城に織田軍が入城し、陣を張ったそうです。1579年11月に有岡城は落城し、翌年、信長の命により池田城は廃城となりました。

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現在は「城跡の歴史を感じられる憩いの場」として池田城跡公園が整備され、門や櫓風の展望台が設けられています。


【交通アクセス】
鉄道アクセス 阪急電鉄宝塚本線池田駅から徒歩15分

【近隣の高校】
大阪教育大学附属高等学校池田校舎

1956 年4 月に創設され、来年、創立60 周年を迎えます。高校としての教育を実施するとともに、大阪教育大学の附属学校として教育の実践的研究や教育実習生の受け入れ等を行なっています。各学年4クラス、全校で約480 名の生徒が通っています。国際枠による入試も行い、帰国子女の生徒が多くいます。また、海外からの留学生も多く、併せて生徒の海外留学も盛んに行われています。2003年度からユネスコ協同学校(ASPnet)に加盟し、世界各地の加盟校と共同して国際理解教育を実施しています。また、2005年度までの3年間、文部科学省からスーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクール(SELHi)に指定され、英語教育の研究と実践的な教育活動に取り組むなど「国際教育」も当校の特徴です。卒業生は様々な業界で活躍していますが、特にアナウンサーをはじめ、メディア関連が目立ちます。



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