作詞は売れっ子の阿久悠で、青春時代のちょっぴりほろ苦い哀感を込めて綴っている。歌詞を見てみよう。「青春時代が夢なんて/あとからほのぼの思うもの/青春時代のまん中は/道にまよっているばかり」と一番にある。二番の最後は「青春時代のまん中は/胸にとげさすことばかり」である。
決して明るい歌ではなく、阿久悠はたぶん自分の経験を歌に込めたのだろう、と思われる。ところが森田公一のメロディが、その暗さをすっかり吹き飛ばして、青春謳歌にしてしまっている。ネット上に特別な記述はないが、詞が最初にできた歌なのだろうか、と思ってしまう。この乖離がこの楽曲のポイントになるのだろうが、まあ、二人とも若く、多少のことにこだわりがなかったのではないか。
それにしても、ミリオンセラーの売れ行きになったのは、やはりメロディに負うところが大きい。よく歌番組のフィナーレで登場歌手全員が歌っているシーンを見かけるが、それほど調子のいい歌なのである。
比べるのは無理があるにしても、やはりペギー葉山の「学生時代」なのだろうか。こちらも学校生活の讃歌である。暗さはなく、良き想い出を歌い上げるパターンだ。ただ時代がタイトルに付いているからという程度の近似値か。
その後の森田公一の作曲家としての活躍は目覚ましい。ジャパン・ポップスの走りといってもいいだろう。演歌・歌謡曲でもなく、かといってフォークでもない。どちらに偏することなく、自らの信じる道を歩んでいる。作品を見ると、アグネス・チャンの『ひなげしの花』、天地真理の『ひとりじゃないの』、河島英五の『時代おくれ』、和田アキ子の『あの鐘を鳴らすのはあなた』などがある。『あの鐘…』は、阿久悠の作詞である。
最近の森田公一の活躍はあまり聞かない。現在は七八歳で、すでに高齢であり、作曲という感性を必要とする仕事には向かなくなっているのだろうか。あのまま歌手としていっても、たぶん成功したろうが、ご多分に洩れず、晩年は演歌に進んだとしたら面白い。森田公一の演歌は聴きたいものである。チャレンジして、新しい演歌の地平を拓いてくれれば、と想像してしまう。