団塊ソングスのブログ

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  青春時代(一九七六年)
 
 作曲家として有名な森田公一がトップギャランを率いて歌って、ミリオンセラーを記録した楽曲である。この楽曲を歌っていた森田公一は、まだ歌手だった。作曲家としてすでに名を馳せ、その森田がヒット曲を飛ばした、と記憶していたが、順序は逆だった。そのデビューは一九六九年だった。ミリオンセラーになったのは、一九七七年だったから、デビュー後九年を経過していた。
 作詞は売れっ子の阿久悠で、青春時代のちょっぴりほろ苦い哀感を込めて綴っている。歌詞を見てみよう。「青春時代が夢なんて/あとからほのぼの思うもの/青春時代のまん中は/道にまよっているばかり」と一番にある。二番の最後は「青春時代のまん中は/胸にとげさすことばかり」である。
 決して明るい歌ではなく、阿久悠はたぶん自分の経験を歌に込めたのだろう、と思われる。ところが森田公一のメロディが、その暗さをすっかり吹き飛ばして、青春謳歌にしてしまっている。ネット上に特別な記述はないが、詞が最初にできた歌なのだろうか、と思ってしまう。この乖離がこの楽曲のポイントになるのだろうが、まあ、二人とも若く、多少のことにこだわりがなかったのではないか。
 それにしても、ミリオンセラーの売れ行きになったのは、やはりメロディに負うところが大きい。よく歌番組のフィナーレで登場歌手全員が歌っているシーンを見かけるが、それほど調子のいい歌なのである。
 比べるのは無理があるにしても、やはりペギー葉山の「学生時代」なのだろうか。こちらも学校生活の讃歌である。暗さはなく、良き想い出を歌い上げるパターンだ。ただ時代がタイトルに付いているからという程度の近似値か。
 その後の森田公一の作曲家としての活躍は目覚ましい。ジャパン・ポップスの走りといってもいいだろう。演歌・歌謡曲でもなく、かといってフォークでもない。どちらに偏することなく、自らの信じる道を歩んでいる。作品を見ると、アグネス・チャンの『ひなげしの花』、天地真理の『ひとりじゃないの』、河島英五の『時代おくれ』、和田アキ子の『あの鐘を鳴らすのはあなた』などがある。『あの鐘…』は、阿久悠の作詞である。
 最近の森田公一の活躍はあまり聞かない。現在は七八歳で、すでに高齢であり、作曲という感性を必要とする仕事には向かなくなっているのだろうか。あのまま歌手としていっても、たぶん成功したろうが、ご多分に洩れず、晩年は演歌に進んだとしたら面白い。森田公一の演歌は聴きたいものである。チャレンジして、新しい演歌の地平を拓いてくれれば、と想像してしまう。
 
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  人生一路(一九七0年)

 歌手生活三五周年の記念リサイタルが日本武道館で行われた。ここで歌った『人生一路』は凄まじかった。エネルギッシュに舞台上を駆け回り、はち切れんばかりに歌い上げた。たまたま私はこのシーンだけを見る機会があって、思わず吸い込まれた。上手い下手を通り越して、ステージと客席を一体化した別世界を創り上げていた。ひばりも当時はやや太り気味で元気だった。その点、最後の東京ドームの不死鳥リサイタルでのこの楽曲は、違った味わいになったのは、無理がなかった。
 武道館ではひばりはこの楽曲を、客席に向かって挑むように歌っている。ひばりの視線と客席の視線が空中でぶち当たり、火花を散らしているような盛り上がり方だった。前述の不死鳥リサイタルでは、もっと内省的な歌い方になっていた。体調と年齢がそうさせたのだろうか。ただこの歌い方を否定するのではないが、あまりに武道館の歌唱が強烈だったのだろう。
 作詞は演歌の大家の石本美由紀。もともとこの楽曲は、松竹映画の『美空ひばり・森進一の花と涙と炎』の主題歌として制作されたもの。映画の内容については、特段の記述がないから、大した映画ではなかったのだろう。歌詞を見てみよう。一番は「一度決めたら 二度とは変えぬ/これが自分の 生きる道/泣くな迷うな 苦しみ抜いて/人は望みを はたすのさ」とある。苦労をして夢を実現する、とストレートに表現している。歌詞は村田英雄の『王将』などに通じるド演歌ではあるが、メロディが軽快でそれを救っている。
 ネット上の情報によれば、ひばりは好んでこの楽曲を採り上げている。不死鳥リサイタルでも締めに歌った。自分の生き方を鼓舞するこの歌が好きだったというのがありそうだが、やはり作曲が実弟のかとう哲也で、それが気持ちの中に占めていたのではないか。なにより家族を大事にして、結局弟二人は期待に反して無頼に堕した。しかし、歌は裏切らない。この楽曲を歌うことによって、果たされなかった家族と寄り添うことができる、と思っていたのだろう。
 三番の歌詞は「胸に根性の 炎を抱いて/決めたこの道 まっしぐら/明日にかけよう 人生一路/花は苦労の 風に咲け」と、一番のテイストと変わりはない。ひばりが『川の流れのように』を与えられた時に、私の最後の歌になりそうな曲、と感想を漏らしたとか。こちらも人生を歌っているが、『マイウェイ』のように人生を振り返っている。ところが『人生一路』は前向き、明日に向かって生きることを歌い上げる。翳りはまるでない。ひばりはこの明るさが大好きだったのだろう。

 

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  ムーン・リバー(一九六二年)

 右目が白内障、左目が眼底出血でモノが見えづらくなり、アップロードをお休みした。原則二週ごとのアップロードは守っていく方針である。洋楽のエッセーは、ジョン・デンバーの『カントリーロード』以来である。音楽を最初に馴染んだのは洋楽であるのだが、やはりエッセーを書くとなると縁遠くなるものだ。メロディよりも歌詞に重きを置いているエッセーだからかもしれない。
 それでこの『ムーン・リバー』であるが、私はこの映画『ティファニーで朝食を』を映画館で観ている。ロードショーでなく、何と併映していたか忘れてしまったが、二〇歳前でもっとも映画を観ていた時期だった。アクションから前衛モノまでジャンルは問わなかったが、その中で最高に都会的でお洒落な映画がこれだった。冒頭、オードリー・ヘップバーンがパンを食べながら、ニューヨークの街をそぞろ歩くシーンは衝撃的ですらあった。こんな世界があるんだ、と唸ったのを記憶している。
 原作はトルーマン・カポーティー。ネットの情報によれば、カポーティーは映画化にあたって、主役はマリリン・モンローを、と注文をつけた。しかしモンローは娼婦の役を嫌い断った。それがヘップバーンに回り、あれほどのエレガントなファーストシーンが残ることになった。監督はブレーク・エドワードで、『酒とバラの日々』や『ピンクパンサー』で知られている。共演はジョージ・ぺバード。後年は『トラック野郎Aチーム』のボスとして活躍、いつも葉巻を加えて演技していたが、肺がんで逝った。印象に残ったのは『西部開拓史』の保安官だった。
 この二人の恋愛ドラマがこの映画で、ぺバードが売れない作家、ヘップバーンが高級娼婦という設定で、たぶんヘップバーンを表す言葉に瘋癲が使われたのは、この映画が最初だったのではないか。劇中、窓辺でヘップバーンが『ムーン・リバー』をギター片手に歌う。哀調を帯びたハスキーな声音で、思わず聴き入った。作曲はヘンリー・マンシーニ。映画音楽の大家である。歌詞の意味は、同じ夢を追いかける二人の想いを歌っているが、ちょっと難解。直訳ではたぶんヒットしなかったろう。
 月の川ならば、やはり愛し合う男女の求め合う心を平易な言葉で紡ぐ、というのが手法であろう。それが難しいところで、ピアフの『愛の讃歌』も岩谷時子の訳がなければ、あれほどヒットしなかったであろう。この劇中歌を試写で聴いた映画会社の社長がカットを要求したが、ヘップバーンが断固拒否したというエピソードも伝わっている。難解さが忌避されたか。この歌と比較できるのはモンローの『帰らざる河』。映画の中でさりげなく名曲が歌われた時代だった。


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