「知識をひけらかす」という表現が、理系の人間には意味がない。
なぜなら、知識量というものは、科学の分野では特別求められない。
科学者が問題にするのは、方法論であり、自由な発想である。
ある程度の知識量は必要であるけれど、知識を持つ事が「偉い」という感覚を持つことは、まずないと言っていい。
知識豊富な事は、別に尊敬される傾向ではないから、そんなことで自慢ができると言う発想さえない。
知識というものは知っているものは知っている、知らないものは知らない、というだけの話だ。
一方方法を習得したものは、同種の他の問題を解決する能力を持っている、と理系の人間は評価する。
これが解けるのならば、このレベルの問題までは任せる事が出来る、と考えるからだ。
これが生西が森さんに共感する最たる理由だと思っている。
数学や物理のテストで、なぜ公式ぐらい載せておかないのだろう?と思ってたぐらいだ。
大切なのは、何をどう使って答えを導くか?ではないのかと疑問に思っていた。
ただそう言ってくれる高校教師が生西の周りにはいなかった。
「受験のためのテクニック」「分からなければ解き方を暗記しておきましょう」などという言葉は覚えている。
数学が大好きだった生西は、あの時心から怒ったし、絶望した。
社会に出て働くようになれば、この方法論とか自由な発想がいかに大切か?が分かると思う。
確かに知識が豊富であれば、早く解決できるし、解決できる確率もあがる。
ただ知らなければ調べれば良い。
一方何か新しい方法を生み出すのは、そういう考え方を身につけておかなければ出来ない。
繰り返し行う単純な作業さえ、どうすればもっと効率があがるか?を考える時、自由な発想が必要になる。
しかし悲しい事に、自由に発想し、発言すると、安定化した組織や、安住を望む人からは煙たがられる。
今のままでいいじゃん・・・面倒くせぇ・・・という話になる。
今のままで良い事もある。
革新や革命の全てを認めるわけではないし、憧れているわけでもない。
大切なのは、フェアに議論して、他人や組織や日本や世界にとって、より有益な方を選択しようとする精神だ。それは社会情勢や技術の進歩によって、日々変化するものである。
自分の都合や幸せを一番に考えていると、ただの喰いあいになる。
いや、少し語弊があるか。
自分のことを一番に考えても良い。
普通はある程度自分に余裕が無ければ、なかなか他人に目を向けることはできないからだ。
生きていける余裕があるなら、ギリギリのラインにいる人をそこまで引き上げる優しさを持とうと言う話である。
その優しさを示す一つの手段が、考えることである。
どうすれば自分の回りにいる人が、ほっこりした気持ちになれるんだろうか?と考える。
自分の立場や状況、それぞれに応じた回答でいい。正解などない。
ただ考える癖をつけておかないと、自分主導ではありえなくなる。
ひとつの可能性が死ぬ事になる。
ぜんっぜん科学的やないやん!と突っ込まれそうだ。
科学的である必要などない。
科学的な思考、冷静に物事を論理立てて考えることは、優しさにも繋がりますよ、という解説である。
うなずいてくれる人が一人いれば、ひとつほっこりの可能性が増える。
めんどうくせぇこと書いてんな、と思われると困るが、それは生西の解説が悪いのだと反省する。他人のせいにしてもストレスになるだけだし、いざこざと負の連鎖しか起きないからだ。これも経験と科学的思考から生まれた。
自分の発言や行動から生じる結果の責任は、全て自分にある、と覚悟する。
もし考えていた結果が得られなかったとしたら、それは自分の読みが甘かったからだ。
そう考えるのは一番ストレスにならないし、自分を成長させる。
偶然にも今週のハンターハンターで、ジンが同じような事を言っていた。
素晴らしい。
科学同様、漫画からも学ぶべき事はたくさんある。
先入観や偏った思想で、子供たちから多くの選択肢を奪うのだけは止めた方が良い。
話が尽きない。
この辺にしておこう。
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