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 政治は結果責任である。戦争という国民に多くの犠牲を強いる結末に導く指導者と、平和と繁栄をもたらすリーダーとを比べれば、後者のほうが政治家としては成功である。

 前者がいかに人格高潔の士であっても、そのことはマイナスの結果を修復してくれるものではない。また、後者が道徳的に疑問符のつくような人間であっても、それが輝かしい成果を台無しにすることはない。

 それでは、どうすればプラスの結果を上げることができるのであろうか。まずは目標を立てる。その際に正確な現状分析と、将来への先見性が必要である。その上で、あらゆる政治の技術を駆使して、その目標への到達を目指す。

 その技術のことを政治力と言ってもよい。ある法案が国会で通ったときなど、「それは○○先生の政治力のおかげだ」などと言われることがある。

 国会における「国対政治」の場は、その技術を発揮するためにある。あえて下品な表現を使えば、古今東西、「カネ、酒、オンナ」が道具として活用される。私も国会議員のとき、野党の議員と何度も「国対メシ」を食べたものである。

 良い目的のためなら、どのような手段を使ってもよいのかという疑問が常に呈される。しかし、政治の世界では「手が汚れる」ことを避けることはできず、「マキャベリスト」という非難を甘受せざるをえないのである。

 マックス・ヴェーバーは言う。「世界がデーモンによって支配されていること、そして、政治に関係する人間、つまり、手段としての権力や暴力性に関係を持つ人間は悪魔と契約を結ぶものであること、そして、善からは善だけが生じ、悪からは悪だけが生じる、というのは彼の行為にとって真実ではなく、往々、その逆が真実であること、これを古代のキリスト教徒たちは非常によく知っておりました。これを知らない人間は、実は、政治的には子供なのであります」(『職業としての政治』1919年6月、ミュンヘン大学における講演)。

 まさに、政治の世界は道徳や信仰の世界とは違うのである。政治は「責任倫理」が、宗教や道徳は「心情倫理」が支配する。「キリストは正しきを行い、その結果を神に委ねたもう」という宗教家と対極にあるのが政治家であり、「自分の行為の責任を負う」という原則に従って行動するのである。

 政治の世界では、目的と手段の緊張関係が生まれるのは当然である。それは、政治にとって決定的な手段が暴力性、つまり強制力だからである。この観点からも、「平和の支配」としての政治の意味が大きくなる。

 マキャベリは言う。「君主が信義を守り、誠実に奸策を用いずに生きることがいかに称賛すべきことであるかは誰もが知っている。にもかかわらず毎日の経験からすれば、信義など無視し、奸策でもって人々の頭脳を騙している君主のほうが、大事業をなしてきている。しかも最終的には彼らのほうが誠実である君主を圧倒してきているのである」(『君主論』1532年)。

 

 

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 安保騒動で揺れた岸内閣から経済優先で低姿勢の池田内閣への移行は、長期政権を担う自民党の知恵と言ってもよい。金脈問題で田中角栄内閣が退陣すると「クリーン三木」の三木武夫内閣が誕生する。中選挙区制下で、三角大福中という五大派閥がしのぎを削り、政策も右から左まで揃えた自民党が、首相交代を疑似政権交代とイメージさせるのに成功したのである。

 しかし、「平和な支配」という観点からは、「目立つ政治」から「目立たない政治」、つまり悪政から善政へと舵を切ったのであり、「調停の技術」としての政治を復権させることで、政権維持を可能にしたのである。

 ところで、大衆が、エリック・ホッファーのいう「情熱的な精神状態」になり、「活動的な大衆運動」を起こすと、狂信と不寛容が生まれる。ナチズムがそうであり、またテロを繰り返すISのようなイスラム原理主義もまた狂信的な運動であり、そのフォロワーたちは、自己犠牲や献身を厭わない。

 エーリッヒ・フロムは、名著『自由からの逃走』(1941年)で、「自由が近代人に独立と合理性を与えたが、同時に個人を孤独にし、不安で無力なものにした」という。そのため、「自由の重荷から逃れて新しい依存と従属を求める」ようになり、それが「ナチズムの成功の心理的基盤」となったと分析する。

 そして、ナチズムを支持した人々について、ホッファーは次のように記す。「自由の基本テストは、何に対してする自由をもつか否かより、むしろ何に対して、しない自由をもつか否かであろう。全体主義体制を不可能ならしめるのは、慎む自由、身を引く自由、やめる自由である。行動に淫した人びとは、能動的な全体主義体制においておそらく不自由とは感じないであろう。ヒトラーが、将軍、技師、科学者たちを味方にひきいれるのに成功したのは。かれらを説教したからではなく、かれらが求める以上のものを与え、限界をこえて進むことを奨励したからである」。(『情熱的な精神状態』)

 フロムの言う「自由の重荷」に耐えられない孤独な人々は、自ら思考することをやめ、権威にすがりつく。そして、大衆運動の中に入っていく。全体主義体制を維持していくためには、この「行動に淫した」者たちを、常に前へ前へと進ませていかなければならない。

 ヒトラーのファシズムやムッソリーニのファシズムは、常に大衆動員の運動を続けていった。ヒトラーは、「大衆は自由をもてあまし、往々途方にくれてしまうものである」と言い、常に行動へと駆り立てるのである。全体主義体制においては、そのような無限軌道のような行動への呼びかけが必要であり、それをシグマンド・ノイマンは「恒久の革命(permanent revolution)」と呼ぶ(『大衆国家と独裁—恒久の革命』1942年)。

 戦争は、そのような大衆運動を沈静化させないための手段として有効である。ヒトラーは、生存圏(Lebensraum)」の確保の名目で対外膨張戦争を続けた。ホメイニ体制下のイラン・イラク戦争も大衆動員に役立った。北朝鮮の独裁者もまた、常に戦争の危機を煽り、党や軍の創立記念日、祖父や父親の生誕記念日などに国民を動員し、派手なマスゲームや軍事パレードを展開している。

 戦争は、「平和な支配」としての政治とは対極的なものである。

 

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 政治が目立たないことが善政であるが、それは人々から政治的関心を奪い取ることとは違う。政治的無関心、つまりアパシーとは善政によってひき起こされるものではない。

 アパシーは、むしろ悪政が惹起するものである。過剰な政治は、ときとして国民に絶望感を持たせる。政治家による「出力(アウトプット)」に対して、国民が「反応(フィードバック)」して、それが政治過程に「入力(インプット)」されることによって、代表民主政に期待される機能が全うできる。

 そのようなフィードバックが起こらなければ、政治家が政策の軌道修正をすることができなくなる。それは、「希少資源の権威的配分」という機能が十全に果たせないことを意味し、「平和な支配」としての政治が行われないことになる。

 全体主義国会においては、下手に政治的関心を持つと生命の危険すらある。そこは自由な経済活動に従事できるような環境ではなく、独裁者の指示に従うしかない。今日において、その典型は北朝鮮であり、中国やロシアにおいても、程度の差こそあれ、過剰な政治的関心は禁物である。

 ワイマール共和国のように多数の政党が分立し、「決められない政治」は、大衆に政治的疎外感を抱かせ、カール・シュミットの言うように「決断」のできる指導者を大衆は渇望する。「大衆の喝采」、つまり熱狂によって登場したのがヒトラーであった。「主権者とは、例外状況について決定をおこなうものである」。

 熱狂とアパシーとは、実は表裏一体と言ってよいのかもしれない。

 鼓腹撃壌とは逆に、自分の生業を投げ捨てて街頭行動に時間とエネルギーを費やすような状況を生み出すのは悪政であり、「平和な支配」ではない。デモのような熱狂に国民を導くような事態は避けねばならない。エーリック・ホッファーは、その著『大衆運動』の中で、大衆の熱狂について分析している。

 ファシズムやナチズムの特色を大衆の熱狂という観点から描き出したホッファーは、「活動的な大衆運動がひきおこす熱情は、運動がなければ創造的な仕事に注がれていたであろう精力を枯渇させる」と喝破する。そして、「熱狂的な精神状態は、それだけであらゆる形態の創造的活動を窒息させる可能性がある」ことに注意を促すのである。

 ホッファーのアフォリズム『情熱的な精神状態(The Passionate State of Mind)』もまた、短い文章ながら、大衆の熱狂が現代の独裁を生み出したことに警告を発している。

 因みに、小泉純一郎や小池百合子が展開したような劇場型政治は、大衆の「情熱的な精神状態」を作りだし、大きな政治変動をもたらしたが、指導者の力に陰りが見えると、大衆の熱狂は急速にしぼんでいく。

 1960年の安保闘争のときに、国会は「安保反対」を叫ぶデモ隊に囲まれ、東大の女子学生が死亡するという流血の惨事となった。これは「活動的な大衆運動」であり、政治が目立ちすぎる点では悪政である。そして、岸信介首相の退陣という結末となった。

 岸の後継の池田勇人は、「低姿勢」、「寛容と忍耐」のスローガンの下、所得倍増論を打ち出し、過剰な政治的関心を経済活動のエネルギーへと転換させた。これは「平和な支配」を回復させる知恵であったとも言えよう。

 

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