京都 興正寺・西本願寺
続きまして、西本願寺へ。
こちらも何度目かに訪れるお寺です。
その前に、こちらへも。
円頓山興正寺にも訪れました。
西本願寺のお隣にあるお寺です。
三門もお堂もすごく大きく、境内も広い寺院です。
昔は西本願寺の脇門跡、つまり同系統のお寺だったようですが、明治初期に真宗興正派として独立しています。
ちなみに西本願寺は浄土真宗本願寺派。
参拝をすませて、西本願寺へ。
こちらは阿弥陀堂門。
重要文化財に指定されている門です。
西本願寺には、国宝に指定されている唐門があるのですが、今回はそちらへは行きませんでした。
というか、まだ一度も行ったことがありません。
なぜなら、西本願寺広すぎるから
主に時間等々の関係で、堀川通沿いしか毎度歩かないんですよね・・・。
次回訪れる際には見ようと思います。はい。
西本願寺は、とにかく広くて、お堂も大きいんです。
こちら、御影堂。
こちらも国宝に指定されていますよ。
というか、西本願寺の建物のほとんどが国宝か重要文化財なのじゃないかと思います。
境内には寺カフェが期間限定でオープンしていました。
中は小奇麗なフードコートみたいな印象でした。
5月31日までだそうですよ。
こちら、西本願寺の一角にあります、太鼓楼。
新選組が使用していた建物です。
この太鼓楼と北集会所を屯所にしていたんですね。
~新選組は、「池田屋騒動」(元治元<1864>年)以降隊士が増え、壬生の屯所では狭くなったこともあり、慶応元(1865)年3月10日、屯所を壬生から本願寺に移し、境内に「新選組本陣」の看板を掲げ、北東にあった北集会所と太鼓楼を使用しておりました。
本願寺は、長州との深い縁もあり、幕末の尊王攘夷運動のなかで幕府と対立していた長州藩士たちが、何かにつけて本願寺を頼りにしていたため、新選組は本願寺のなかに本拠を移すことによって一石二鳥の効果をねらったものでありました。
新選組は、境内で大砲を轟かせたり、実弾射撃をおこなったり、乱暴を繰り返したため参拝の門信徒や僧侶らを震撼させる毎日であったそうであります。~
(説明板より)
新選組が傍若無人にふるまっているように感じる記述ですが、新選組側も多少は気を使っていたらしいですよ・・・。
ちなみに現在、北集会所の建物は姫路の亀山本徳寺にあります。
→ 亀山本徳寺レポ
西本願寺はこちら↓
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次回レポは島原へ