山口 洞春寺・井上馨分霊塔 | 幕末明治&史跡好きのRinkoの何か。

山口 洞春寺・井上馨分霊塔

2泊3日山口の旅、3日目。続きまして。

山口大神宮から旧藩庁門や県政資料館を通り、10分ほど歩いて向かいましたのが。




洞春寺

上の写真は国の重要文化財にも指定されています、山門

でかでかと毛利家の家紋があることからもわかりますように、毛利家ゆかりのお寺です。

というか、毛利元就の菩提寺です。




洞春寺のあるこの場所は、1404年に大内氏(大内盛見)が建立した国清寺というお寺がありました。

山門はその国清寺の創建当時のものといわれているそうです。





こちらは鐘楼門



洞春寺は、毛利輝元が現在の広島県安芸高田市に建立したのがはじまりのようです。

安芸郡山城近くにある毛利元就墓所の近くに、洞春寺跡がありますね。

いつか行ってみたいニコニコ

その後、萩城内に移転、明治2年に現在地に移転され、現在に至るとのこと。

萩城跡近くにも洞春寺跡の説明板があるようですよ。







こちらは本堂

おそらく中も見せてもらえるようなのですが、私が訪れた時はどうやら法事か何かの直前で、お坊さんが集まってなにか準備をしていてバタバタしていたようでしたので、遠慮しました。





そんな忙しそうな中、快く御朱印を書いていただけました。ありがとうございます!







こちらもいただきました。



正宗山洞春寺、というんですね。



洞春寺には、重要文化財に指定されている観音堂もあるのですが。

今回、見るの、忘れた気が、する・・・ガーン





実は、私がこちらを訪れた目的は。

こちら。





井上馨の墓所、があります。


井上馨、幕末期は藩主からもらった“聞多”と名乗っていました、彼の墓所は東京・麻布の長谷寺にありますが、その分骨を分けてつくられたそうです。

墓所の奥、本堂の裏側にあります。







井上馨分霊塔。


ちなみに。

洞春寺は、功山寺挙兵後の長州藩の内乱“元治の内乱”の際に聞多が総督になった鴻城軍の屯所になったそうですよ。






聞多分霊塔と並んで、奥さんの武子さん、息子さん夫婦の分霊塔などもあります。






洞春寺はこちら。




→ 山陰山陽の史跡・名所