山口・萩城城下町 高杉晋作誕生地
続きまして。
高杉晋作誕生地。
幕末長州藩を代表するお方ですね
高杉家、現在の敷地は当時と比べて縮小されていて、南側半分が公開されています。
前回訪れた際のものっそい軽い調子のレポはこちら。
高杉さん初湯の井戸。
高杉さんの歌碑。
西へ行く人をしたひて東行く 心の底そ神や知るらむ
龍馬さんの「世の人は我を何とも言わば言え 我なす事は我のみぞ知る」に近しいものを感じます。
理解されない苦しさというか・・・うまく言えませんが
龍馬さんの句は逆境を跳ね返す力強さを感じますが、高杉さんはどことなく繊細さを感じる気がします。
ちょっとぼやけてしまいましたが。
こちら、鎮守堂。
当時からここにあるものだそうですよ。
庭の奥にあります、高杉晋作誕生之地碑。
旧宅内では高杉さんに関する品や説明を展示しています。
なんていうか、苛烈な人生を送った人ですよね。
この時代に生きた志士と呼ばれる方々は、みんなそうなんですが。
高杉さんの諱(本名)は“春風”、字(あざな)は“暢夫”。“晋作”は通称ですね。
他にも雅号“東行”などもありますし。
そして、元治2年(1865年)には廃嫡され、高杉ですらなくなっています。
藩命により“谷潜蔵”と改名し、谷家を創設して初代当主になっていたそうな。
明治20年に高杉さんの遺児、谷梅之進さんが高杉東一と改名し、現在に至っているそうです。
高杉本家は義兄が継いだんだそうですよ。
高杉晋作誕生地はこちら。
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