京都・八木邸 前川邸 新徳禅寺
続きまして。
壬生寺のお隣。
写真撮りにことごとく失敗しておりますが
新選組の旧壬生屯所、八木邸があります。
幕末、将軍・徳川家茂の上洛に先がけて江戸で募集した人員からなる浪士組が京都に到着し、宿泊先になったのが、八木家や前川家でした。
その後いろいろありまして(分裂とか内輪揉めとか粛清とか)。
この浪士組が会津藩御預かり・新選組の前身になります。
今回は時間がなかったのでできませんでしたが、解説付きで内部の見学ができます。
刀傷とか、芹沢鴨が暗殺された部屋なども見ることができます。
ちなみに内部見学の受け付けは隣の和菓子屋さんでやってます。
抹茶&茶菓子付きなので、チケットはちょっとお高め。
でも新選組好きなら一度は見てみたいですよね
こちらは新徳禅寺。
壬生寺の道を挟んで向かい側にあります。
浪士組のリーダーだった清河八郎が、将軍の先がけとして募集して京都に連れてきた佐幕派である浪士組に対し、本当の目的は将軍の守護ではなく尊王攘夷の先鋒になることだ、という演説をしたのが、こちらの本堂です。
浪士組は江戸に戻ることになりましたが。
近藤さんはじめ試衛館メンバーや芹沢鴨率いる一派は、あくまでも将軍警護のため、と京都に残ることを選択しました。
こちらは旧前川邸。
池田屋事変のきっかけとなる、勤皇派の志士古高俊太郎の取り調べが行われたのは、この前川邸の蔵。
そして試衛館時代からの仲間、山南敬助が切腹したのも、前川邸。
この門の前で長州の間者として楠小十郎が斬られたり・・・。
こちらは現在、内部は人が住んでいらっしゃるので非公開ですが、土日祝日には門の内側でグッズを売ってたりします。
私が訪れた日は、残念ながら平日でした
なので、前回訪れた際の写真をば
↓
以前訪れた際ゲットした、前川邸の内部図。
50円くらいで売っていたと思うのですが、今でもあるのかな?
場所はこちら
↓
より大きな地図で 京都の史跡・名所 を表示
壬生寺のお隣。
写真撮りにことごとく失敗しておりますが
新選組の旧壬生屯所、八木邸があります。
幕末、将軍・徳川家茂の上洛に先がけて江戸で募集した人員からなる浪士組が京都に到着し、宿泊先になったのが、八木家や前川家でした。
その後いろいろありまして(分裂とか内輪揉めとか粛清とか)。
この浪士組が会津藩御預かり・新選組の前身になります。
今回は時間がなかったのでできませんでしたが、解説付きで内部の見学ができます。
刀傷とか、芹沢鴨が暗殺された部屋なども見ることができます。
ちなみに内部見学の受け付けは隣の和菓子屋さんでやってます。
抹茶&茶菓子付きなので、チケットはちょっとお高め。
でも新選組好きなら一度は見てみたいですよね
こちらは新徳禅寺。
壬生寺の道を挟んで向かい側にあります。
浪士組のリーダーだった清河八郎が、将軍の先がけとして募集して京都に連れてきた佐幕派である浪士組に対し、本当の目的は将軍の守護ではなく尊王攘夷の先鋒になることだ、という演説をしたのが、こちらの本堂です。
浪士組は江戸に戻ることになりましたが。
近藤さんはじめ試衛館メンバーや芹沢鴨率いる一派は、あくまでも将軍警護のため、と京都に残ることを選択しました。
こちらは旧前川邸。
池田屋事変のきっかけとなる、勤皇派の志士古高俊太郎の取り調べが行われたのは、この前川邸の蔵。
そして試衛館時代からの仲間、山南敬助が切腹したのも、前川邸。
この門の前で長州の間者として楠小十郎が斬られたり・・・。
こちらは現在、内部は人が住んでいらっしゃるので非公開ですが、土日祝日には門の内側でグッズを売ってたりします。
私が訪れた日は、残念ながら平日でした
なので、前回訪れた際の写真をば
↓
以前訪れた際ゲットした、前川邸の内部図。
50円くらいで売っていたと思うのですが、今でもあるのかな?
場所はこちら
↓
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