函館・称名寺 新選組屯所跡
史跡レポ、続きましては。
高龍寺から歩いてすぐ。
向かい側に学校がありまして、運動会が開催されていて賑やかでした
護念山称名寺。
函館最古という高龍寺に次ぐ、古い寺院だそうです。
移転や何度か大火で建物は焼失し、昭和4年(1929年)に現在の建物が完成したとのこと。
函館開港当初は、イギリスとフランスの領事館としても利用されていました。
そしてこちらには。
土方歳三と新選組隊士の供養碑があります。
称名寺は、新選組隊士含む旧幕府軍兵が弁天岬台場の守備に入る前までの、新選組の屯所として利用されていました。
土方家の菩提寺である日野市の金剛寺(高幡不動尊)の過去帳には、函館称名寺に供養碑を建てたという記述があるそうです。
しかし、大火などで失われたのか供養碑は現存しないため、この碑は昭和48年に有志が建立したものだということです。
碑の下方に、4人の新選組隊士の名前(野村利三郎・糟谷十郎・栗原仙之助・小林幸三郎)がありますが、これは称名寺墓地にあった供養碑が昭和29年に台風で壊れてしまったので、この碑に刻まれたのだそうです。
称名寺はこちら。
↓
より大きな地図で 函館 を表示
高龍寺から歩いてすぐ。
向かい側に学校がありまして、運動会が開催されていて賑やかでした
護念山称名寺。
函館最古という高龍寺に次ぐ、古い寺院だそうです。
移転や何度か大火で建物は焼失し、昭和4年(1929年)に現在の建物が完成したとのこと。
函館開港当初は、イギリスとフランスの領事館としても利用されていました。
そしてこちらには。
土方歳三と新選組隊士の供養碑があります。
称名寺は、新選組隊士含む旧幕府軍兵が弁天岬台場の守備に入る前までの、新選組の屯所として利用されていました。
土方家の菩提寺である日野市の金剛寺(高幡不動尊)の過去帳には、函館称名寺に供養碑を建てたという記述があるそうです。
しかし、大火などで失われたのか供養碑は現存しないため、この碑は昭和48年に有志が建立したものだということです。
碑の下方に、4人の新選組隊士の名前(野村利三郎・糟谷十郎・栗原仙之助・小林幸三郎)がありますが、これは称名寺墓地にあった供養碑が昭和29年に台風で壊れてしまったので、この碑に刻まれたのだそうです。
称名寺はこちら。
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