会津・阿弥陀寺 斎藤一墓所
会津旅行記、続きましては。
新選組ゆかりのスポットでもあります。
正覚山阿弥陀寺。
横から本堂。
確か私、前回も勘違いしていたような気がします。
こちらの阿弥陀寺には、鶴ヶ城から小天守にあたる御三階という建物が移築されているのですが。
私↑が御三階だと思ったんですよね
勘違いの原因は、前回も今回も横の入り口から入ったせいだと思います・・・。
というわけで、上の写真の左側に写っているのが、御三階です
戊辰戦争で焼けてしまった本堂の代わりに、鶴ヶ城から移築し仮本堂としていたそうです。
そしてこちらにありますのが、藤田家の墓所。
新選組三番隊組長・斎藤一のお墓です。
“鳥羽伏見の戦い等を経て、会津若町城下に入り負傷した土方歳三に代わって新選組隊長となり、会津戊辰戦争を戦った。しかし西軍が城下に迫った時、「会津候(松平容保)あっての新選組、会津を見捨てることはできない」と隊士十余名と会津に残り仙台へ向かった土方と別れた。
会津藩降伏後は一瀬伝八と名乗り越後高田に幽閉。明治三年斗南へ移る際藤田五郎と改名。その後上京し警視庁に入り、容保の媒酌により会津藩士高木小十郎の娘時尾と結婚。警視庁においては西南戦争へ出陣するなど活躍。その後東京教育博物館等へ奉職し、1915年(大正四年)七二歳で逝去。後半生を会津人として生きた本人の希望によりここ阿弥陀寺に眠っている”
説明板より。
ほかにも。
明治戊辰戦役殉難者墓があります。
阿弥陀寺はこちら。
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