神戸ルミナリエはご存じのとおり阪神大震災の犠牲者への鎮魂と都市復興の祈りをこめ、毎年12月に行われます。

だからクリスマスまでやっていません。

震災後1回限りの予定で開催されましたが、被災者を勇気づけるため継続されています。ルミナリエは「電飾」を意味するイタリア語の古語で、約20万個の電球で彩った門や回廊、壁の光が街路を覆います。毎年、500万人前後の方が訪れるそうです。
震災が起きた
平成7年(1995)1月17日は会社を設立して1年半、やっと会社として走り出せていた時でした。​仕事を震災によって失ってから、がむしゃらに走ってきました。1月17日に神戸で祈る年もありましたが、年末はいつも走り回っていて、気が付けばすぐ近くなのに一度も行けてませんでした。
今回は神戸元町で同級生と恩師の集まりがあって、帰りに寄る事が出来ました。
初めてです。

すごくきれいでした。

沢山の人でにぎわっていました。


震災のその年限りの予定だったのが多くの人が勇気と希望をもらえたことから継続が望まれました。でも震災の復興のために多額の負債を抱えてきた神戸市は余裕がありません。
だから沢山の寄付で継続されているんです。


会場となっている東遊園地は普通の公園なのになぜ遊園地というのか、なぜ東なのかご存知ですか?この公園は
外国人居留遊園の名称で日本で最初の西洋式運動公園として開園して、開園当時は外国人専用だったそうです。園内のグラウンドで外国人らが野球、ラグビー、サッカー、ボウリングなどのスポーツを行ったことで、日本にそれらのスポーツが広まるきっかけとなったと言われています。だから公園内にボウリング発祥の地の碑​もあります。
今みんなにとっては1.17の鎮魂の公園です。
阪神・淡路大震災『慰霊と復興のモニュメント』があります。

半地下式になっています。

 

 

沢山の人が訪れていました。


そして陸上には『1.17希望の灯り』が灯し続けられています。


 

初めて行ったルミナリエでした。
そういえば一度も行けてなかったなあ!という思いで訪れたんですが、改めて被災された方々にお祈りさせていただきました。

 

ルミナリエへ行けて良かった。
ここへ導いてくれた仲間と恩師の先生、ありがとうございました。

 

 

 

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熊本城を見てきました。
テレビでよく熊本の方々が熊本城が被害を受けている事を非常に悲しんでいる様子や日本財団が震災後すぐに復興援助を申し出たのを見て、大げさだなあと思っていました。災害を受けて避難所や仮設住宅のことがままならないのになぜ熊本城なんだと感じていました。
でもわかりました。
熊本城は熊本市のど真ん中にすごいスケールでありました。


行ってみるともちろん入ることはできませんでした。
ただ外観から見てもその壮大なスケールと美しさに圧倒されました。

 

 

 

 

 
壮大なお城の様子を見ていると胸を締め付けられるような気持ちになり、このお城を大切に思う熊本の方々の気持ちが少しわかりました。
じっと見ていると警備のおじさんが話しかけてこられました。
「全部で56か所も崩壊したんです。修復するのに10年も掛かるそうです。」
と悲しそうに言われていたのが印象的でした。

今回短い期間ですが阿蘇・益城町・熊本市内と「たこ焼きに愛をこめて!」という支援に行ってきました。東日本大震災の復興ボランティアで知り合った仲間がサポートしてくれたので、しっかりした活動ができたと思います。逆にずっと活動している仲間に頭が下がる思いでした。

今回支えてくださった
UNITED EARTHの皆さん
えいた、阿蘇に呼んでくれてアリガトウ。

 

 

熊本支援チーム&め組JAPAN
かごしまん、直前なのに避難所に繋いでくれてありがとう。

 

日本財団・ダイバーシティ研究所
堀之内哲也、杉本さん、益城へと繋いでくれてありがとう。

 
そしてボランティアに大分から参加してくれた大弓くん、プロのたこ焼き腕でサポートしてくれました。


今日の新聞でうれしいニュースがありました。
これからです。
皆さん、応援よろしく!
ひとりひとりが出来る一歩でいいんです。
繋がり、寄り添う事が現地の勇気を与えます。
動きましょう。小さな一歩でいいから!

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避難所でのたこ焼きはとても喜んでいただけました。 
東日本大震災の時、石巻・登米のボランティア拠点でお世話になっため組JAPANのかごしまんの紹介で熊本市龍田公民館の軒先でたこ焼きを行鵜事が出来ました。ここには200名以上の方々が避難生活をされていました。平日の昼間なので仕事に出られている方もおられましたが、始まるとすぐに行列が出来ました。

  

 

次の日
日本財団・ダイバーシティ研究所のスタッフとしてこの地区のサポートを行っていた東日本大震災支援仲間の堀之内哲也が、被害のひどい益城島田東無田公民館に来てほしいという要請を受けて入りました。
国道から一筋入ると絶句しました。
このエリアはひどい。

  

 

 

東無田”公民館”と聞いてきましたが、神社の境内に崩れかかった集会所のような小さな建物があるだけで、避難所にはなってなくてこの地区の支援砦のようでした。

 

 

 
雨の中、この集落の各所でテント等で暮らしておられる方々が集まってこられました。

 
「たこ焼き、待ってたんやで!」
「このたこ焼きはダシが効いてるので、半分何もつけずおきます。ソースをつけたものと食べ比べてください!」
「へえー、本場関西のたこ焼きが楽しみ。」
「明石の生きたタコを湯がいて用意してきましたから美味しいですよ!」
「へえ、明石のタコなんや!」
「たこ焼き屋さん、どこでお店やってるの?」
「私はたこ焼き屋じゃないんです。両親が30年間兵庫県の西宮でたこ焼き屋をやっていて、今はもうやってないんですが機材があるのと、私も子どもの時からずっと手伝ってきたのでこうして焼けるんです。」
「西宮なんで阪神大震災の水もガスも復旧しないので、このLPガス用の機材を購入したのがこの機材です。自分の店が再開してないのに周りの避難所をこの機材を持ってたこ焼きを焼きに行った両親に驚いていました。」
「息子も行かなあかん!と思って来ました。」
「そう、阪神大震災も大変やったねえ。来てくれて本当にありがとう!」

 
やっと雨が止んできましたが、行列は途切れませんでした。
ここでは150名もの方々が来てくれました。

今回、たこ焼きの炊き出しに行って多くの方々に喜んでいただけました。
それはたこ焼きそのものの有難味というより、自分たちの置かれている状況を誰かが知ってきてくれている。自分たちのためにこうやって一生懸命焼いてくれている事に対する喜びだと思います。阪神大震災の経験者だという事も心を開いてくださった要素の一つだったと思います。だから、すごく話しかけてくださいました。こちらの事を聞くだけでなく、自分たちの状況・・・もう住めそうにない・仮設住宅には入られない・お父さんは怪我したけどもう大丈夫・・・・を話してくださいました。もちろん言葉も出せないような方々もたくさんおられると思います。
でも、この状況を他の地域の人に知ってほしい。見捨てないでほしい。という思いを感じました。
たこ焼きをやくという事で寄り添う事と行った事で知れた現地の状況を多くの人に伝えることが大切な役割だと改めて確認できました。
まだまだ、支援が入ります。
阿蘇に向かう道の駅に入ったらガラッガラでした。思わず馬の燻製を買うと「全く客が来ない!どうしようもない。」と嘆くお店の人の声を聞きました。
小さくてもいい。何でもいい。動いてほしい。
忘れないであげてください。

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