今年最初の神社「東京大神宮」に並んでいた時の話です。
「さて、そろそろお賽銭用意しとくか。『いいご縁』があるように…15円、と」
「『良いご縁』なら415円なんじゃないの?」
「ええ~?そんなには出せないな~」
「まあな。『良いご縁』なんて言うから415円になっちゃうんだよな。『いいご縁』にすれば115円で済むのに」
「『始終ご縁』がありますように、ってことで45円という説もある」
「それなら『いーご縁』がありますように、で15円でいいじゃん(笑)」
「じゃ、やっぱり15円で」
こうして、日本語の乱れと共に、お賽銭の金額が下がっていくのでありました。
で、何をお願いしたかの話になると
「去年、宝くじは当たらなかったからな。今年は地道に、親父の回復と自分の健康だよ。そっちは?」
「良縁に恵まれますように」
「ええ~~っ?まだ諦めてなかったの~?」
「いやいやいやいや、そこは祈っとかんと。一応お伊勢さまなんだし」
「だって、本家の伊勢神宮に行ってもダメだったんでしょ~?本家でダメなのを東京から祈ったって叶うわけないじゃん!」
「いやいや、一応、祈っとかんと!」
東京大神宮は、拝殿の横が、一大土産ステーション、もとい、お守り売り場になっていました。
「ほら、じゃあ縁結びのお守りを買えば?お伊勢さまだし、あるんじゃない?」
「なんか交通安全とかばっかりで、縁結びがないよ~!あっ!あった!恋愛成就のお守り!」
「いやいや…恋愛成就ってのは、今している恋が実りますように、ってヤツだよ。相手がいない人間はやっぱ『縁結び』でなくっちゃ」
「そっかぁ」
「あ!こっちにあったよ!縁結び!うわ!たっけ~!1000円もするよ!」
「……」
「あれ?買わないの?」
「う~ん…」
「買わないの?」
「う~ん…」
金額を見て躊躇するようでは、良縁を求める者として、まだ必死さが足りません(笑)
そして、またしても「縁結び」で最近評判になってきた大宮八幡宮でのこと。
(何度も言いますが、八幡さまは縁結びの神様ではありません。本来は勝利の神様です)
戦国武将が勝利を祈願した八幡さまで、今では何故かペットとの「絆」お守りとかまで売られています。
「あっ!このお守り可愛い!これ買っちゃダメかな?」
「ダメに決まっとるだろそれはペットのお守りだ」
「ええ~?この肉球の形が可愛いのに~」
「それより、縁結び買わないの?ほら、こっちのは500円だよ!安いよ」
「え~?だって可愛くないんだもーん」
「ゴルァ!やる気あんのかやる気~!もう、可愛いとか可愛くないとか言っとる場合じゃないだろ~!」
こんなトシになって、まだ可愛いお守りが欲しいなんて余裕ぶっこいている時点で、すでに必死さに欠けるわけです。
つか、伊勢神宮や出雲大社、三峯神社の縁結びの木…等々。
全国の縁結びの神々を拝み倒してきてなお、こうして一人者でいるのだから、もはや神様の手に負える人間じゃないんですよ。
はい、私だって、京都の地主神社、鈴虫寺、貴船神社と、あちこち行ったんですよ。にも関わらずこのザマですよ。
全国の縁結びの神様は、みんな
「うちの評判下がるから、ここには来ないで~!私だって無理だから~!」
と、私達の来訪にビビっているような気がしてなりません(笑)
へへ、次はどこ行っちゃおうかな(笑)
で、大宮八幡宮に行く道で友人が言いました。
「ところでさ~。昨日(一人で)静岡の東照宮に行ってきたんだけどさぁ。えーと…くの…くの…なんとか」
「久能山?」
「そうそう、そこ!もう、私、今年に入ってからメッチャ神社巡りしてるよ~」
「私も行ったことあるよ。あそこって、すぐ横がイチゴ農園になってて、イチゴ狩りができるんだよね」
「そうそう!だから、2月になったらshinさんも一緒にイチゴ狩り行かない?富士山も見えていいとこだったよ~!」
「え~?だって6月に群馬行くってKAOさんに約束したじゃない。1年にそう何度も命はかけられないよ」
「ええ~?いいじゃな~い」
しかし、これより1時間ほどたった、全く別の話の時に、友人がケロッと口を滑らせました
「昨日、車をガッツリぶつけてさぁ。修理の手配をしていて遅れちゃった~」
え?
は?
ちょっ…
「ちょっと待て!昨日ぶつけたばかりなのに、今日平然と、その車に乗れって私を誘ったの?」
「大丈夫よ~!ぶつけただけだから」
「修理が必要なくらいぶつけたら、普通の人は落ち込んで人なんか誘えないよ!」
「ヘーキヘーキ!前ぶつけたところと同じところだもん」
「そのヘーキの意味がわかんないよ!自損だって死ぬ場合があるんだからな~!つか同じところ何度もぶつけるのはアナタ自身に何か構造的欠陥があるんじゃないの~?」
私もかなり能天気なほうですが、O型の能天気さは命にかかわると、そんなことを感じる今日この頃です。
以上!