うゐのおくやまけふこえて

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2020年にコロナ時代が始まってから既に30年が経過した。

TVでは30年を振り返る特番が放送されている。

「当時のインタビュー映像」として流されるのは「店で飲めないから外で飲んでるんですよ」「自分ワクチン打ったから大丈夫っす」と言って緊急事態宣言下に外で集まって酒を飲む人々、ワクチン予約センターの電話口で「ワクチン打って副反応出たらお前責任とれるのか」と叫ぶ人。

2020年1月~2月に封じ込めに失敗、2021年2月以降感染爆発が続き、ワクチン接種も数量不足や拒否する人などのため進まず、集団免疫獲得も失敗してコロナ時代突入が確定したと特番は締めくくった。


従来の商売形態からコロナに適応した商売への切り替えが出来なかった店舗は協力金が途切れると次々に倒産し失業者が溢れ、自殺者の数字も一時期膨れ上がった。

やがてコロナに適応した商売を始める起業家も出始めたが求人を遥かに越える応募のため、条件のいい人ばかりが採用され、学歴の低い人、技術を持たない人、看病などで働く時間に制限のある人はあぶれることとなり、貧しい人はより貧しくなる貧富格差の拡大が進んだ。

医療ひっ迫は深刻化し、それまでの病床確保依頼ではなく、病院の運営規模、設備規模から機械的に「定員数」を算出する方式となり、コロナ感染者の多くは自宅療養を余儀なくされた。
これは単にコロナ感染者の死亡率が高まるだけでなく、自宅で療養できる余裕のない人ほど死にやすく感染拡大させやすい状況を産み、ここでも貧富格差が広がった。

このようなことが積み重なり、世の中には「貧しい人間がコロナを拡大させている」という差別意識が根強くはびこるようになった。

コロナにあえぐ人々を救済するための法案は高額納税者から嫌われ、富裕層は海外へ逃げていった。

雇用を企業に強制させる法案も企業から嫌がられ、こちらも海外へと拠点を移していった。

日本は外資系の企業が大半となり、その中では日本人従業員は冷遇を余儀なくされた。

国連やWHOからの人道支援は幾分かあったが、「あの国は一度もロックダウンしてないしまじめに感染症対策しなかった。自業自得だ。」という見方が強く、海外からも冷ややかな目で見られがちだった。


学校の授業でも「コロナの歴史」は教えられ、子供たちの間ではおじいちゃんおばあちゃん、ひいおじいちゃんひいおばあちゃんのせいでこんな時代になったんだという意識が広まった。

2040年から2050年にかけては「後期高齢者」の自殺率が増加した。


ワクチンは10世代目となった。

日本は「よいお客さん」であったが円の信用は落ち、納税者や企業にも逃げられた日本には数を揃えることは難しかった。

世界には集団免疫獲得に成功しコロナ終息を宣言した国もちらほら出始めていたが、そうした国では感染者差別がひどく「感染症対策ができる人だけが入れる国」の様相を呈しており、日本出身でその国に入れるものはごくわずかだった。


マスクは未だに欠かせない。貧困層はもっぱら洗って再利用出来るマスクを使っていたがその居住区域周辺は使用済み不織繊維マスクのゴミの山に囲まれていた。

大量に生産される不織繊維マスクのゴミ問題は深刻化していたが、それまでゴミを他国に輸出していた日本は困窮する経済の一助にとマスクゴミの受け入れを決めた。

不動産価値が下がる、衛生面に問題があると住民から強い反発があったが、いくつかの自治体は住民の反発を押し切る形で受け入れを決めた。

マスクゴミを受け入れる自治体は政府から給付金を受けられるが、それが住民に還元されることはない。


政府や産廃業者との癒着がささやかれた知事が住民の襲撃を受ける事件も起こった。

庭でマスクを燃やす住民が近所とトラブルになることも近頃では増えてきた。


今日本ではコロナ時代終息のシナリオを説くものはいない。
富裕層にとってはコロナ禍は「過去のもの」だし、貧困層は知識を得る機会も減っている。
コロナ禍が「どこか」で続くことによって利益を得るものもいる。

そもそもコロナ禍終息のシナリオは2020年当時から幾度となく説明されてきた。

日本人がそれを実践しなかっただけで。



ここ10年はコロナの状況に目立った変化はない。
「蔓延」の状態で安定している。