スッタニバータ「二種の観察」で、苦しみの因についていろいろ説明されているが、その中に「食料」がある。

修行僧たちよ。善にして、さとりにみちびく諸々の真理がある。
 (中略)

『苦しみは、すべて食料に縁って起るのである。』というのが、一つの観察[法]である。
『しかし諸々の食料が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察[法]である。
「苦しみは食料の縁から起る」と、この禍いを知って、一切の食料を熟知して、一切の食料にたよらない、諸々の煩悩の汚れの消滅の故に無病の起ることを正しく知って、省察して食料を受用し、理法に住するヴェーダの達人は、もはや迷いの生存者のうちに数えられることがない。

食料は煩悩を起こしてしまって人間を苦しめるのだ、と警鐘を鳴らしているのであろう。

さらに、現代では、「何々の食べ物は健康によい」という情報に惑わされて、何々の食べ物に執着してしまう傾向がある。これもまた有害な考えである。なぜか?

 

近年は、腸内細菌がもてはやされ、発酵食品ブームといわれている。

過敏性腸症候群(腸に炎症のような目に見える異常がないにもかかわらず、ストレスを受けたときなどに下痢や便秘が起こってしまう病気)で、低FODMAP食という食事療法が有効であるという研究が、8年前くらいから欧米で盛んになり、実績をあげている。健常人に対する食事療法ではないが、健常人にとっても、「腸によいはずのもの(ヨーグルトなど)を食べたらかえって下痢する、腹がゴロゴロする」という疑問に応えてくれる理論である。
日本でも、2015年に初めて、日本消化器学会の過敏性腸症候群のガイドラインに、低FODMAP食が掲載された。
FODMAPというのは、《オリゴ糖、2糖類、単糖類、ポリオール(ソルビトールなどの人工甘味料)》といった糖類の頭文字である。低FODMAP食の基本は、特定の食品を摂るのではなく、ある種類を多く含む食品を減らすことである。その後、1種類ずつ摂取を開始して、悪影響を与える食材を特定する。
通常、炭水化物は小腸から吸収される。FODMAPが多く含まれた食品が小腸で十分に吸収されないまま大腸に入ると、大腸内で発酵して、腹痛、下痢、おなかの張りなどを起こす原因になることが最近分かってきた。肝心なのは、健常人でもその人なりの許容量を超えると消化不良を起こすということである。過敏性腸症候群ではその閾値が低いのである。
低FODMAP食の群で、過敏性腸症候群の症状だけでなく、腸内細菌も改善した、という研究報告もある。
このような原理に基づき、食材が高FODMAP食・低FODMAP食に分類される。摂取を減らすべき高FODMAP食の中に、オリゴ糖、ヨーグルト(乳糖=二糖類)をはじめとして、リンゴなど、従来、腸によいとされてきた食材がいくつも含まれているのである。

 この研究結果から私達が得られる教訓は、この食べ物が腸によいという理論に踊らされると,多くの人が過剰摂取してしまい、逆に健康を害するケースが多いということです。「高FODMAP食がよくない」というのではなく、「どんな食べ物でも、過剰摂取は害になる」という基本的なことである。
 プロバイオティクス、機能性食品は、ヨーロッパ発の経済的戦略である。
「プロバイオティクスの食材がよくない」というのではない。「プロバイオティクス理論は高FODMAP食の過剰摂取を招く」ということである。例えば、「ヨーグルトは腸によい」と思い込むことで、過剰摂取になり、消化不良を起こし続けることが考えられるのである。
消化不良によって、短時間に通過して、スムーズに排泄されてしまう場合がある。普通便だと、便通がよくなったと勘違いしてしまう。

例えば、便が排泄されるまでの時間が短すぎれば、普通便であっても消化不良であろう。こんにゃくゼリーなど、いかにもという食材を食べた後、短時間で便が出た経験があれば、それと同様に、腸によいとされる食材のせいで短時間で排泄されれば、ただ消化不良によって押し出されたに過ぎないであろう。

ヨーグルトで便通がよくなったという人も、実際には、便が固かったのが、消化不良によって軟らかくなったのに過ぎないケースが多いであろう。


FODMAPも仮説であり、不完全なものだとは思うが、「消化不良を起こさないようにする。自分が実際に調子が悪くなる食材を特定して減らす」という健全な、自然な考え方である。

「何々の食べ物が健康によい」という情報によって、過剰摂取してしまって、かえって健康を害している人は実に多い。

過剰摂取を節制することこそ、健全な食生活なのである。まさに「苦しみは食料の縁から起る」のである。

 

さて、チベット仏教では、供え物(お菓子、果物などの食べ物)を持ち寄って、仏様に供養し、功徳を積むという「ツォ」という儀式がある。供物は仏様の加持力が宿っているので、皆で分けて持ち帰って食べる。お菓子ばかりなので当然健康に悪い。このような愚行が釈尊の精神であるわけがなかろう。