「代金は後日に」の温かさ 仙台市 自営業 40才
震災の時は、仙台の中心部にいた。すぐに子どもを保育園に迎えに行き、帰る方法を考えた。バスを待つ長い列に雪の中、1時間近く子どもを抱いて並んだ。何の情報もなかったが、走っているのが回送バスだけになり、運行が中止されたことを悟った。
歩いて帰れる距離ではない。タクシーはもちろんつかまらない。小学生の娘と夫の安否もわからず、余震におびえ「寒い」と泣く子を抱えて途方に暮れた。その時、停電で薄暗い店を開けてくれたコンビニがあった。とりあえず水と食べるものを買おうと、手探りでパンや水などを選んだ。
すると店員さんが「レジが動かないので代金は後日お願いします」と言い、並んだ人が持っていた商品を次から次へと袋に詰めてくれた。日持ちのしないものだけでなく全ての商品を!そのうえ、疲れきっていた私たちをイートインコーナーで休ませてくれた。そこでやっと、夫と娘と再会できた。
真っ暗な家にたどり着いたのは8時すぎ。ガラスの破片だらけでめちゃくちゃな自宅で、コンビニのパンと水を分け合って過ごした。店員さんたちの厚意にふれ、温かい気持ちだった。自宅の被害が大きく、北海道の実家に避難していますが、後日、絶対に支払いに行きますからね。サンクス仙台二日町店さん。
居てくれるだけでいい 神奈川県 大学生 19歳
11日、東日本大震災がありました。大きな地震を体験したのは初めてでした。それからはとても怖くて、少しの振動ですぐに目を覚ましてしまい、眠れない日々が続いています。
大震災から6日たった17日、東京に住んでいる祖母が心配で、母と2人で会いに行きました。久しぶりに会った祖母は特に慌てた様子もなく、いつもどおりの笑顔で私を迎えてくれました。
祖母の家にいたのは1時間だけでしたが、一緒にお昼ご飯を食べて少しおしゃべりをしました。いつもと変らない祖母の姿は、ピリピリしていた私の心に安心感を与えてくれました。
帰りの電車の中でなんだか急に泣きたくなり、涙がぽろぽろ出てきました。涙がおさまったあと、気持ちが落ち着いて、緊張していた体がほぐれた感じがしました。
その時ふと、祖母はとても強いのだと感じました。
祖母は戦争を生き抜いた人です。生きてきた年数が違います。今までに、たくさんのことを経験してきたと思います。
いつも支えてあげなくてはいけない存在だと感じていた祖母が、逆に私を支えてくれる存在だったことに気づきました。
居てくれるだけで安心できる存在というのは、祖母のような人のことを言うのかな、と思いました。
息子助けてくれた東北の人 奈良市 学童保育指導員 52歳
旅行先の仙台で東日本大震災にあった息子が、5日後、無事に家に戻ってきた。
ご飯は伊丹空港で迎えてくれた友だちと済ませたとのこと。前日には山形で銭湯にも入ったという。こたつに入ると、息子は無事を伝えるメールを携帯電話で打ち始めた。
発生当日は連絡が取れず、携帯にメールが届くのを待っていた。その時、息子の大学の先生から電話があり、息子が友だちとツイッターを使っていると知った。検索サイトを使ってどうにかたどり着き、息子が仙台からバスで山形へと動き、「ようやく帰れそうや」と書き込んだところまで確認した。
「ツイッターを見てたよ」というと、息子は「えっ、みんなで僕のつぶやき読んでたん?最悪や」。
リュックの中に、見慣れぬ防寒具を見つけた。発生当日、熱があって動けない息子を気にかけ、避難先の市民会館の方が下さったという。クラッカーやあめ玉の包み紙もある。避難先でいただいたものだろう。
「みんな優しかった。日本人って、いざという時、こんなに人を思いやることができる国民なんだね。心が洗われる思いがしたよ」
自分のことで精いっぱいだった息子を助けて下さった東北の方々。防寒具のぬくもりに感謝しながら、考えています。今度は私たちに何ができるかを。
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被災地の先生方には
応援の気持ちを込めましてお送りしました。