2012-02-02 04:20:27
確実ではない情報
テーマ:世間のこと
「確実ではない情報を伝えると、相手が不安になってしまうので言うべきではない」
日本人としては「そうだよねー」と納得しがちな内容。
「気遣い」とか「慮る(おもんばかる)」とか、相手の立場に立って考えるようなこととして理解してる場合が多いですよね。そういう僕も、今まで日常ではそういう感情がなかったわけではないです。
なにかトラブルがあったとき、それをいちいち相手に伝えて印象を悪くするのなら、相手には「問題ないですよー」と取り繕っておいて、その間に内輪でトラブルを解決しておいて結局何もなかったかのごとく納めてしまう。日本式の考え方としてあまり珍しいことではないし、むしろ美徳に近い価値観があったりします。
というのも、そもそも僕らは学校で同じような考えを植え付けられてます。
「そんなこと言ったら〇〇さんかわいそうでしょー!」
とか、
「あなたは良い点だったけど、悪い点数だった子もいるんだから、喜んだら失礼でしょ?」
とか、
「徒競走で順位をつけると、足の遅い子が嫌な思いをします」
とか。
こういうことを家でも学校でもずーっと言われ続けてきた訳です。
そうすると、相手にとっていいこと、つまり相手を喜ばすことしか言えなくなってしまいます。
テストで良い点数をとった子が、申し訳なさそうにしなければならないわけです。
震災以降、特に原発に関する政府の発表やマスコミの報道と平行して、僕は東京電力や各大臣の記者会見をノーカットで追いかけて見ていました。そこでおこってたのはまさに先ほど書いたような内容で、記者会見でも取り繕うし、東電の記者会見で結構危ない内容のことが疑われたり発表されても、当時の官房長官は「確実な内容ではない」として打ち消し、そのかわり「ただちに人体に影響はない」ということは断言するように繰り返す。これだって確実な内容ではないのに。
そこで、やっと僕の中でもいろんな気持ち悪さがピタッと一致した訳です。
つまり、子供の頃から僕らが教えられてきたことと、今回の震災後のいろんなことと、全く同じな訳なんです。
じゃあしょうがないよね、で済ませちゃ当然いけない。
自分より立場が上だからとか、そういう理由で意見をぶつけないということも同じ。
「図々しい」という表現が的確かどうかわかりませんが、そういう感覚が必要です。
ということは、親と子も同じで、子供だから親の言うことを聞かなければならないということは絶対ではないということ。支配してはいけないわけです。
つまり、「うちは素直だから、親の言うことはちゃんときくのよー」というのが一番危険。
最終的にどちらの意見が勝つのかは別として、反抗したり口答えしたりすることは、むしろやらなければならないんです。
もう一つ僕が思うのは、間違いを許容すること。必ず正解しなければならないのが日本人の特性で、それがものづくりなどでは力を発揮できたりする訳ですが、間違ったことを言ってはいけないという気持ちは、相手にとって良いことしか言わないことにつながっていきます。
スポーツに例えるとわかりやすいですが、
スポーツには「勝つため」と「負けないため」の二つの考え方があります。
この違いわかりますか?
「負けないため」というのは、最悪引き分けでも良いという考え方、しかもお互いノーポイントで引き分けるという考え方です。これは、体裁だけを整えて、悪い方向に進むことはまずないけど、良い方向にも進まず、結局どこにも進まないということになります。
一方「勝つため」という考え方は、逆にやられて負ける可能性もあるということですので、ちゃんと意見を言って、それによって良い方向になるか悪い方向になるかはわかりませんが、どちらかには進むということです。
ずいぶん話がそれました。だんだん何を言いたいのかわからなくなってきましたが、
なにからはじめましょうか。
まずは、子供の意見をうけとめましょうか。かならず正解に導かなければならないと思って、否定して訂正する律儀な方は多いと思いますが、聞き流す感じでもいいらしいですよ。言うことで満足するらしいので。
日本人としては「そうだよねー」と納得しがちな内容。
「気遣い」とか「慮る(おもんばかる)」とか、相手の立場に立って考えるようなこととして理解してる場合が多いですよね。そういう僕も、今まで日常ではそういう感情がなかったわけではないです。
なにかトラブルがあったとき、それをいちいち相手に伝えて印象を悪くするのなら、相手には「問題ないですよー」と取り繕っておいて、その間に内輪でトラブルを解決しておいて結局何もなかったかのごとく納めてしまう。日本式の考え方としてあまり珍しいことではないし、むしろ美徳に近い価値観があったりします。
というのも、そもそも僕らは学校で同じような考えを植え付けられてます。
「そんなこと言ったら〇〇さんかわいそうでしょー!」
とか、
「あなたは良い点だったけど、悪い点数だった子もいるんだから、喜んだら失礼でしょ?」
とか、
「徒競走で順位をつけると、足の遅い子が嫌な思いをします」
とか。
こういうことを家でも学校でもずーっと言われ続けてきた訳です。
そうすると、相手にとっていいこと、つまり相手を喜ばすことしか言えなくなってしまいます。
テストで良い点数をとった子が、申し訳なさそうにしなければならないわけです。
震災以降、特に原発に関する政府の発表やマスコミの報道と平行して、僕は東京電力や各大臣の記者会見をノーカットで追いかけて見ていました。そこでおこってたのはまさに先ほど書いたような内容で、記者会見でも取り繕うし、東電の記者会見で結構危ない内容のことが疑われたり発表されても、当時の官房長官は「確実な内容ではない」として打ち消し、そのかわり「ただちに人体に影響はない」ということは断言するように繰り返す。これだって確実な内容ではないのに。
そこで、やっと僕の中でもいろんな気持ち悪さがピタッと一致した訳です。
つまり、子供の頃から僕らが教えられてきたことと、今回の震災後のいろんなことと、全く同じな訳なんです。
じゃあしょうがないよね、で済ませちゃ当然いけない。
自分より立場が上だからとか、そういう理由で意見をぶつけないということも同じ。
「図々しい」という表現が的確かどうかわかりませんが、そういう感覚が必要です。
ということは、親と子も同じで、子供だから親の言うことを聞かなければならないということは絶対ではないということ。支配してはいけないわけです。
つまり、「うちは素直だから、親の言うことはちゃんときくのよー」というのが一番危険。
最終的にどちらの意見が勝つのかは別として、反抗したり口答えしたりすることは、むしろやらなければならないんです。
もう一つ僕が思うのは、間違いを許容すること。必ず正解しなければならないのが日本人の特性で、それがものづくりなどでは力を発揮できたりする訳ですが、間違ったことを言ってはいけないという気持ちは、相手にとって良いことしか言わないことにつながっていきます。
スポーツに例えるとわかりやすいですが、
スポーツには「勝つため」と「負けないため」の二つの考え方があります。
この違いわかりますか?
「負けないため」というのは、最悪引き分けでも良いという考え方、しかもお互いノーポイントで引き分けるという考え方です。これは、体裁だけを整えて、悪い方向に進むことはまずないけど、良い方向にも進まず、結局どこにも進まないということになります。
一方「勝つため」という考え方は、逆にやられて負ける可能性もあるということですので、ちゃんと意見を言って、それによって良い方向になるか悪い方向になるかはわかりませんが、どちらかには進むということです。
ずいぶん話がそれました。だんだん何を言いたいのかわからなくなってきましたが、
なにからはじめましょうか。
まずは、子供の意見をうけとめましょうか。かならず正解に導かなければならないと思って、否定して訂正する律儀な方は多いと思いますが、聞き流す感じでもいいらしいですよ。言うことで満足するらしいので。













