ご縁の話

テーマ:
日本語でご縁って言葉あるじゃないですか。この言葉って昔就職活動をしていた時や、好きな人にアプローチした時に「今回はご縁がありませんでしたので」という断られ文句で使われまくってきたので個人的な恨みは多いのです(笑) でも改めて「ご縁」とは何かということを考えてみたんですよ。

ご縁の話をする時にいつも思い出すのが、僕が昔大学一年生の時に一般教養科目として世界の美術という授業があったのです。

その先生が変わっていらして、単位を取る必須条件で「美術館に行って直接絵を見てきて下さい。絵は不思議なんです。絵は直接会いに行って、好きになってくれて、敬意を持って知ろうとし、絵に対して自分を開いた人にのみ本当の姿を見せてくれるのです」って言ってたのです。

当時18歳の私は絶賛クソヤローの最中だったので「絵が心を開くなんてあるわけないじゃん。好きになったら本当の姿を見せてくれるってクリーミー・マミかよ(古い)」って言って、美術館行かないで家でずっとゲームしてました。単位、落としました。

でも留年して2回目の単位取得の時にどうしてもその時に美術の先生が言ってたことが忘れられず、改心して美術館に行ってみたんです。ちょうどその時どこかの美術館でポール・デルヴォーという画家と、私が今でも大好きなドイツのロマン主義の画家、カスパー・ダーヴィット・フリードリヒの展示会がやってたのです。

よくわかんないけど、ピンとくる絵に心を開いてみようと思いました。どういう気持ちでこの線を描き、何でこの風景を選び、あなたの目にはどうこの景色が見えていたんだろう?とずっと絵に問い続けました。

そしたら、自分が惹かれるものって、どこかで自分が大切にしてきたものと一緒の感じがしたのです(極道映画で「兄弟!」って抱きつく感じのやつ)。

ご縁って何か、そんな感じがしたのです。

ご縁の半分は、僕は勘違いだと思います。

でも、「何かある」と感じて自分を開き、そこに嘘偽りのない自分を示し続ける。「自分をわかってもらおう」という魂胆ではなく、

「この出会いがもたらしてくれた意味を必死で、力のかぎりできることをやって知っていこうとする」

縁って、自動発生的にくるものではなく、絵やお金もそうだし、出会いもそうだけど「この熱を持った人なら私のことわかってくれるんじゃないか」って向こうから(絵の方から)心を開いてくれた時にやってくるものだと思います。

その逆に、縁やご縁を遠ざける言葉って僕は

「どうやったら◯◯できますか?」

だと思います。それは方法論だし、解答の写しだし、「この出会いが自分にもたらしてくれたもの」を問うための物語が発生しないから。

「この人(このもの)と出会ってしまったから、昨日までの自分ではいられなくなった」

その必死な自分を示していかないかぎり、僕は縁ってご縁になっていかないと自分の人生上では思いました。問い続けずにはいられないもの。どうしても問い続けなければいけないことって愛だから。

素敵なご縁を!


AD