ハロン棒・重賞の日(その2)・・・・・短編小説
乗り役たちは馬が入れ込むのを恐れて、本馬場の中を思い思いの方向に逃げるようにかえし馬に向かう。
俺もスタンドの歓声から逃げるようにダク足でその場を離れた。
馬はやがてダク足からギャロップになり徐々に気合が入ってゆく。
俺は馬なりのまま立ち姿勢をとりゲートに向かった、雨の上がった馬場は空気に少しの湿りがあり、風は涼やかに頬を撫ぜてゆく。
かえし馬とは、レース前の馬の準備運動なのだが、スタンドの歓声で馬が興奮してレース前に体力を無くしてしまう事もしばしば有るのだ。
だから俺たち騎手にとっては、この発走前の数分間は神経を使う大事な時間帯でもあるのだ。
ゲート前に着くと小走りで厩務員が駆け寄ってくる手際よくハミに引き綱をかけるとスターターの指示に従って器用にゲートの中に馬を誘導する。
後ろの扉が閉まると目の前に居た厩務員が『御願いします!』と小さく声を掛けて引き綱を外し、素早く内ラチ側に退避する。
今回はゲート入りを嫌う馬が居なかったのでスムーズな枠入りが完了した。
スターターが前頭の枠入りを確認すると、スッと右手を上げる、乗り役と馬たちに間髪入れずに緊張が走る。
スターターの発走銃の音と同時に目の前のゲートが開き、一気に視界が開ける!
『グワッシャン』!
!大きな音が後ろで響いたような感覚が襲ってくる!
俺はタイミングを計って手綱をグイッと締め上げる!
綺麗に編み上げられたワタリの上に載せた手をおもいっきって前に押し出す!
『グゴーォ』と言う馬たちの蹄の音が重低音となり耳に飛び込んでくる!
弾かれた様な衝撃がひざ頭に『ガツン!』と襲ってくる、その衝撃はすねの骨を伝わり窮屈な長靴に収まっている楔形のつま先にまで瞬時に流れる!
細いジュラルミンで出来たあぶみが指の付け根に『ググッ』と食い込んでくる!
フンと踏ん張って両膝を締め上げ上半身の筋肉を全て使い、馬の首に乗り掛かるほどの勢いで馬を前に押し出す!
細身のステッキでタイミングよく『パン・パン』と馬の尻を張り上げグングンと加速する!
・・・・俺たち騎手は、この忙しない作業をスタートからホンの数秒間で済ませてしまうのだ。
ゲートから飛び出した一団は大きな一つの塊になり地響きを上げて走り出した。
俺は5枠からの出走、好位置をキープするために200mほど激しく馬を追い立てる。
3枠の馬は反しベルトを付けていないと頭を上げてガンガン引っ掛かる馬なのだが・・・・・案の定、俺の脇を引っ掛かってガンガン行っている、乗り役も可哀想にすっかり立ち上がっているではないか『最下位ションベン検査決定~』恐らく皆心の中でそう呟いているに違いない。
オープンサラ3歳以上、短距離のスペシャリスト達の一団は少しばかり早いタイムで向こう正面直線走路 中ほどに差し掛かる。
ある程度スピードに乗ったのを確認した俺は手綱を気持ち緩める、軽く前傾姿勢を取り膝の上の方だけで身体を支え馬のリズムに合わせながら極力体重負担を掛けないように道中を過す。
俺が今日騎乗したこの馬は、かなりの癖馬で砂を大量に被るとレースを止めてしまうし、だからと言ってハナに立つと引っ掛かって残り3ハロンが持たなくなる。
さらに、バカッポだから外に馬が居ないと3~4コーナーで外ラチまで持っていかれる。
だからこの馬の好位置は前に2~3頭馬を置いて、4コーナーを抜けるまで自分の外にも1頭馬を置いておかなくては成らないのだ。
その状況を作ることが出来るか否かが、ある意味この馬の勝ち負けのキーワードになっている。
ダート稍重の馬場は蹴り上げられる重く硬い砂が、丁度おわんの大きさくらいで飛んでくる。
水分をたっぷりと含んだ塊は当たり所が悪いと一瞬意識が飛んでしまうほどの衝撃だ。
砂の塊をなるべく馬に当てないように先行馬の馬幅に頭を入れて自分自身も砂の塊を避けるように低い姿勢で交わしてゆく。
第3コーナーで馬の手前を変えると道中緩めていた手綱を再び締めなおす!
さらに深い前傾姿勢をとり内ラチ側に体重を移動させ馬の旋回を助ける!
4コーナー手前で重ねて装着していたゴーグルを右手の親指で弾き飛ばす!
しっかりと掴んだ手綱を通じて馬と自分の意識をリンクさせ『まだだ、もう少し待て』と馬のはやる気持ちをなだめながら第4コーナーに飛び込んでゆく!
直線に入る寸前、瞬時に周りの状況を把握して先行馬の間に馬体をねじ込む!
ゴールまであと200m、馬の耳と耳の僅かなスペースから前を見据え、回しステッキで馬を叩き上げる!
残り100mをきった時、内ラチ側にいた馬がフラーッと斜行してきた、俺の右すねに鈍い痛みが走った相手の騎手の拍車が当たったようだ。右膝から下の痺れる様な痛みをこらえる、ゴール目前だ痛みになんか構っていられない!
俺の前にはまだ外側に一頭首差の間隔で走っている。しかし見たところもう足は一杯に成っているようだ、騎手は伸びの欠いた馬を必死で追い立てている!
残り30m!・・・20m! 交わした!差しきった!!
その瞬間、左腕にとんでもない痛みが走った二の腕が飛んでしまったかと思うような衝撃だった。 いま交わした馬の騎手が振り回すステッキが誤って俺の腕に当たったのだ。 一瞬手綱が緩む。 まずい!レースが終わったと勘違いして、馬がレースを止めてしまう!
交わした外の馬が迫ってくる!
あと5m!
隣の馬が鼻面を伸ばしてくる!
並んだままゴール板を通過した!
辛うじて勝った・・・・。 頭の上げ下げの勝負になったが、間違いない!俺は、勝っている!!
俺は右手を高く上げてざわめいているスタンドにアピールしながらウイニングランを始めた。
掲示板は写真判定・審議のランプが点灯している、しかし俺は自分の勝利を確信していた、相手の騎手も分かっているようで普通にレースを終えて馬場を出て行った。
ウイニングランを終え、記念撮影のためにウイニングサークルに向かおうとしていたら厩務員が困り顔で駆け寄ってきた「ウイニングランなんかして、やばいですよ、確定してからにしましょうよ」ウイニングサークルに入るのを止めようとするが俺は返事もしないで馬をウイニングサークルの輪の中心に進めた。
調教師を先頭に関係者が皆走ってきた、皆何か叫んでいる、その時後ろのスタンドのざわめきが一気に爆発して大歓声になった。
ようやく掲示板のランプが確定に変わって【1着・5番・・・ハナ】と表示されたのだ。
俺はわざとゆっくり溜めてから後ろを振り向き、勢い良く右腕を空に突き立てた!!
歓声は俺に反応して、更に大きく膨れ上がった、俺は張り裂けんばかりの大声で叫んでいた。
『なまらサイコー!!』