私のFacebookで友達申請してきた女性の人が、いろいろメッセージを送ってきます。

お子さんが発達障害ということで、いろいろご苦労があるのでしょう。

Facebookでは基本的に会った人しか承認しないようにしていますが、

その人はたまたま、友人の友人のような関係で申請してきたので許諾してしまったのですが、友達が少ないのか、とにかく、メッセージを送ってきます。

非常にめんどくさいのですが、「めんどくさい人」について知りたいという気持ちもあり、様子を見ています。

 

その人から見ると、私は仕事ばかりしていて、女性的ではないようです。

 

「恋愛もしないで、仕事ばかりで、さびしくありませんか?」

「もっと女性的になったらいいと思います」

などと、アドバイスしてくれます。

 

私は会ったこともない人に、恋愛話をするほどオープンな人柄ではありませんし、

そもそもFacebookでは仕事関係の人たちがどんどん友達になっている手前、へんなことは書けません。

当然、仕事の不満や、会った人の悪口などもご法度です。

誰が見ているかわからないところで、例えば公のタレントさんや有名人について述べるのであればさておいて、自分の周りの友人知人をさらけ出す場合は意図があってのことです。

 

しかし。

 

見ている人のなかには、ネットに書き込みがあることがすべてである、と思っている人もいて、上記の主婦メッセンジャーの人も、非常に偏った思い込みをしています。

 

昨晩、たまたま、ある場所で、レシピブログの話題が出ました。
「料理人をしている人はレシピブログを参考にはするけれど、レシピは信用しない」と言うと、お客さんで来ていた女性が驚きました。

「だって、誰でも書き込めるのに、なぜ信用できないんですか?」
レシピブログは、たとえプロが書いたものであっても、検証している人が誰もいません。

でも、雑誌なら、編集者がいて、校閲がいて、もし何かトラブルがあっても出版社が責任をとるという責任の所在がはっきりしています。
レシピブログに限らず、キュレーションメディアは(アメブロでも)著作権は主張しますが、問題があったときの責任は取らないという姿勢であり、極めて無責任な情報発信をしていて、これは「情報発信ツール」の提供であって、情報を発信しているわけではないんですね。

ちょっと話がそれましたが。

そんな「誰が責任があるかわからない」というのがネットの世界であって、
そこにある情報の何を、どう受け取るかというメディアリテラシーは個々人にあるわけですが、その個々人が「そこにある情報を鵜呑みにする」ということは大変ゆゆしきことであると思われます。

ネットにはすべての情報があると思ったら大間違いです。

そして、どんな情報であっても、いろいろな角度で見ること、考えることが大切だと、私は思っています。
「私はこう思う」という自分の意見や、趣味、主張を持つことはよいことだと思いますが、「それがすべて」であり「正義である」と思い込まないこと。それが「多様性を認める」ということでしょう。

ずっと、知らなかったこととか気が付かなかったことが10年たってわかったとか、経験を積んでわかった、なんていうことが、私もいまだにたくさんあります。

 

自分が知らない世界がたくさんあって、自分とは違う生き方をしている人たちがたくさんいる。

それを認めたうえで、自分がどう生きていくか、どう考えるか、ということではないでしょうか。

 

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