• 30 Dec
    • 「聞きたいけど聞けない」ネット情報満載雑誌「Seeker」 プレ発行!

       日経BP社がネットクチコミ情報誌「Seeker」を創刊するらしく、たった500部しか発行しないという非売品テスト版を送ってきてくれた。 「1970年代生まれのための情報誌」というコンセプトなんだそうだけれど、読む限りではもっと年上のお姉さまも充分楽しませていただけそうな内容。  表紙にどかんとあるタイトルは、「電車男」「マイヤヒー」「ゴッゴル」「100人スミス」「オンドゥル語」「くずれおれる男」「mixi」「ボディーガードオフ」  この雑誌を読めば「ゴッゴル」がSEO(検索エンジン最適化技術)コンテストの表示用キーワードであるということがわかったり、「オンドゥル語」というのが「オンドゥルルラギッタンディスター!」(本当に裏切ったんですかー!」の意味で「仮面ライター剣(ブレイド)」の台詞であるということがわかったり、「くずれる男」と「くずれおれる男」の違いがわかったりする。  猫ネタもちゃんとあるのがGOODね。  あら、結構、ワタシって、拾ってるじゃない(笑)  でも、はっきり言って「真鍋かをり」さんのブログには負ける。はるかに負けるけど(笑)なんて思いながら読んでいたら、私のブログも紹介していただいていた。 「7人のお姉さま」というコーナーにちょこっと出てるんだけど、その数ページ前には「7人の社長」というコーナーがあるのよね。うーん、やっぱり私は「社長」の仲間入りは無理かぁ(笑)  ちなみに、7人の社長は、 1.堀江貴文さん 2.野田義治さん 3.野坂英吾さん 4.ひろゆきさん 5.山村幸広さん 6.江村林香さん 7.木村剛さん  とまあ、ややバラつきが気になる。高橋がなりさんが入ってないのが残念。(サイバーの藤田社長もないけど)  ただ、この雑誌の特徴として(?)、ビジネスに役立つことは、なにひとつ(?)ありません。  1970年代が「バカもの」なのか、あるいはもしかしてビジネス戦士ゆえ(巻末編集者うっちーが告っているように)「ネットをじっくり観ている時間もなければ、コツもわからない」のかわからないけれど、「ともに泣き、笑いましょう」というコンセプトのみの娯楽情報満載マガジンとなりそうな感じ。それはそれでよいです。  バカバカしいこともマジメに取材している姿勢に好感が持てます。  最近都内では、リクルートが「R25」という若い会社員対象のフリーマガジンを発行していて、これはビジネスマンが知っておきたい情報を表面的におさらいできるというコンセプト。 「Seeker」は無料ではないと思うけれど、「R25」とセットで読めば、ビジネスからヲタ話までTOPICSを知ることができそう。    ということで、創刊楽しみにしてます。>うっちー@日経eClick編集  新社会人、シュウカツ中のみなさんもお楽しみに!

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  • 29 Dec
    • 雪の被災地で、心のケアを

      Dear Friends, メール不具合により、一部欠落・文字化け発生を連絡いただきましたので、再送 いたします。既に読まれた方はご放念ください。 また、「心のケア義援金」にどうか皆さまのご協力を!(下記)  (友人の三好さんからのメールを転載させていただきます) *-*-*-*-*-*-* 被災地も雪化粧 *-*-*-*-*-*-* ★温泉と音楽による心のケア@小出郷文化会館 http://www.city.uonuma.niigata.jp/bunka/ 新潟中越地震発生からちょうど2ヶ月目にあたる12月23日、魚沼市の小出郷文化会館を訪問し、桜井館長と庭山医師(同館企画運営委員長)にお目にかかりました。「目的特化型」&「顔の見える義援金」で「温泉を活用」した「心のケア」プロジェクトの相談です。 前回の山古志村@大手高校訪問レポートを読まれた皆さまから、心のケアについて多くの反応を頂きました。また、義援金は使途が不明瞭なので積極的になれないという声も聞きました。だったら、心のケアに限定した、送られた人の顔が見える義援金を集められない? 小出郷文化会館は、運用無視の行政ハコモノ作りに怒った住民が、行政を動かして自分たちで魂を入れ、「大工さんの館長」を誕生させたことで知られる文化施設です。人もお金もないけれど、住民の熱い思いとミッションがあればきっとできる。そう考えた住民が自ら運営にあたり、平成12年度の大ホール稼働率が94.6%という驚異的な実績を誇る施設にしました。これこそまさに「新潟力」です。 東京文化会館から参考として運営企画書を取り寄せたところ、あるポジションの必要人員が38人とありました。ところがここは2人きり。ふつうなら、できるはずがないと諦めるところですが、「36人足りないだけじゃないか」と考えて実行。すさまじい熱意と心にあふれた方々が集まる場所なのです。薯B落としでは大町陽一郎氏の指揮で、住民が身体の内からほとばしる「歓喜」を歌いあげました。世界の超一流音楽家をうならせる音響と、運営に当たる方々の熱い心、アウトリーチというシステムで地域へ出かけていき、住民と一体の音楽教育も行なっています。この日も、雪が降りしきる静まりかえった山の中で、駐車場にたくさんの車がとまっていました。 感動の記録『小出郷文化会館物語』↓ www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4880650269/mollymoonjp-22/ 【心のケア義援金】はこちら↓ 銀行: 北越銀行 小出支店(店番号470) 番号: 普通 482206 名義: 小出郷文化会館 館長 桜井俊幸      ニイガタケンチユウエツジシンギエン (北越銀行本支店からは振込手数料が無料) www.hokuetsubank.co.jp/tenpoatm/tenpo.html 運用にはさまざまな課題があります。しかし心のケアは仮設住宅入居のこれからがますます必要となります。目的特化型義援金募集のご案内と、本の読み聞かせ会を実現させることで、私もプロジェクトの第一歩を踏み出すことにします。 今回は、絵本作家くぼしまりおさんより寄贈いただいた猫の『ブンダバー』シ リーズ6冊を6セット、そしてモリー・ムーンの本を桜井館長に委ねてきまし た。同会館を通じて有効活用くださいます。くぼしまりおさん、ご紹介くださったひげうさぎ先生、ありがとうございました。 www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4591068307/mollymoonjp-22/ 玄関で車が見えなくなるまで両手を大きく振って見送ってくれたお二人の姿が眼に焼きついて離れません。 ★緑の風景が一瞬で茶色に山古志村の写真を撮り続けてきた中条均紀氏の写真記事(新潟日報12月2日夕刊)に、山古志村避難所での読み聞かせ(11月18日)を、「一服」、「彩黎」、「朝靄の一軒家」と題した同氏の美しい写真とともに掲載いただきました。地震当日現地で写真を撮っていた同氏によると、緑の風景が地震で一変し、一面茶色の風景になったそうです。この言葉に背筋が凍りつきました。今は茶色になった山々も雪化粧をし、爪あとを隠しています。山古志村の美しい写真が見られます↓ http://yamakoshifan.com/home/photo/nakajom/koshinosato1.htm ★天使もボランティア 新潟の児童養護施設「聖園天使園」の子どもたちにも会ってきました。今度で3回目、背がずいぶん伸びましたね。ひげうさぎ先生のガイドブックをシスターにご紹介したいと考えての訪問です。読み聞かせガイド(ひげうさぎ先生寄贈)、先生ご推薦の数冊、そして『ブンダバー』(くぼしまりおさん寄贈)をプレゼントしました。実は子どもたち、自分のお小遣いを捻出した義援金を持って、被災地を訪問してきたのだそうです。人に喜んでもらえることを行なう喜びを知った天使たち、「クリスマス・イブにはサンタクロースになって、おじいちゃんやおばあちゃんたちを慰めに行くんだよ」と目を耀かせて教えてくれました。みんながモリーに見えました。 www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4806805076/mollymoonjp-22/ ★『絞首台までご一緒に』 10月末にピーター・ラヴゼイ・ファン待望のミステリ翻訳が出版されました。相変わらずのラヴゼイ節と英国らしいユーモアが好評です。 www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150747210/mollymoonjp-22/ 勇気・挑戦のポジティブ思考がどんなに大切かを教えてくれるモリーの物語。ご家族でお楽しみいただける他、ちょっとしたプレゼントや販促ギフトに喜ばれています。ぜひモリー・ムーンをご利用ください。 まだモリー・ムーンを読んでいない人はこちら↓ www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4152500018/mollymoonjp-22/ www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4152500166/mollymoonjp-22/ 頓首 ★@@~☆@@~★@@~ 三好 一美 Kayes Miyoshi 『モリー・ムーンの宝石箱』 http://www.molly-moon.jp ★@@~☆@@~★@@~

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  • 26 Dec
    • うつ病のあなたに~Trust my feelings

       しばらく連絡がなかったボーイフレンドに電話をしたら、「ちょっと病気だった」というのでびっくりした。  よくよく聞いてみると、うつ病で、病院に通っているという。   「年末忙しくて、眠ってる場合じゃないのに、薬を飲むと眠くなっちゃうし、頭がまわらなくなっちゃうんだよ」というので、「休んじゃえば?」と言ったら、納期もあるし、一緒に働いている人たちもいるし、そうそう休めないのだという。  仕事のストレスもあるけれど「タバコを止めたのがきっかけ」で、いらいらしたり、集中できなくなって、そんな時期に自宅に建築トラブルがあったり、身辺いろいろなことが重なったらしい。 「そういうときはがんばっちゃダメだよ」と言ったら、「え? なんで? だって、がんばらなくちゃ仕事ができないんだよ」と言う。  そこで私が話したこと。 1.「うつ病」といっても仕事ができているのであれば深刻に悩まないで、「休みなさい」という信号を受けていると考えること。 「タバコをやめた」から病気になったのではなくて、精神も身体も弱いムーブメントになってきているからタバコを止めようと思ったのであって、原因と結果は逆。 2.体調がよくないと思っているときに、周囲にトラブルがあるというのは、どこからか(神様なのか、宇宙のパワーなのかはわからないけれど)「パワーダウン」の指示が出ている証拠。そんなときにがんばっても、成果がでないどころかエネルギーはマイナスに働く。「休め」という命令が出ていたら、理由は考えずに「休む」こと。 3.うつ病の薬は「治す」ためのものではなくて、「ごまかす」ためのものだから、飲んでもたぶん治らないと思う。もちろん医師の診断もあるから一概には言えないけれど、(のらの)犬や猫は病気になっても病院などないから寝て治すしかない。寝て治らないものは死んでしまうけれど、それは運命だ、くらいに思っておくこと。 4.仕事を休んだくらいで世界はなくならない。休んだくらいで潰れてしまうようなもの(仕事、才能)であれば、所詮それほどのもの。休んだことで失ってしまうものがあれば、それはその程度のもの。 5.無理に働いて、それこそストレスが溜まって自殺でもしてしまったら、なにもかもなくなってしまう。であれば、死ぬよりは活きているほうがいい。    そんなことを電話で話した。  もちろん、そうした話ができる程度の(仕事が継続できているくらいの)状態の人であるからのアドバイスだけれど、こんな話を、宮崎シーガイヤのオーシャン・リゾート前のバス停で、寒風の中、話したのだった。  余談だけれど、ここでの「ハワイアン・クリスマスというイベント視察の岐路、1時間に1本のバスを延々と小1時間待つハメになり、彼との電話はちょうどいい時間つなぎになったのだが、そのおかげで私はバスを乗り間違えた。 「話してたら、バス、乗り間違えちゃったよ! でも、病院行くお金と時間があったら、私とデートしなさい。いくらでも治してあげるから」とメールしたら、「バス乗り間違えるなんて、なんかかわいい(ハート) でも、説得力あったよ。ありがとう」という返信があった。(彼は友人だけれど、恋人でも、デートする相手でもない)  家に帰ったら、かれこれ3年くらい飼っていたハムスターが、冷たくなっていた。  びっくりして手のひらで温めていたら動いたので安心していたら、その後、動かなくなって、死んでしまった。  3年間、ありがとう。  待っていてくれてありがとう。(寒い部屋で冬眠させちゃってごめん!)  Merry Very X'mas to you!

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  • 24 Dec
    • 顔で笑って、心で泣いて~「ありがとう」の気持ち

      公立中学の校長だった父は天下り後、私の会社の専務取締役になった。 創業5年めから約3年間、非常勤で鎌倉から代官山まで通い、できんぼ軍団の社員たちに心を配ってくれていた。 そんな父が癌とわかったのは1996年9月のこと。横浜のイベントで「W-SOHO」が立ち上がり、大勢の来場者にわいているところに「病院に家族全員揃って来てください」という連絡があった。 肝臓癌、肝硬変、糖尿病というトリプル攻撃で、どれかを治そうとするとどれかが悪くなるという、始末に終えない病気だった。 「春までもたないだろうから、最後の親孝行を悔いのないようにしなさい」と婦長さんに言われても、私は親が死ぬということがどんなことなのかわからなかった。 お父さん娘だった私は仕事よりも看病を優先することを選んだ。 仕事をしていても、気がつくと涙がぽろぽろ流れ、夜は毎晩、ひとりで声をあげて泣く日々が父の死後まで続いた。そんなことははじめてだった。 生まれてはじめて「淋しい」と思った。 年明け早々入院した父は2月に他界したが、社長がいない会社は当然受注も収入も減り、おまけに雇った社員が問題児やこそ泥だったり、それまでいた社員たちは将来に不安を感じて次々独立したり、いろいろな不幸が一挙に舞い込んだように思えた。 お金はないし生きる望みもないし、倒産したらどんなに楽になるだろうと考えたとき、弟が「どうせ倒産するなら20億くらい借金をつくって、新聞に載るくらいになって倒産しろ」というへんな応援をしてくれた。  父の葬儀を機会に再会した高校時代のクラブの先輩や友人が、公私ともに支えてくれた。文句をいいながらも妹が一緒に働いてくれるようにもなった。  それでもつらいことがたくさん続いたときにはさすがの私も生理が止まり、感謝しようと思ってもなかなか感謝する気持ちの余裕ができないまま時間が過ぎていった。  父が使っていた机を整理したところ、営業や受注をどうやったらいいかといったメモが何枚も見つかった。  教師だった父に対して、私は「なんにも専務」だと思っていたのだが、父は父なりに会社のことを考えてくれていたのだ。外出の多い私は社内ではほとんど父と会話することもなかったが、社員が「専務さん、専務さん」とちやほやしてくれたおかげで、晩年の父はとても幸せだったと思う。  父がいなくなって、社内がいきなり殺伐としてきたことでも、父の存在が大きかったことがわかった。だいたい、そういうことはあとからわかるのは定石だが、元気なときにもっと労わってあげればよかったと、つくづく申し訳なく思った。  父の病気、そして死による私のダメージは自分で予想していた以上に大きかった。  そのとき「社長になにかあったくらいでガタつく会社ではいけないな」と思った。思ったけれど、どうにもならなかった。  父が死んで、ちょうど丸1年めの2月24日。気分的に喪が明けるであろうと思ったときに、長年仕事のパートナーである寺沢武一先生が脳腫瘍であると宣告を受け、その後5年間に2度手術をした。いまは先生も元気になったが、その5年間は私にとってもつらく、苦しい5年だった。  人生、なにがあるか、わからない。  自分で「こうしたい」「こうありたい」と思っていてもままならないこともたくさんある。    でも、同じように、自分の力や、人知の域を越えた力が働いて、助けられ、前に進むこともできる。  だから、「そういうこともあるさ」と流されて、生かされていくのもいいのではないかと思うようになった。 ★知らないうちにTBステーションのテーマが「ありがとうという気持ち」になっていたので、アトノリながらTBさせていただきます。みんなに感謝。

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  • 23 Dec
    • クリスマスに欲しいもの

      TUP速報の記事がブログになっています。 転送可ということですので、まるごと転載させていただきます。 リバーベンドの日記、12月18日 =============================== 戦火の中のバグダッド、停電の合間をぬって書きつがれる24歳の 女性の日記『リバーベンド・ブログ』。イラクのふつうの人の暮らし、 女性としての思い・・・といっても、家宅捜索、爆撃、爆発、誘拐、 検問が日常、女性は外を出ることもできず、職はなくガソリンの行列 と水汲みにあけくれする毎日。「イラクのアンネ」として世界中で 読まれています。すぐ傍らに、リバーベンドの笑い、怒り、涙、ため 息が感じられるようなこの日記、ぜひ読んでください。(この記事は、 TUPとリバーベンド・プロジェクトの連携によるものです)。 (TUP/池田真里) =============================== 2004年12月18日土曜日 クリスマスにほしいもの・・・ はやくこれを書いてしまわなければ。 3日続けて停電(3日前の輝ける1時間を計算にいれなければ、ね)。 ガソリンの発電機は、ほとんど回らなくなってしまった。ディーゼルの 発電機も、これよりいいというわけではない。3、4時間続けて回すと、 スイッチを切って休ませなくてはならないものばかり。 さて、イラクで誰もが納得の、クリスマスにほしいものリストは、とい えば(「平和」や「安全」や「自由」は入れない。クリスマスの奇跡は ディケンズのお話の中だけよ)、そうねえ・・・ 1.ガソリン20リットル 2.料理用のガスボンベ1個 3.ストーブ用に灯油 4.爆風にも割れないという高価な窓 http://www.sommer-hof.de/usa/blast_proof.html 5.地雷探知機 http://www.foerstergroup.com/UXO/minex.html 6.水道 7.スライヤ衛星携帯電話(近頃、携帯の通話状況はひどい) http://www.thuraya.com/ 8.ポータブルのディーゼル発電機(家中が満足できるような) http://www.generatorjoe.net/subcat.asp?0=541 9.コールマン充電式懐中電灯予備の電池付き(高級懐中電灯なら喜ばれ ることぜったい間違いなし) http://www.tacticalflashlights.com/flashlights/CO5387-700.html 10.いい香りのするろうそく(思いやりがあるだけでなく、実際的な人 だって思ってもらえるわ) (注:URLをクリックすると、その商品のサイトにつながる) サンタが贈り物を配るとき、必ず防弾チョッキを着てヘルメットをかぶる ようにしてね。それに、鄭重にドア・ベルを押すかノックするかしなければ いけない。こっそり入り込んだら、カラシニコフ銃を構えた人と鉢合わせな んてこともありよ。目下の燃料不足を考えると、トナカイとそりは大正解。 だけど、赤鼻トナカイ、ルドルフは、お留守番がいいわ。赤いお鼻が光ると、 爆弾かと怖がる人がいるかもしれないから(私たち、このところちょっとこ わがり)。 ところで、追ってお知らせするまで、メールはすべて、下記にお願いします。 ほかのアドレスは今ちょっとうまくいってないので。 riverbend_baghdad@yahoo.com 午後3時57分リバー (翻訳:TUP/リバーベンド・プロジェクト:池田真里) *転送・転載お願いします。多くの人に読まれますように。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ TUP速報 配信担当萩谷 良 電子メール:TUP-Bulletin-owner@yahoogroups.jp TUP速報の申し込みは:http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/ *問い合わせが膨大な数になっています。ご返事が書けない場合がありますので、 ご容赦ください。 ■TUPアンソロジー『世界は変えられる』(七つ森書館)JCJ市民メディア賞受賞!! ■第II集 10月29日発売!! 以上転載****************************

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  • 20 Dec
    • シュウカツとビジネスに役立つクリパをゴッゴル!?

       その昔、11月末日に始まって12月ギリギリまで、なんと28回も忘年会にお呼びいただいた年があった。  あまりにも連日連夜であることをPRしすぎたら、その後、幸か不幸かあまりお声がかからなくなったが、それでもお声をかけてくださるところもある。どうもありがとう。(今年は集英社のパーティーにも、トムス・エンターテイメントにも行けず、残念)  さて、忘年会やパーティーに行くと、よく(無料のご招待であっても)「会 費分、モトを取ろう」とばかりに酒や食べ物ばかりがっつく人がいる。 しかし、少しでもビジネス・マインドがあるのであれば、この場合「モト」というのが食事ではなく、「人脈」であることと考えるべきだ。  以前、弊社の立食パーティーに、某ベンチャー社長が参加してくれたことがある。 「なにか食べました?」と聞くと、「こういう会はメシを食べに来るんじゃないんだよ。人に会いに来るのが目的だから、飲み物だっていらないくらいだよ」と言われた。 「もし会費が5万円であったとしても、たったひとり、『この人に会えてよかったな』と思う人がいればいい」    そう言われると、コーディネートしている側はかえって心配になる。 「じゃあ、今回は『会えてよかった』って思える人がいました?」と聞くと、 「今回はあなたに会うのが目的だった」と言われた。にくいね!  パーティー会場で、ビュッフェに群がり、がつがつ食べているのは見苦しいし、女性はそもそも「立ち食い」など、エレガントでない振る舞いはなるべくしないほうがいい。   「じゃあ、名刺交換はエレガントか」といわれるとちょっと困るけれど、自力で人脈を作っていくためには、まずはパーティーなど、お招ばれした機会に「コレ」という人がいたら会っておくのもいいと思う。(自分だけで独占しないようにね)  私は、97年から毎月パーティーをやっている。  最初のころは毎回100人以上だったが、いまはごく少数で、15人前後だが「いい人に出会えてよかった」という「場」の提供であると考えている。  パーティーを企画する人たちや、運営する人たちはそれぞれに目的や期待があると思うけれど、参加した人たちが喜んでくれることが重要。  ところで、話は急に飛ぶけれど、アメーバで「ゴッゴル」というのを目にして「何だろう?」と、ずっとわからず、あるときそれが Google のことだとわかった。(鈍い私!)  そして、ちょっと前に「シュウカツ」というのがトンカツの種類ではなくて「就職活動」であるとわかった。  さらにここ数日「クリパ」という新語に出会い、それがクリスマス・パーティーの略だと知った。 「クリパ」・・・ コンパみたいなノリもある語感。昔、チョコレートパフェを「チョコンパ」と言っていたのを思い出した。  ということで、クリパとあるサイトを勝手にトラバさせていただきました。事後承諾ですみません。  楽しくて、参加者がHAPPYになるクリパ情報があったら教えてください。  

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  • 19 Dec
    • 体重が何キロ増えたか怖い週に考えたこと

       今週は月曜が寺沢先生のパーティー、水曜が会社でパーティー(ぱぱらびのブログ参照)木曜は山形で講演、金曜は上山の「こんにゃく番所」でこんにゃくフルコースのランチを食べ、夜は白鷹町で勉強会、そして今日は長井のタスホテルで「Swing Girls ランチ」を食べて帰ってきた。    今回会った人たちのなかで印象的だった人が何人かいた。  印象的、というっても、いろいろな意味でなんだけれど。                 ★  ひとりは、山形県七日町のインキュベーションプラザ「ナナビーンズ」4Fで「サバサバ」というカフェの女性経営者Aさん。  講演のなかで「自分の強みはなにか」という箇所があり、その言葉にひっかかって「頭の中はそれでいっぱいになってしまって、そこからあとは聞いていなかった」という。  おからを使ったヘルシーなケーキが特徴。といっても、ちょっと地味だし、どんな「強み」があるか(出していけるか)と考えてしまったのだそう。 「仕事をしているうちに、もっと基礎を勉強したほうがいいと思うようになった」というけれど、私は「学校もいいけれど、仕事をしていることも最高の学習の場でもあると思うよ」と言った。  ただ「きちんと基礎を学ぶ」という必要があるとわかっているなら、学校も悪くないと思う。  そもそも学習や研究というのは最高にエキサイティングだし、「高校を卒業したらとにかく進学しなくちゃいけない」というような理由で進学するよりは、年齢なんか関係なく「勉強したい」ときに勉強するのがいい。                ★  私は大学に行かず、仕事を始めたが、20代のときに女性雑誌の編集の仕事を中心に行うことで「女性マーケット」や「女性のネットワーク」「コミュニティ」について、体験的に学習する機会を得たと思っている。  そもそも雑誌の編集者というのは貧乏性で、なんにでも好奇心旺盛で、アンテナを張り巡らせているような習性を持っている人種が多いのだけれど、私も先輩たちからそんな「編集者魂」を伝承していて、若いころはいろいろな勉強会や研究会に顔を出していた。    そんなある日。  ある研究会で仲良くなったS社の方から「ちょっと作文、書いてくれるかなあ」という電話がかかってきた(メールがなかった時代だった)  文章を書くことは好きだったので、ふたつ返事で承知すると「じゃあ、フォーマットがあるから、それに従って書いてね」と言われ、数日たって、情報処理学会の論文用フォーマットが手元に届いた。  論文なんて見たことも、考えたこともなく、しかも、表紙に「英文でabstractを書け」、とある。(abstractってなんじゃ?と思いました)  そういえば「ちょっと英語も必要なところもあるけれど、困ったら僕が手伝う」みたいなことを言ってたっけ、と思ったもののの「やられた!」とそのときは思った。  思ったけれど、面白いから書いた。  テーマは「女子高校生のクチコミ・ネットワーク」  発表したのは、情報処理学会情報メディア研究会。  情報メディア研究会というのは、かなり先進的なネットワーク・コミュニティ分野などを総合的複合的多メディア的に研究する会で、学会のなかでも異色だった(そして、学会において、唯一後日「廃止」した研究会でもある)  おもしろいだけに、ユニークで個性的な研究者が集まっていたので、そのまま私は学会に入れてもらえることとなった。  学会というのは本当におもしろいし、「数年後に実用される技術によって、どんな社会やライフスタイルが形成されるだろうか」と想像するネタの宝庫である。  論文自体はほとんどわからない内容であっても、2次会で聞くエッセンスは多いに「未来を見る眼」を養ってくれるものが多かった。(その後、98年から数回、アメリカのISWC=International Symposium on Wearable Computarという学会の常連参加までして、英語で発表までしちゃうほど、学会が大好きだった)  私は研究者には到底なれないし知恵も能力も限界があるけれど、世の中にはすごい人たちがたくさんいるということがわかったし、そうした天才的な人たちと仲良くできることがわかり、学ぶことのおもしろさを教えてもらったように思う。  「勉強って楽しい」  もっと若いときに知ってたらよかったかもしれないけれど、仕事の経験と体験があるからわかったことかもしれない。                ★ ところで、「サバサバ」のケーキは甘味もほどほどで、男性にも好評。もっと素人っぽいかと思いきや、想像以上においしかった。(ほんと、おいしかった!)  チーズとレーズンが入ったケーキなんか、絶品でしたよ!  が、いくつか改善すべきところはある。  ケーキを包んでいるフィルムがはがしにくいので、食べる前にイライラ。  これはマイナス印象になってしまう。  それから「サバサバ」という店名は、本来はフランス語なんだけれど、ケーキがパサパサしてるみたな連想しちゃうので、店名としてはどうかな。 「強み」につながるキーワードは、「山形」「女性」「ヘルシー」  これにもうちょっとインパクトがあるテーマが加わるとしたら?  ということで、次回またお会いできるのが楽しみ。    おいしくて、安全で、ヘルシーなケーキ、これからも期待しています!

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  • 14 Dec
    • 業界のミニ・パーティーで回顧(年か!?)

       昨晩(12月15日)は漫画家の寺沢武一先生のパーティーだった。  100人規模のパーティーを、私の会社では10年以上、毎年開催していたわけだけれど、昨年からは業務が妹の会社に移ったこともあり、私はすっかり隠居気分。思えばいろいろありました。  「作家の著作権管理なんか、ハンコを押すだけだから」と言われてホイホイ引き受けたら、(ヤ)映画で有名な親会社を持つアニメ会社に嫌がらせをされて数千万円の示談金を支払うハメになったことをスタートとして(そういうことってあるんですよ)、世の中が2ビットだ8ビットだといっているときに「デジタル・コミック構想」をぶちあげたり、日本人がぜーんぜん参加しない海外の漫画やアニメのコンベンションに出展したり、サイン会をやったり・・・。 「海外に、こんなにファンがいるんだ」とわかったのは、フランスのアングレーム国際コミックサロンで、90年ころだったと思う。(15年も前!?)  ルーカスのスタジオ(ILMやルーカス・ランチ)にも行ったし、ジャッキー・チェンやリー・リンチェ(ジェット・リー)にも会った。メビウス、ラリー・レイ・ハウゼン、ロジャー・コーマン! リック・ベッソンも、リチャード・ブランソンも、寺沢の漫画のファンだと言っていたし、もっともっと、いろいろな人に会ったっけ・・・    なーんて感慨にふけっていたら、トムス・エンターテイメントのYさんが声をかけてくれた。 「おひさしぶりです! ボクも2年ぶりに来たんですけれど、ずっとお会いしたなかったからどうしてるかなあって思って!」  トムスは「ルパン3世」や「あんぱんマン」などのアニメ製作会社で、大昔に「コブラ」も製作している。  その後、デジタル化やDVD化、海外版権など、いろいろな局面で知恵を絞りあった仲といえる。 「あのころは、いろいろやられていましたものねえ。モンキー(パンチ)先生とサンディエゴ(のコミック・コンベンション)に行ったり、いろいろ苦労されてましたものねえ」  なんて、感慨深く言われるものだから、思わずウルっときそうになってしまった。  そうそう。漫画家の先生方にもいろいろお世話になりました。  10年も20年も前にやっていたことを覚えていてくれる人なんてめったにいない。  ましてや、そのころがんばっていたなんて言ってくれる人は、そうそういない。  嬉しかったです。ほんと。  そのころにがんばっていて、よかったな、って思った。  会の終わりに、寺沢先生までもが「昔、ゲーム会社に企画を提案し、海外に売り込みに行き、いろいろな人に会い、基盤を作ってきたのが、いまやっと実現に向かっている」なんて言うものだから、ほんと、ありがたいものだと感謝しまくって帰ってきた。  いろいろな仕事があって、いろいろなやり方があるだろうけれど、種を撒いてから育てるものもある。  私の場合は、開墾から始まって、種を植えて、芽が出るまでめんどうを見る。それが好き。  何年かたって、自分が開いた土地に実が実ったときには、その実は残念ながら私のものではないのだけれど、それでヨシと思っている。    アメリカの荒地にりんごの種を撒いて歩いた「ジョニー・アップルシード」という人の伝説がある(らしい)  儲かる(儲ける)のは、「りんごは売れる」と気がつき、上手に売る人だとわかっているけれど、それでも私はりんごを売るよりも、りんごの種を撒く場所づくりに興味がある。  これから仕事を始める「若い」人たち。  10年後、20年後の世界のために、何を仕掛けたい?

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  • 12 Dec
    • 人の言うことよりも、わが道を貫くことが潔し(たとえ茨でも)

      「就職活動」って、大手企業に入社する人ばかりじゃないはずなのになぁ。  クリエイター系とか専門職とか、もっとあっていいはずなのになぁ、と思いながら、いろんな人のシュウカツ・ブログを読んでいる。 「●●業界に入りたい」と思っても、たとえば広告代理店なら「制作」もあれば「営業」もあるし、経理だって総務だって人事だってある。入ったからといってやりたい仕事ができるとは限らないこともあるんだけどなあ。  でも、大手なら給料も福利厚生もいいし、知名度があれば合コンでもお見合いでもつぶしがきく。潰れる会社もあることはあるけれど、零細企業よりはずっと生活は安定する。  でも、私は就職したいとは思わないなあ。  仕事は自分で選びたいもの。  というか、やりたくないことはやりたくない。(したいことをする、というのと全然違う考え方!)    私は、フリーランスのころもいまも、クライアントは大半が大手企業だけれど、就職したいと思ったことはない。(就職試験を受けたら、間違いなく落ちてるだろうけれど)  それでも知名度があるところで仕事をすることはキャリアになるということもあるが、それ以上に、先方の資金が潤沢であったり、リスク管理を任せることができるという理由が大きい。  では私は「下請け」かというと、(お金の面でいえば下請けではあるけれど、)仕事の上では「ブレーン」であり、ディレクターであったり、プロデューサーであったりする。  言われたことをやる、という仕事は私がわざわざやる必要はないからやらない。私がやることは、私でしかできないことだけで充分だし、限られた私の時間のなかで、私にできることは限られている。 「あなたは人の話を聞かない」「他人に関心を持たない」と忠告してくれた友人がいた。  自分ではかなり他人想いだと思っていただけにかなり凹んだが、よくよく考えてみればそれも当然であると開き直った。  私はひとりで、自分の生きる道を開拓するしかなかったし、「私でしかできないこと」を他人に理解してもらうためには、他人がどう考えているかなんていうこと以上に自分の想いを伝えることに一生懸命にならざるを得ない。  逆をいえば、「私に関心がある人しかつきあわない」というので充分だと思っている。  友人のタロット占い師YOGEさんによると「『キライだ』といって寄り付かない人が出てきたことによって、好意を持ってくれる人だけが周囲に残った。それでいい」といってくれたが、人生でも仕事でも、必要としてくれる人はそうたくさんはいらない。  一方、ヒーラーのGさんは「他人のために一生懸命になるのは『我欲』でしかない」という。「人のために」ということは自己満足でしかないと知ることがたいせつという。    就職活動でいえば、「受かるための技法」的にエントリーシートの工夫を考えたり、セミナーを受けたり、身なりを整えたりすることは、表面的な自己満足による愚策ではないか。 「相手に対するマナーというものがあるでしょう」という考え方も大切にしたいけれど、時には、相手や、マナーなんかよりも「自分の信念」があればいいこともある。  一例をあげると、ホリエモンのTシャツは今に始まったことではなく、私が知る限りでは大学生のころからほぼ同じスタイルだった。そういう「自分のスタイル」を貫いていけたらステキだ。(服装ということではなくて)  わかる人だけわかってくれればいい。  わかる人に出会えたら、あとはいらない。   こんなガンコでワガママでナイーブな私が大成するのは、この占いによれば2024年なんだそうです。ちょっと先すぎます・・・  お金持ち度テスト http://okane.hanihoh.com/

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  • 11 Dec
    • シンクロニシティと食い意地の無関係な関係

       シンクロニシティ(synchronicity)っていうのは、三省堂の辞書によると「心に思い浮かぶ事象と現実の出来事が一致すること。ユングの用語」ということで、日本語では「共時性」というそう。  私の場合、なにかが起こりはじめるときに、不思議なシンクロニシティ現象が多発する。  たとえば、自宅にいて、離れた部屋にいる妹と同じ歌を歌い出す、みたいな。  先日、仕事関係の友人が打ち合せに来てくださったときに、一緒に来た人が山形出身とわかり、その町に住む知人の名前を挙げたところ、なんと実家はその家の真向かいであるという。 「へー、偶然ですねー」 「奇遇だーっ!」  とびっくりしていたら、数日前、このブログを読んでメールをくれた人がまたまたその町出身で、なんと苗字が同じというので、よもやと思い、渋谷の居酒屋の両者をそれぞれお招きしたら、なんと「兄弟!」でした! 「めったに顔を合わさない、やや年の離れた兄弟」はお互い仕事の話をするようなこともなかったらしく、なんとなく緊張というか、居心地悪そうで申し訳なかったけれど、私はステキな独身男性をふたり前にして、なかなか楽しいひとときを過ごさせていただいた。いやー、ほんと、面白いよね。  閑話休題。  20歳のころ、私は「将来のメディアは電話の延長じゃないかな」(=コミュニケーション)ということだった。  雑誌というのは、企画をたててから取材・編集を経て出版するまで、3ヶ月以上かかる。  そのうえ、そのころは外国の雑誌は船便で3ヶ月遅れ、航空便でも1ヶ月遅れでしか手に入れることができず(当然衛星放送もなく)、「いま、地球の裏の人たちは、何を食べているんだろう?」なんていうことが即わかったら面白いんじゃないかと、食い意地を国際的に貼りめぐらせたいと考えていたのである。(ちょっとウソだけど)  2002年にブロードバンドの実証実験をやったときに、海外ではないけれど、東京と、山形と、北海道と、金沢と、まあ、数箇所の拠点の人たちが、WEBカメラの前でイクラごはん(金沢のイクラと、山形の米)を同時に「いただきます」して食べたことがあり、ちょっと感慨深いものがありました。  もっと書きたいけれど、1時を過ぎてしまったので、カボチャの馬車がなくならないうちに帰らなくちゃいけない。続きはまたあとで。      

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  • 09 Dec
    • 絶対必要、となれば案外なんとかなる

       アメリカ2ヶ月間取材旅行の話は、それだけで本が1冊書けるくらいおもしろい体験の数々だった(その後雑誌は特集号が出たけれど)。  たとえば、ドライバー兼編集がトンズラしたおかげで、免許のないカメラマンと2人でほぼヒッチハイクの旅であったとか、ニューメキシコで熱気球に乗ったり、コロラドのホテルでバスルームの水栓が壊れて熱湯が噴出して部屋中サウナになったり、オハイオ州サークルヴィルで全米一のかぼちゃ祭りに行ったり、ニューヨークでディスコ(!)を取材したり、ハーバード大学やUCLAやアリゾナ大学の学生寮に行ったり、ハリウッドの演劇学校に行ったり、といった感じ。(もっとあちこち行ったけれど、それは割愛)  これですっかり味をしめて「なんとか海外に(人のお金で)行きたい」と思っていたところ、翌年は小学館「CanCam」の取材で2週間、モントレー&カーメルという西海岸のリゾートを取材。  クリスマス・シーズンに「カリフォルニアでベスト5に入る」という店を3軒も取材して、昼間からフルコースと地ワインを飲みまくった。(撮影用のお料理をご相伴! なんていい仕事!)  その後「CanCam」で取材した国は、メキシコ、エジプト、マレーシア、タヒチなど。  講談社ではニューカレドニア、シンガポール。  その他の雑誌では、バリ、バハマなど、海っぽいリゾート地に、1年に1回くらいは取材に行かせてもらった。  前のコラムを読んでいる人はわかると思うけれど、私はきちんと英語を習ったことがなく、しいて言えば1ヶ月のホームステイ期間中に英語漬けだったくらい。 「どうやって英語を勉強したんですか?」という質問をもらったときのために書いておくと、音楽と映画をしこたま聴いて、観て、というのが中心。英語の曲を(たとえばカーペンターズやPPMなど)しこたま聞いて、唄って、覚えた。 「しゃべる」というよりもフレーズで「それらしく聴こえる」というものを丸暗記しちゃうと早い。  大人相手なら相手のほうが「こういう意味?」とか気をまわしてくれたりするので、ブロークンでも通じる。  エレガントな英語を話したいものだと、●ルリッツという語学学校に行ってみたことがある。ここでクラス選択用テストで「E」になり、なんだか先が長そうだったので学校で学ぶことはやめた。私は極めて根性がない。  その程度の語学力でありながら、海外取材では通訳なしで取材決行! 取材どころか電話でのアポとりも自分でしていた。  その後私の英語力は衰えることなく進歩し続け・・・ というわけではないのだけれど、寺沢武一という漫画家と出会い海外展開の際にいやおうもなく使いこみ、その後MITで講演(英語)を2回もするまでになる。いやはや、たいしたものです。 (1998年にMITと仕事をしたときは、時差が13時間あるため、メールを出して寝ると、朝起きたら返事がきている、というローテーション。24時間体制で仕事ができたが、恐ろしい量のメールが「MITの教授」からどかどか届く。ただただ読んで、読破するしかないすごいトレーニングにもなった)    話は戻ります。  1年に1度の海外取材のほかは、雑誌や新聞の編集の仕事をがつがつとこなした。その後お世話になった雑誌は(廃刊も入れて)こんな感じ。(思いつくまま) 「オリコン」「GORO」「平凡パンチ」「Popeye」「Brutus」「家庭画報」「婦人画報」「25ans」「McSister」「キネマ旬報」「HotDogPress」「フラウ」「ViVi」「チャレンジ」、学研の学年誌、「BOMB!」、「アルバイトニュース」「とらばーゆ」「サリダ」「Duda」「Telepal」「レコパル」「サウンドレコパル」「ちゃお」「女性セブン」「マフィン」「セブンティーン」「別冊マーガレット」「ビッグコミック」「non-no」「PatiPati」「Cutie」「Judie」「プチセブン」「週刊ポスト」「日刊ゲンダイ」「朝日新聞」「毎日新聞」・・・・・・・ などなど。  22歳のときにはアシスタントがいて、多いときには8人くらいが詰めかけて、ライターのタコ部屋みたいになり、ドロドロになりつつ、仕事をわしわしこなしていた。そして「やりたい企画が通る」というまでにはがんばって売り込みをしなくてはいけないので、大手出版社に暇さえあれば「御用聞き」に出向いていた。(食生活が充実している小学館にはメシ時を狙っていく始末!)  ひとつの企画が通るのに3年かかったこともある。  たとえば、漫画家さんのイラスト集というのは、いまでこそ珍しくもないが、昔はなかった。なかったんですよ!  少女漫画家さんのタイカである「くらもちふさこ」先生のイラスト集の企画も、「別マ」編集部に通って、通って、通って、3年ごしに決まった!  最初は「漫画家のイラスト集なんて、買う人はいない」と言っていた編集担当者も最後には根負け(?)して出版したところ、大好評で、以来、漫画家さんのイラスト集がいろいろ出版されるようになる。 (これがご縁で、会社を創るときに社名に漫画のタイトルを使わせていただいた。くらもち先生には大感謝です)  こんなに忙しい編集業をやりながら、私のココロには20歳のころから思っていたことがあった。それは「未来のメディアはどうなるのか」ということ。  ああ、あたらしいメディアって、いったいどんなものなのかしら!? という話は明日へ。   おまけ情報:  海外適応度占い。http://u-maker.com/61064d.html  私の海外適応度は「楽しめるかもね」  そしてわけわからないのですが、私の来世は「すね毛」だそうです。(そんなのイヤ)

      7
      テーマ:
  • 06 Dec
    • 「やってみたい」ことはトライしてみるに限る

       さて、1ヶ月のホームステイから戻って、また、新たな職探しをしなくてはいけないわけだけれど、アメリカがすっかり気にいってしまった私は「なんとかアメリカに関わることを仕事にしたい」と思った。 「Fine」という雑誌が創刊されることを知り、最初はそこに「エディトリアル・デザイナー」として売り込んだのだが、あまりにもユルい編集者ばかりで(私はミニコミの編集の経験もあったので)「私にも編集をやらせてください」と編集長に直訴して、一時は企画、取材、編集、デザイン、をひとりでこなしていたこともあった。  当時を知っている人にのちのち会ったときに「あのころ、あなたはいつも編集部のソファーで寝ていたっていう印象しか残っていない」と言われたけれど、確かに毎日毎晩徹夜状態で、仕事を届けたところで力つきてソファーで爆睡していたのだと思う。  いちばんすごいときには5日間連続でほぼ徹夜したことがある。  若いから2日くらいまではなんとかもつのだけれど、それからコーヒーを飲み、エスタロン・モカ(眠気防止薬)を飲み、スタミナ・ドリンクを飲み・・・  最後の日は1時間おきにモカを飲んで、胃がおかしくなった。  まあ、そんな「若気の至り」も、あとあと思い出になるからおもしろいよね。 「Fine」はサーフィンをテーマにしたファッション雑誌で、編集長の三輪さんは西海岸が大好きだった。(時代は西海岸ブームだったしね)    そこでフツフツとアメリカに行きたいと思っていた私は、なーんと「1冊まるごとアメリカ特集」の企画を提案した。  企画しただけではなく、アメリカ商務省観光局に取材協力依頼に出かけ(当時は「海外取材」というのは外国の出先機関に申し出なくてはいけなかった)、タイアップ企業もひとりで集めてまわった。  アメリカ商務省観光局でそうした雑誌関係の取材をとりしきっていた仙石さんは、牛乳瓶の底のように厚いレンズの眼鏡をかけ、ガラガラ声で、めちゃくちゃブロークンな発音の英語でケンカをするようなおじさまで、「取材に女? 女なんてダメだよ~ん」というような調子。 「そこをなんとか」なんていいながら、20ページくらいの企画書を何度も持っていって、そのうちご飯などご馳走になるくらい仲良くなった。  やっとのこと「まあ、あなたなら行かせても大丈夫だろう」とOKをもらうことができて、なんと2ヶ月にわたる長期取材に出かけることができたのである。  23歳。2回目の飛行機は、パン・アメリカン航空(通称パンナム)で、いきなり「ファーストクラス」!  サンフランシスコからコロラド、ニューメキシコ、アリゾナ、ケンタッキー、オハイオ、ニューヨーク、ニューヨーク・シティ、ボストン・・・   アメリカの半分くらいをまわる旅が始まった!  ということで、続きはまた明日。

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  • 05 Dec
    • スマイル、チャレンジ、エキサイティング!

      私はアメリカ(特に西海岸)が大好きだったが、その理由は「ポジティブ」であるところ。 だから、生まれてはじめて行った外国は、アメリカ、サンフランシスコ。 中流よりややアッパークラスの家でのホームステイをした。(以下、再録) アメリカの家で学んだことは「チャレンジ」という言葉だった。 お母さんはなにがあっても「スマイル」と「チャレンジ」と「エキサイティング」を合言葉にしていた。 「今日ね、こんなイヤなことがあったの」(私) 「それはひどいわね。でも、スマイルよ!」(お母さん) 「こんなこと、できっこないと思うんだけど」(私) 「チャレンジよ! だって、それができたらすごくエキサイティングじゃない!」(お母さん)  私の実の母は、どちらかというとグチっぽくて、毎日が不満と不服の積み重ねみたいなところがあるようなタイプなのだけれど、アメリカのお母さんはめちゃくちゃポジティブなのだ。    あるときお母さんが(たぶん)夫婦ケンカをして泣いていたことがある。 「どうしたの?」と聞いたら、涙を拭きながら「スマイル、スマイル」と言って、口の端を手で引き上げたことがある。  なにがあったのかはわからないけれど、怒りや悲しみの最中であっても「スマイル」の心を持たなくちゃいけないんだ、と、そのときに感じた。  アメリカのお母さんによって、私の人生観はめちゃくちゃ変わった。  そして、こんなアメリカに自費で来るのは限界があるから、なんとか仕事で来たいものだと考えた。    

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      テーマ:
  • 04 Dec
    • 20歳で独立したいいさつ。職業適性チェックは当たる?

       イエローキャブの生みの親の野田さんが、社長を退任した。 「これからも野田商店でいく。株式会社野田商店にはならない」  いいなあ。これだよ、これ。 「うちで扱っているのは『人』だから、計算どおりになんかいかない。経営方針は『どんぶり』だ」  さすが野田さんです。  大きくなりすぎたイエローキャブから個人企業にスピンアウト。正解だと思います。 (野田さんは一度、日本酒のシンポジウムで同席させていただいたことがあるけれど、テレビのままでした)  さて、昨日のコラムの続き。  なんなく就職できてしまったデザイン会社は、超有名な凸版印刷のなかにあったということもあり、ろくに経験もない私であるにもかかわらず、超一流企業の仕事(の末端)に関わることができた。これは大きな収穫だった。  当時私がやらせてもらった仕事のクライアントは、都市銀行(ポスターやノベルティ)、日産自動車(ファミリーフェアの企画をやりました)、不二家(アソートボックス作りました)、ナビスコ、資生堂(業態開発やりました)、花王(ヘアケア祭りの景品考えました)、グリコ(おまけを考えました)、ロッテ(「小紫ちゃん」というキャンディーのデザインしました)、明治(「カールおじさん」と最後までキャラクターを競いました)、などなどなど。私が企画して提案したことが、半年もすれば世間でポスターになったり、具現化する。  大きな会社に入って安定した生活を送るという考え方もあるだろうし、ステップを追って出世していくという生き方もあるだろうけれど、私の場合はいきなり「実践」 それも「プロ」として(アシスタントだけど)大きな仕事をやることができた。  小さな会社のおもしろいところは、「即、実践」ができることだと思う。  賢くて、しっかり人生設計することができる人なら、やはり大手一流企業に就職したほうがいいと思う。  よく「やりたい仕事をやれ」なんていうことをいう人がいるけれど、「仕事」になればどんな仕事だってつらいし、たいへんだし、めんどくさいし、でも、やっていればエキサイティングにもなるし、やりがいにもなる。   礼宮様が「公務とは受身であること」と発言されていたが、仕事というのは(全部とはいわないまでも)受身でこなさなくちゃいけないことが多多あって、それを80点ですませる技術を持つのが大手社員。100点満点にするのが中小企業オーナー。120点がんばってしまうのがSOHOや個人。 がんばればいいわけではないんだけれど、がんばりたいと思うなら、実践型の小さな会社はオススメだと思う。  収入も少ないし、生活も安定しないかもしれないけれど、だからこそ自分の実力を発揮して、自分の食い扶持くらい稼げるように力をつけていこうという気にもなろうというものだ。  なんてことをいまでこそ言っているけれど、当時はまったくそんなことは考えていませんでした。    そのころ「女子は残業してはいけない」というルールがあり、午後8時になると男性社員を残して帰らなくちゃいけない。  一方、朝は8時30分出社となっているけれど、その時刻には掃除を終了させて、みんなのコーヒー(それも砂糖だの、ミルクだの、好みがバラバラ!)を入れておくのが新入社員の仕事、となっていたが、私のあとに男子が入社してきたのに、相変わらず掃除やお茶は私の仕事。なんだか納得がいかなくなって、ほかにもいろいろ思うところあって、1年で辞めてしまった。  ところが、辞めてしまったら次の就職先が見つからない。  自慢じゃないけれど、学歴も、コネも、経験もない。  にもかかわらず、いい仕事ばかり眼にしてしまったので、ヘボい仕事はしたくないときた。  でも「この機会にいろいろな会社を見てみよう」とばかりに、200社くらいの面接を受けまくった。試験も受けた。で、玉砕。    就職しようにも就職先がなく、凸版からのアルバイトが細々とあって、独立するほどの収入ではないけれど、就職するには仕事がある、という状態になり、そのままフリーランスで仕事をすることになった。  フリーランスで仕事をすることについては、また明日。  ところで、いまさらながら「職業適性チェック」してみました。 http://www.goisu.net/cgi-bin/psychology/psychology.cgi?menu=c040  私は「花形系」だそうです。  そんなこととはつゆ知らず(?)、資本金ゼロ、元手なしでできる仕事を、20歳にて画策するのでありました。  PS akaisuisei777さんのコメントによると、このリンクが「エッチ度」になっとると!? ありゃりゃ。動いちゃうのかしら、これ?  で、私の「エッチ度」は「体当たりでいろいろトライしちゃうタイプ」(爆)  ちなみに、このサイトの「心理テスト」の一覧はこちらにあります。  http://www.goisu.net/phycology.html    

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      テーマ:
  • 02 Dec
    • 何で就職するのか 最初の就職はなしくづし的^^

       私の就職活動といえば、いまをさること・・・石器時代くらいの大昔?  でも、やっぱり書いておきたいことがたくさんある、ような気がするので、ジャンルのお引越しをしました。よろしくね。  私はいまでは立派な(?)株式会社の社長だけれど、なんで社長になったかというと「やりたい仕事ができる会社がなかったから」にほかならない。  でも、そう書くと、いかにも目的意識を持ったヒトのようだけれど、もともとは「自分はいったい何ができるんだろう」ということがわからず、手当たり次第に目の前にあるものをこなしていたに過ぎない。    大学には行かなかった。就職もちゃんとしていない(後述参考)  でも、学会で論文発表やらせてもらったり(海外でもやったりね!)、MIT(アメリカの大学ね)のメディアラボと仕事をして「卒業生」扱いしてもらったり、もう、めちゃくちゃラッキー&ハッピーなことがたくさんあっていまに至っている。  遡ると、高校時代は県立の進学校で、なんと国立理科系を希望していた。(あくまでも希望)  それがいつのまにか私立理科系になり、国立文系になり、最後は「行きたいところが見つからないから行かない」という自堕落ぶり。  ところが当時の担任の先生が「オマエはえらい。大学だけが人生じゃない!」なんて喜んでくれたので、「そんなものかなあ」と思って進学しなかった。  本当はいくつか合格して「合格したけど、行かない」というハズが、世の中そんな甘くはなくて、国立、市立、私立と1つづつ受験して、みごと玉砕(笑)    とはいえちょっとは心配だったから「センセイ、(この学校で)進学しないのは私だけじゃないですよね?」と聞いたところ、「もちろん、オマエひとりじゃないよ」と言われたが、どうやら私の前後10年、ドロップアウトは私ひとりだったという噂である。やられた。  大学は行きたくなかったけれど、なんとなく「レタリングがやりたい」(文字が好き)と思い、グラフィックデザインの専門学校に入学したもののすぐに飽きて、音楽関係のミニコミ出版社に入り浸り、進級の学費がもったいなくなって中退。 「困ったなあ」と思ったものの、母が新聞の求人欄に「グラフィック・デザイナー募集」という小さな記事を見つけ(当時はカタカナ職業は珍しくて、求人もめったになかった)、秋葉原くんだりまで面接に行ったのだけれど、偶然ながら凸版印刷という大会社のなかにオフィスがあるデザイン会社で、私は19歳にして「凸版印刷アイデアセンター」の準社員扱いである「カニセデザイン事務所」社員となった。  社長の蟹瀬さんは当時、デザイン雑誌にはバンバン登場している有名デザイナーだったというのに、私は面接時に「キミはどの雑誌を見たの?」と聞かれて、「(デザインの)雑誌なんて見たことありません」と言ってのけた。それでも採用してくれたのは、履歴書の字がきれいだった という説と、足首が細かった という説がある。  実際には、ミニコミ出版社に入り浸っているときに、編集やデザインなど、OJTでいろいろな仕事をしていたので、年齢のわりには作品が多かった というのが理由だと思う。 いずれにせよ、結構簡単に就職できてしまった。  私は19歳のときにデザイン会社に「グラフィック・デザイナー」として入社したわけだけれど、自慢じゃないけれど「ポスターカラー」というものをそのときまで使いこなしたことがなかった。グラフィック・デザイン課の学校に行っていた(はず)なのに、ほとんど勉強していないから、基礎はまったくわからず。ただ、出版社で実践したことしか知らないので、毎日が新鮮、ではなくて「なんで私がこんなこと、やるんだよー」という気分で、超ナマイキだったと思う。  いまならコンピュータがあるけれど、当時はチーフが見本帖から「これとこれとこれと」と短冊みたいな色見本チップを選び出し、それと同じ色をポスターカラー(要するに絵の具)を混ぜてつくるのが私の仕事。  黄色と青では緑になるし、赤と青では紫になるが、ビミョーな色はなかなか作れず、色を混ぜていくと濁った灰色や茶色になってしまう。つまりダメ社員。   それでも編集はできたし(と思う)、企業の業態開発のコンセプトや、イベント会場のPOPとかファザードのデザインをやったり、キャラクター開発をしたり、「女の子ものはまかせて!」という女王様のような仕事ぶりだった。    当時は女性の仕事というと、事務か受付くらいしかない時代だったので(ああ、年がわかるわ<笑)、クリエイティブな女の子(19歳!)はとても重宝されたんですね。  ということで、続きはまた明日。    

      17
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プロフィール

伊藤淳子@A-Girl Creative

性別:
女性
誕生日:
2月21日生まれ
血液型:
O型
お住まいの地域:
東京都
自己紹介:
【プロフィール】 『だいじょうぶ。ニャンとか生きていけるよ』『天職が見つかる 女のお仕事バイブル』...

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