2018年初の投稿です。

数日前地元の知り合いが家を建て直すため、
ご両親の代から受け継いだものなどを整理し、
その中で万一誰かとモノが出会えたらと、
内内に会を設けてくれ、私も出かけてきました。

門構えから見事な松の木に見ほれながら、
中に進むと大きな石の庭
ご両親さまから引き継いだ家とモノの数々。

伺った私たちに所有者を見つけるために
整理しておかれたモノを一つ一つ丁寧に
説明をしてくださいました。

それをお聞きするうちに
よく思い切って手放すことを決められたなぁと!
気づけばそこにいた皆が同じ気持ちでした。

すると、彼女は家そのものをこれからどうするのか
どうしたいのか、あまり考えてこなかったけれど、
確実に人も家も年を重ねていく
その時に、いろいろな方に相談した結果、
これからの自分や家族にとって
必要なものを決めるときだ、と思ったとのこと。

だから、懐かしいなぁ、
大切にしていたなぁ、
という感慨が浮かんできたときには
その中で何を今からの人生に持っていきたい?という
問いに代えることにしたと。

その結果、
大切にされてきたモノたちとの
出逢いの場を設けた彼女


そこに出会えた私も
いくつかのモノを物語と共に引き継いできました。

モノのあふれるこのご時世、

母たちも私が死んだらどうするのと心配するほど。


ほとんどのモノとのかかわりは
時間の経過とともに過ぎて行ってしまいますが、

大切に使われた気持ちを持って

知り合いに引き継がれるとしたら、
モノにも人にも仕合わせだなぁと。


そして何よりこういう場を設けて
大切なモノとの別れの機会をつくられた彼女。

 

私もぜひこんな形でモノと人が仕合わせる機会を

つくってみたいとしみじみ思った出来事でした。


本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

<ライター:伊藤惠子>

 


 

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石化柳(セッカヤナギ)とボルドーのカーネーションです。
 
この柳は茎が帯化(たいか)、つまり枝が帯状に堅く平たくなります。
流線型のかわった枝ぶりに同じものは二つとありません。
オンリーワンの枝ぶりの柳に仕合わせて、花も葉も選んでいける…素晴らしいですね。
 
個性的な色の洋花も盛り花で大活躍です。
どうぞ線と余白をお楽しみください。
 
いけた人:松尾 柳竹
 
※2017年1月20日の記事のアンコール投稿です。
 
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指揮者の小澤征爾さんが、NHKあさイチで語られました。
…   …   …   …   …
作曲家が曲を書く時は、まず頭の中に音・曲がある。
それを楽譜にするにあたっては、すごく制限がある。
その制限の中で書くしかない。
演奏家は、その作曲家の頭の中にあった元々の音楽を演奏するんだ。
それには勇気がいる。
音をちゃんと出すことに一杯々々になっていては、できない。
…   …   …   …   …
「それには勇気がいる」…演奏者にとってのこの勇気の意味は、私にはよくわかりません。
ですが、
ことばも同じだなぁと思いました。
心に浮んだ想いを言葉に表す時、ぴったりあてはまる言葉を探して四苦八苦しますよね。
制限の中で私たちは暮らしています。
 
でも、制限を超えようとするプロセスでこそ、可能性が拡がるのかもしれません。
もしかしたら、演奏者や指揮者が勇気を出して表現した曲が、元の作曲家の頭の中にあった曲を超えるかもしれない。
それは、とてつもない仕合わせ…めぐり合わせですね。
 
仕合わせる一言通信は今日が1501回目の更新です。今日もお読みいただき、ありがとうございます!
 
〈ライター:斉藤知江子
 
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この地球に男性の数は「35億!」というのはブルゾンちえみwith Bのギャグですが、私たちの身体の細胞数はいったいどれくらいか調べてみると、一説によるとなんとその数「37兆個!」だそうです。

細胞はそのひとつひとつが生き物ですよね。

私たちが健康な時は35億人の1万倍以上の生きた細胞がしあわせに仕合せて暮らしているのです。

まるで奇跡ですね。

私たちは元々仕合せる存在だったのですね。

 

<ライター:沢 啓>

今日も仕合わせる一言をお読みいただき、ありがとうございます。

 

“人と人との関係性によって物事が決まっていく”という考え方を、目や耳にすることありませんか?

西洋では“社会構成(構築)主義”などで言われていますし、日本でも“仕合わせ”ますよね!

 

ではこれを「中空構造」から見たらどうなのでしょうか?

(中空構造とは、元文化庁長官で臨床心理学者の河合隼雄先生が提唱された、日本の文化や国民性を説明する考え方です)

そのあたりを、3月1日(木)19時から開催の中空構造について学ぶワークショップ第2弾で、松下信武先生に教えていただきます。

 

先日打ち合わせで少しお話を伺ったのですが、これがまた面白かったのです!

私は「なるほど」とか「へ~」とか、感嘆符ばかりつぶやいていた気がします。

自分の顔は人の顔より見えづらく、鏡を必要とするように、生まれ育った日本の文化や国民性を理解するには、改めて「中空構造」という道具を必要とするのでしょう。

西洋的、日本的、どちらがいいということではなく、理解を深めることで色々な場でのコミュニケーションが取りやすくなることを願っています。

 

皆さんのご参加をお待ちしておりますね!

 

関東ではここ数日少し寒さが緩みましたが、引き続き暖かくしてお元気でお過ごしください。


〈ライター:斉藤知江子

 

花材:蛇の目松、蝋梅(ろうばい)、アルストロメリア
 
蝋梅も、とてもいい香りが漂います。
私が最も好きな、わずかに甘くほのかなこの香りは、澄んだ空気の冬の季節の中だからこそ、鼻を心地よくくすぐるのかもしれません。
 
さて今回のお花は、花留めを使わずに、枝同士のチカラだけでいけた「剣山なし」のいけばなです。
 
実はこのお稽古では、大失敗をしてしまいました。
ワイヤーを一切使わないことにこだわり、いけたあとはデリケートな扱いをせねばならなかったのに…
次のお花に夢中になり、うっかりぶつかってしまったのです。
無残にもあれよあれよと見事に倒れ、がっくりと意気消沈…
しかし落ち込んではいられません。 すぐに気を取り直していけ直しました。
 
このときは多くの教訓があり、「お勉強になったわねぇ。」と師匠。
注意されることばかりの中、すぐに気持ちを切り替えたところだけは褒めてくださいました。
 
失敗は成功の元。
失敗は間違いなく次の糧になることを思い知らされた一コマです。
 
先日偶然見たNHKの番組(確か古舘さんの「日本人のおなまえっ!」)で、ゲストの松尾貴史さんが、なんと「仕合わせ」について触れておられ、その一説に、
「『仕合わせ』によいも悪いもなくて、『仕合わせのよい人』『仕合わせが悪かった、と言っていた」
とおっしゃっていたのがとても印象的でした。
(このお話、結構Twitterでもツィートされていたようです。)
 
不注意でぶつけてしまったことは、「仕合わせが良くなかった」けれど、 気の持ちようで仕合わせをよくすることはできる、と、身をもって経験いたしました。

 

本日も仕合わせのいい一日を。

いつもお読みくださりありがとうございます。
 
〈いけた人・文:松尾 柳竹〉
 
 

1/9にご紹介した「リンゴ」に続き、仕合わせる世界観だと感じる詩をご紹介します。
…   …   …   …   …

『ぼくがここに』

ぼくが ここに いるとき

ほかの どんなものも

ぼくに かさなって

ここに いることは できない

 

もしも ゾウが ここに いるならば

そのゾウだけ

マメが いるならば

その一つぶの マメだけ

しか ここに いることは できない

 

ああ このちきゅうの うえでは

こんなに だいじに

まもられているのだ

どんなものが どんなところに

いるときにも

 

その「いること」こそが

なににも まして

すばらしいこと として

 

 いわずにおれなくなる』

いわずに おれなくなる

ことばでしか いえないからだ

 

いわずに おれなくなる

ことばでは いいきれないからだ

 

いわずに おれなくなる

ひとりでは 生きられないからだ

 

いわずに おれなくなる

ひとりでしか 生きられないからだ

…   …  …  …  …  …

(引用:「いわずにおれない」まど・みちお著 集英社be文庫 より) 

二つの詩ですが、本でも続けて紹介されています。

再び同じ本から引用しますと、まどさんは「リンゴ」の詩を書いた後、しばらくすると、有り難く思えてきたのだそうです。

「この地球のうえでは、どんなものも何ものにも代えられない、かけがえのない存在として存在させてもらっている、自然の法則によって大事に大事に守られているということでしょう?それは、なんてありがたいことだろうと」と。

 

“かけがえのなさ”については「知って」はいましたが、この詩とまどさんのことばによって「感じる」ことができるような気がしました。

あなたはどんな風に感じられましたか?

 

寒い日が続きますね。

どうぞ心も身体も温かくお過ごしください。

今日もお読みいただき、ありがとうございます。

 

〈ライター:斉藤知江子

 

 

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。第2・第4水曜日ライターの宮坂です。

今年もどうぞよろしくお願いいたします!

 

毎年、「今年こそは早目に準備してだそう!」と思うのですが、

今年も年賀状が年末ギリギリになってしまいました。

 

ところが我家があるのは千葉の田舎。

近所のポストに投函しようものなら三が日にも届かないかも・・。という危惧をし、

車で10分程の中央郵便局まで投函しに行きました。

 

この郵便局は町の中心部から少し外れたところにあり、我家のように車で

いらっしゃる方が非常に多いです。
で、郵便局前まで来ると、配達用の袋を持って車の傍を歩いて回っている方が・・。

ポストに投函しに来た人々の年賀状を預かり、車の移動をスムーズにしてくれていたのです。
私も左の窓を開け、手を思い切り伸ばして年賀状をその方に託して、

車を降りることなくそのままその場を立ち去ることができました。


郵便局としては、車がごった返して事故が起きたりクレームが来るよりは、

1人の人員を割いても年賀状をピックアップして回る方が総合的に見て良かったのでしょう。

もちろん利用する私たちにとっても助かることでした。

年末年始ならではの仕合わせた風景でした。


他の郵便局でもこのような事はされているのかな?

皆さんの地域の郵便局ではどうですか?うかがってみたくなりました。

今日もお読みいただきありがとうございます。

(第2・第4水曜日ライター 宮坂 雪里)

…   …   …   …   …
リンゴを ひとつ
ここに おくと
 
リンゴの
この 大きさは
この リンゴだけで
いっぱいだ
 
リンゴが ひとつ
ここに ある
ほかには
なんにも ない
 
ああ ここで
あることと
ないことが
まぶしいように
ぴったりだ
…   …   …   …   …
 
「いわずにおれない」の中でまどさんは、テーブルに置かれたリンゴの美しさにハッとしたあと、
~「リンゴが占めている空間は、ほかの何ものも占めることができない」ということに気がついて、またハッとしたんですね~と語っておられます。
 
”あることとないことがぴったり”…これはまさに、仕合わせる世界観ではないか、と私もハッとしました。
「リンゴ」の詩は、のちにもう一つの詩につながりました。
木曜日にそちらの詩をご紹介します。
 
今日もお読みいただき、ありがとうございます。
 
〈ライター:斉藤知江子