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■五嶋龍と羽生結弦 / 演奏と演技 / 自分を好きにならないといけない
■結弦くんの拘りの細かさ⇒ピアノも極めて繊細な事でレベルはいくらでも変わる
■シェヘラザード/真央ちゃんと、映画のカメラワークのバレエ版と
■結弦くんと玉三郎さん⇒所作の美しさと別世界を出現させる演技力⇒類似を見抜いた写真家の目
★ピアノレッスン★レッスンについての考え方/レッスン内容と方向性について
例えば
バイエルや
ハノンや
チェルニー等の練習曲の中の1曲を
「合格」という表現で
終えることは、
それ自体は何の問題もないように
思えますし、
○をもらうのが嬉しいとか
○の代わりのシールを集めるのが
楽しいということも
何も悪いことではありませんけれど、、
「合格」という言葉や
○や
シールに
価値があるように感じさせてしまうのは
少し
問題があるかもしれません。
曲が弾けるようになったら
「合格」という言葉や○やシールによって
「縁を切る」ことを喜ぶ習慣にしていると
追究する価値のある曲というか、
弾く人のレベルが変われば
いくらでも
「弾ける」レベルが変わる曲であっても
とにかく早く縁を切りたいと
無意識のうちに
考えてしまい、
○や合格やシールや
曲を終えることが
目的になってしまう場合があります。
(実際、そういう大人の方に、
長い年月の間、
過去何度か出会いました。)
本来の喜びは
「素敵に弾ける」ということであり、
例え
「現段階では精一杯」の演奏であっても
それは、
永遠に「その人にとっての精一杯」ではなく
もう少し追求したら、
あるいは、
来年またやり直したら
様々な要素で
レベル高く仕上げられて
もっともっと感動的な演奏が
できるはずなのです。
追究したり学ぶことより
○や合格だけが「承認」であると感じ、
長く曲と付き合うことは
「認めてもらえない」ことと思ってしまうと
もったいないですよね。
それで、
小学生の門下生には
○にした後、
「また持って来てもいいよ」とか、
「もっと弾きたかったら、また弾いてもいいよ」とか、
「続けることを許可する」的な雰囲気で言って、
特に連弾は
「○○ちゃんが弾きたかったら
また、いつでも付き合うよ♪」なんて言って
育てました。
案の定と言うか、
連弾はほぼ100%の確率で
また持ってきたので
「付き合ってあげ」ましたし、
バッハなども
「ここまでにしてもいいけど、
もっと続ける?」みたいに訊くと
ほぼ、100%
もっと続けたいと言ってくれます。
よかった!!と思っています。
自分自身の学びと
40年近い演奏や指導を
振り返って思うのは
長い期間
1つの曲を追求し、
何度もレッスンを受け、
1度、
人前で演奏した後も
数年後にまた取り組んで
また追求すれば
明らかにレベルが変わるということです。
だからと言って、何も、
ツィメルマン(ツィマーマン)氏のように
新しい曲は
人前に出すまでに10年かける等という
職人気質(??)にまで
ならなくていいですけれど、、、
曲と長く付き合い
深く理解し、
身体に浸み込ませるほど親しんで
弾いて楽しむ喜びを
将来、手に入れてもらうためには
よかったかなと思います。
若い頃、
たまたまお話しできた
世界的な日本人ピアニストが
ショパンのソナタ2番を
「あれは人前に出すのに
2年はかかる曲」と仰っていたのも
思い出します。
もちろん、
そういうレベルの方は
1ヶ月もあれば
弾くだけなら弾けるのでしょうけれど
「2年はかかる曲」というのは
そういう意味ではないのですよね。
さっさと先へ進むよりも
長く深く付き合う喜びもあることも
広まったらいいなと思います。
※追記
譜読みを速くする目的で、
ごく単純な曲で
早めに先へ進むことを
目指している練習曲集もしています。
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Megumi(野谷 恵)
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