しあわせリフォームのブログ

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■こんにちは!スエ末です。■■ 思い込み 2ページ目 ■■

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今回のテーマは『思い込み』

このページは、その2ページ目です。
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もしくは

この映画とは全く違う話

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時間がよろしければ読みにきてね!

 

 

このページには
映画『ユージュアル・サスペクツ』のネタバレ記述があります。

まだ、この映画を見ていないとか知らない方は

1ページ目に戻る選択を頑なにお薦めします。

---------------------【注意】

 

仲間内のやりとりでよくありませんか?

 

あいつは、頑固なやつだ!
とか
あいつは、人の話が聞けないやつだ!
とか
ホント、あいつは話がわからん奴や!

 

あいつは○○だ! あいつが犯人だ!

映画『ユージュアル・サスペクツ』では

 

【ユージュアル】:いつもの

【サスペクツ】:容疑者

 

決定的。あいつは○○だ!

「あいつが…!」と決めつけた瞬間に

判断力を根本から奪われてしまう映画。

 

日常でも、こんなことが、ありませんか?

 

「あいつは話がわからん奴や」と
普段、いつものように

相手を容疑者呼ばわりをする自分こそ

相手の話を聞き入れていなかったり

実のところ、自身が話のわからん奴だったりする。

 

こうだ!

決めるまでは何度と何度と再考しても

決めつけた瞬間からは

決定事項として貫くほど変えない。

意思行動、方針の分水嶺。

 

決めることがいけないことではない。

むしろ、決めてかかるべきことの方が多い。

だからこそ 落とし穴となる。

 

騙すために 決めつけをさせる。

騙すには

うってつけの落とし穴。

 

良いにつけ、悪いにつけ…


そんな風な

自分のポリシーからして決めることは大事なんだけれども

その反面 “決めつけてしまう“

その考え方も改めさせてもくれる映画。

 

【ポリシー】:事を行う際の方針。「行動に―がない」

 

 

1ページ目で、ご紹介しました

映画『ユージュアル・サスペクツ』

 

この映画は
一見すると、キントがカイザー・ソゼであるように見えます。
疑わず素直に見れば、キントがカイザー・ソゼで今回の黒幕です。


実際に、監督のブライアン・シンガーさんも、キートンはキントが扮するカイザー・ソゼに撃たれて死んだように映画を作ったとおっしゃっています。

 

そのように作った理由は?

大前提として

この話はカイザー・ソゼの謎が解かれることなく終わる話。

 

『それを騙すために』

そのように映画は作られている。という真相説。

 

 

この映画は

船上で、カイザー・ソゼであるキントに撃たれて

キートンは死んだ…そのように作られている映画。

 

だから、開口一番。決定的。

船上のカイザー・ソゼのセリフはキントの音声です。

 

 

そのように映画を作った。そのように映画は作られた。
だから、キントがカイザー・ソゼであり今回の黒幕である。

決定的。大正解ですよね。

 

しかし、この脚本を書いたクリストファー・マッカリーさんは
大前提、カイザー・ソゼは謎のまま。

だから、見終わってからも実行犯人が誰なのかも含めて、自由な想像をしてみてくださいともおっしゃったそうです。

 

監督さんと脚本家さんが、全く噛み合わないコメントです。

 

私が思う結論
大前提、カイザー・ソゼは謎のままである話。
それを騙すために、そのように映画を作った。

キントが扮するカイザー・ソゼに撃たれてキートンは死んだ…

 

徹底して、そのように作られている。

だからキントがカイザー・ソゼであり今回の黒幕である。

 

しかし

徹底してそのように作られてはいますが

よくよくと話を検証しますと…

 

この映画は

船上のカイザー・ソゼのセリフがキントの声にしても

確かに、カイザー・ソゼは謎のままに終わっています。

 

暇があれば、特に休暇中などには…

 

騙されたのか?はたまた、騙されてはいないのか?

よ~し。もう一度と、暇に検証すれば…

 

回想のここに嘘があったなら? 八ッ !!

回想に嘘など本当にないの? 八ッ !!

回想に騙されてはいないのか? あ~っ !!

クイアン捜査官のようにコーヒーを落としたくなりませんか?

 

キャッチコピーにもあるように、そもそも騙す映画。

騙すように映画を作った。

見たままに信じて 犯人を見抜けるかなぁ?

 

回想と現実とがグルグルと巡るスパイラルな話。

 

キントがカイザー・ソゼであり、今回の黒幕で正解。

しかし、大前提があって、カイザー・ソゼは謎のままである。

 

だから、謎であることを騙すために、そのように映画を作った。
だから、キントがカイザー・ソゼであり、今回の黒幕である。

そう見えて正解。


しかし、そう見たままに

決定的「あいつが犯人だ」と思った瞬間から

監督と役者さんの演じた思惑通りに騙されていきます。

 

そして…

大前提のカイザー・ソゼは謎のままである。

という脚本(話の筋)からも
その思惑通りに騙されていきます。

 

決定的「あいつが犯人だ」と思った瞬間から

見事、監督さんからも役者さんからも、脚本からも、まんまと騙されていきます。

 

本当は、大前提、謎のまま終わる話。

それは、核心部分は回想の話だからです。

回想には事実無根があるかもです。

 

この後に触れてまいりますが

あの似顔絵にも縛りがついています。

 

この話は回想の話であることがこの映画の大前提。

 

回想なのだから

回想と真実が一緒だなんて決めつけたら“本当は”いけないでしょ?

 

事実無根がない話かどうか

本当は、よくよくと検証が必要ですよね。

 

簡単には、アイツだ!とは決められない話。

 

しゃべくりキントの話なのだから

実のところ、そうかもしれないけど

実のところ、そうではないかもしれない。

というスパイラルな話の話。

 

ましてや、相手は『いつもの容疑者』という ツワモノ

並な奴らではない。

そうか、そうか、わかったぞ。な~んて

自分の常識や並みの奴らにあてがって

単純に決めつけたら“本当は”いけないでしょ?

 

キントにソックリな似顔絵についても

そもそもの縛りがあって

その縛りに気がつくと、あの似顔絵すらも謎になります。

 

このあと、『それでは終わらない話』として

縛りのポイントを書いてみますね。

 

 

 

そんな風な騙し騙されの話の話。

人から聞いた話を過信しない。

自分の考えも過信しない。

現場を見ていないものを過信しない。

 

自分のポリシーからして

いつもの普段からして

その考えでいいものか?

 

決定的だとして、決定事項に棚上げするよりも

「そうかもしれない」くらいに留めておくようにと

戒めたり、改めさせてもくれる映画です。

 

決めつけたらNG。

だって、謎のままなんだから

『かもしれない。』辺りに真の正解がある。

 

キントかもしれないけど

なぜ、キントだとは決められないのか?

謎のままであるという。その理由は、この後すぐ…

 

衝撃の結論となりましたかね?■

 

 

回想だからって、卑怯だと怒らないでくださいね。

何せ、そんなトリッキーな映画だからこそ

数々の映画祭で脚本賞を受賞した傑作映画。

 

映画界が認めた傑作映画。

 

傑作に対して

卑怯だ!良さがわからん!

わからんという方がわからん奴

自分が思い描く基準は

必ずしも “その道”の基準 ではないかもョ?

 

傑作を相手に、卑怯だと怒らないでくださいね。

 

キントがカイザー・ソゼであり、今回の黒幕である。正解です。

そう見えて正解なのですから、そう騙されても良いじゃないですか。

 

正解の解答をすると騙されたことにもなる。

ハハ、なんというトリッキーな映画だ、数々の脚本賞受賞に相応しい。

傑作に評価したい見事なサスペンス映画ですよね!ですよね??


そう見えて正解の通りに
本当に、キントがカイザー・ソゼで決まりだったら?

それだけの話だったなら果たして傑作に入れたのか?


『あの人が犯人だ!』

単なるベタなサスペンスで終わる話で終わってしまう映画に終わる。

 

でも、この映画は

それでは終わらない話の映画■■

 

カイザー・ソゼは謎のままに終わる話の映画。

 

『あの人が犯人だ!』

そんなことでは終われない深い話の映画。

 

大半がしゃべくりキントの回想の話の映画。

あの、おしゃべりなキントが、掲示板をヒントに…

 

たとえば、なのですか…
白いはずのタバコが突如と黄色になったり…

回想なのだからタバコの色ぐらい入れ替わっても当然?

 

どうせ替わっても当然なくらいの信憑性なのだから

細部にはこだわらず、とっとと犯人を特定?

それって???

 

では

あの船上の、あのシーンは回想なの?

 

あのシーンが

回想の話に基づいた映像ではなくて

実際の真実に忠実な映像だったなら…あのシーンはどう映るべきか?

 

本当ならば、キントが釈放時に返却された封が切られた吸いかけのタバコと、船上で落とされるタバコは同じタバコのはず。だから同じ色のはず。そして、落とす瞬間に突如とマジックみたく替わらないはず。

 

同じはずなのに違う。

替わるはずもないのに替わっている。

この矛盾をどう解くかにかかってくる?

 

キントに返却されたのは

金の時計に金のライター、そしてタバコ。

そのタバコは、封が切られた吸いかけのマルボロライト(ゴールド)。

 

 

 

どこまで、どの程度までリアルな話なのか?はたまた、エアーの話なのか?
つまるところの話の筋、話のひとつひとつ、話を検証しつつ確かなことを繋げると、この話では最後までカイザー・ソゼは謎のままに終わっているのです。


この映画ではソゼの存在すらも最後まで明かしていません。実は存在していないのかもしれません。
脚本はそうゆう筋書きなんだといわれています。

 

この話の中は

確かなことと、確かではないことが混在してある。

 

謎の、犯人の、大前提の計画の通りに密告屋とイーディ・フィネランは実際に死んだ。この件は警察も確認した。確かなこと。
謎の、犯人の、大前提の計画に係わったトッド・ホックニーとマイケル・マクマナスとフレッド・フェンスターとディーン・キートンはしゃべくりキントの話では死んだけれど、この件は警察が確認した話ではない。確かではないこと。

 

そして…
謎の、犯人の、“昔からのソゼ”を知る唯一の密告屋は殺されて死体として 確認された。 つまり、密告屋がいない今。 単に「昨晩の船上でソゼという男を見た」という似顔絵と “昔からのソゼ”とを 同じ同一人物だと証言してくれる証人は? その唯一だった密告屋はいない。

 

ソゼの過去から今を知っていて

昨晩に現れたソゼと

過去から繋げて証言できる証人は

彼らの計画通りに殺されているので

はもういない。

ソゼの過去が明かされない。そもそもの…縛り。

 

観客は、監督の演出・テクニックとしゃべくりキントの名演技によってキントがカイザー・ソゼだと思うようにできています。


監督は、キートンはキント扮するカイザー・ソゼに撃たれて死んだように…映画を作った。


脚本家は、自由な想像をしてみてくださいとおっしゃっています。

 

重要な弩アップシーンの

タバコの色が入れ替わってしまうくらい信憑性のある回想。

 

素直に受け止めますと
見れば明らかにキントがカイザー・ソゼだけど、回想そのものを疑えばそうとも限らない。


素直に見れば

キートンがカイザー・ソゼに撃たれて死んだけど、回想を疑えばそうとも限らない。


回想なんだから

この人が犯人だ!とは決められない。

 

回想を疑えば謎のままなんです。

回想を疑ってしまえば、クイヤン捜査官の言うキートンがソゼなのかもしれない。

はたまた、うわさだけでカイザー・ソゼは実在しないのかもしれない。


脚本家さんからすれば
謎のままに終わっているので
映画を見終わってからもサスペンスがつづく話です。
つづくから続編も知りたくなる話。巧みな話。

 

でも、監督さんからすれば、それでは単なる曖昧な話なんです。

 

映画監督さんからすれば
終わりが曖昧な映画ではお金が取れない。売れない。
監督業は映画の1本1本が勝負。観客が納得して見終える映画に仕上げたい。

 

 

 

この映画で監督さんは、サスペンスではありえない演出をしています。
のっけの冒頭から謎のカイザー・ソゼはキントの声でしゃべります。
なんとソゼは冒頭から私はキントだと露呈させています。ありえない手法。
そのように映画を作った。
だから、キントがカイザー・ソゼであり、今回の黒幕である。正解。


しかし、どの声であろうと回想シーンのことであれば…

エアーな回想に登場した声でもあります。

サスペンスにはありえない露呈する声が

巧妙な手法にもなりうる声だったりする。

見事な凄い手法だ。


そしてキートンと確定された死体は?

 

監督さんは彼らの死体を彼らの死体として

カメラ・スクリーンに収めています。が…

船上にあったキートンとその仲間たちも、みんな黒焦げ。警察の検証では、それらしいが確定まではできない状態という報告も盛り込んである。


洞窟に死体を埋めた話もキントの回想シーン。つまりエアーでもあるシーン。

 

キントに似た似顔絵の出現シーンもリアルですが…
しかし、大したリアルでもない。
大やけど男の証言は、整理すれば証言にまで至らない程度のリアルです。

 

似顔絵は

この話の中で

確かなシーンのことでも、どれくらい確かなことなのかは謎にしてある。

 

 

 

そもそも

 

この物語の肝は
ソゼの過去からの正体を知っていて今でも唯一証言できるのがアルゼンチンの密告屋ただ一人。


その密告屋は、今回の計画で ついに口封じされてしまったという物語です。

 

その肝を幹にして枝葉の話しがそえられている映画。

 

この物語の肝を汲みますと?

 

唯一なのはアルゼンチンの密告屋だけ。

この大やけど男は、恐ろしいソゼが密告屋を殺しに来ると噂に聞いていて、そこでソゼという男を見たという男。この男は、昨晩の船上で実行した現行犯のソゼと過去のソゼを同一に繋ぐだけの証言ができる人物ではない。

 

船上で見た似顔絵のソゼと、過去のソゼとが同一かどうか繋げられる唯一の密告屋は計画によって死んでいる。

 

明らかにリアルシーンの似顔絵も
過去数々の悪事をやったソゼと船上のソゼとが同一であることを立証できるほどのリアルではない。
立証できるほどリアルではないものを、同じソゼだとエアーな断定をすれば、その意味でエアーな似顔絵となってしまう。

 

キートンの彼女であるイーディが死んだのはリアル。
でも、本当の殺された理由や本当の殺した犯人は謎のまま。
クイヤン捜査官の推理通りにキートンの指示で殺された可能性も否定はできないリアルな死。

 

観客としては、キントが言うようにキートンは優しい人だと思うし
役者さんの演技に魅せられて、キートンは優しい人だと思いたい。

 

私はキートンのキャラクターに魅せられ、キートンが彼女を殺すなんて顛末は絶対に想像したくない。キートンが黒幕と通じていてイーディーは殺されたなんて思いたくない。

 

しかし、しかし、そのキートンは
殺人は常習である極悪人だという設定が真のキートンなのだ。

 

私の、一般人のポリシーからすれば

キートンのようなキャラクターは優しい人。

彼女にも、ずーっと優しい人でいて欲しい。

 

しかし

自分のポリシーと極悪人キートンのポリシーは?

仕事と家族とどっちが大事?

仕事と彼女とどっち?

殺しとは消すこと?

消してしまえば元からなかったのと同じ?

極悪人が、私と同じポリシーで行動していると考えて良いものなのか?

 

自分のポリシーで予測できない相手の行動を、こうだろうと予測して良いものか?本当はいけないでしょ?

 

いつもの容疑者を相手に、頑なな考え方で断定して良いのか?

 

自分が頑なでは

自分こそが頑固な『いつもの容疑者』になりはしないのか?

 

 

 

この話の中で

キートンの正体は、明確なようで謎にしてある。

 

過去の捜査からキートンのポリシーや

行動の傾向を、よく調べて知っているクイヤン捜査官は
キートンは極悪非道で女の彼女くらいは簡単に殺してしまう男だと「明言」している。


キートンは仲間から

イーディとの「夜のお勤めご苦労」と揶揄されるシーンもわざわざ?あったりする。

 

クイヤン捜査官の推理は正解で
実は、またもやキートンは死を装っていて死んではいない?

 

ひょっとしたら、他の仲間も同様に死んではいない?
しゃべくりキントは、船の爆破シーンすら騙している?

 

そう思って、このタバコの色の違いとか多くの回想シーンを否定的に疑いだすと
謎を謎としたクリストファー・マッカリーさんの描くサスペンスが始まるのです。

 

そして・・・(フッと)消えた。という話の成立。

とは反対に…

 

まあ、そもそもこの爆破シーンは回想なのだから
タバコの間違いくらいとか

多少の手違いや、思い違いもあるのでしょう。
回想を全く疑う余地なし。

そう思って多くの回想シーンを肯定的に見れば
キントがカイザー・ソゼであることは確定的としてこのサスペンスは完結します。

 

何せ監督は、ソゼの声をキントの声で作っているのですから。


それで良いのかもしれませんね。

 

しかし、そう、しかし、そうなんです。

 

でも、でもですよ。キントがソゼだとすると
取りあえずは車でキントは走り去りましたが
過去からずーっと面が割れていない謎のソゼだったのに…

 

今回の密告屋を殺す綿密な作戦にして
面までも、すっかり世に知れてしまうわけで

 

映画のTHE ENDになるラストコメントとしては
そして・・・(フッと)消えそこねた。という話になりますね。

 

そして・・・(フッと)消えそこねた!?

 

この映画のTHE ENDとなるラストの日本語字幕は
そして・・・(フッと)消えた。という字幕でエンディングします。

そう。謎のまま消えて終わる映画なんですけどね…

 

 

南国のマナ島で見た感動を友人に伝えた…

マナ島では北側に太陽があって

北側に見て右から左に太陽は動く。

日本とは真逆。

 

一日中

コテージ前のビーチで、ぼんやりと読書

たまに、フッと陽に目を移す。

 

あぁーおー。反対だ~! と、気がつく。 凄い!

二人っきり コテージ前にあるビーチでのこと。

凄い! 感動! ロマンティッック ゥ~!

 

そんな話を友人夫婦にしてみても

 

南国は北国の日の出のように夕日が沈む?アッハハ~

( ´艸`) プッフ~ バッカ~!!!!!

太陽が右とか左右で言わないでよ、可笑しい。陽は東から西。日の出を正面に見れば正面からも昇るよ。見る向き次第だよ。アッハハ~


あの時の感動が凹んだのと全く同じように
この映画の感動も、全く同じように…

 


タバコが白色だろうが、黄色だろうが、どっちも一緒。回想でのことでしょ。

( ´艸`) プッフ~ バッカ~!!!!!
一体この映画の、どこの何が凄いの?
サスペンス映画としてもベタで普通じゃない?だって、そもそもフィクションだよ。アッハハ~

 

Aさん:

東から西に変わりないし、フィクションだし、回想だし…

Bさん:

確かに言われる通りだけれども…でもね…

Aさん:

だから、東から西に変わりないし、フィクションだし、回想だし…

Bさん:

そうなんだけれど…でもね…

人の…

映画の…

意図というか…

 

AさんとBさん。どちらも? どう説得しようにも…

どちらも話を聞かない… そう。どちらかが妥協するまでは…

聞かない酌まない、聞けない頑固さかな。

 

■そのポリシーで言動の深さは測られる

 

決定した時点で、その深さは決まる。止まる。

そう“かも”しれないは、その深さに止まらない。

かなり深い決定にも、“かも”をつけるだけで更に深くなれる。

 

本当のところの真実はどうなんだ?

 

いやいや、映画なのだから本当もないフィクションでしょ!

 

しかし、フィクションとしても、船の上で本当はどんなやり取りがあったんだ?

 

いやいや、どうもこうもないでしょうよ!そうゆう映画なんだから。

 

そもそも、フィクション。

フィクションだからこそ、本当に巧みによくできている映画ですよね。

よくぞここまでに仕上げられたフィクション。

 

脚本家さんと監督さんとが二人三脚でガッチリ綿密に取り組まれたのでしょうね。

どちらも話を聞かない…

聞かない酌まない、頑なな頑固さかな。

そうではなくて

どちらも仕方なくの妥協をしなかったのでしょうね。

 

お互いに

おいそれと言うことは聞かないけれど

お互いの言っていることは、すっごく、よく理解し合えていたのでしょうね。

 

どちらかが、どちらかの考えに仕方なく歩み寄って妥協していたら、こんな緻密な映画にはならなかったことでしょう。

 

【ポリシー】:事を行う際の方針。

物事をどんなポリシーで捉えているのか?

その人のポリシーはどんな状態か?

ポリシーを見れば出てくる言動の深さは自ずと測れる。


俺の話がわからんか?

俺の話がわからない奴!

 

本当は、わからないのではないのかも。

話ではなく、その状況に賛同ができないのかも。

ここで歩み寄らずと、状況から整えるような深い議論にしたいのが正直なところなのかも。

 

そんなに推すほど状況が整った話とは思っていない。
歩み寄ってみたところで、革新的なものは生まれないと思っている?

 

お互いに妥協せずと新たな創造で

次のステップへと踏み出すべきなのでは?

揶揄されても新たな道ができるまで妥協しない我慢どころ。

協力の容に2つ。一つは歩み寄り。一つは支え合い。

 

おいそれと歩み寄っては、上昇するスパイラルは生まれない?

望むところの次元やレベルにまで我慢しつつも工夫し支え合う?

 

こっちに歩み寄れば
やっぱり、キントがソゼだったのね。THE END。で終わるベタな話。


そっちに歩み寄れば
な~んだ回想?結局は謎のままなのね。THE END。で終わるベタな話。

 

互いにポリシーから高め合うところに相乗効果あり。

1+1=が、2では収まらない効果。


こっちもそっちも妥協して歩み寄れば
よくあるベタなサスペンスで終わり。
数々の受賞を遂げる映画にはならなかったことでしょう。

 

 


この映画の肝であって凄いところは
“キントで決まりなんだけれど、でも、やっぱりソゼは謎である”
決まりなんだけど謎である。どちらにも歩み寄らない、決まりと謎の相乗効果。

そんな緻密で隙のない絶妙なスパイラル映画に仕上げたところですかね。

 

 

 

監督は監督の立場(スクリーンの表側から見た)観客側から映える筋書き・絵・台詞を思い描く。
役者は役者の立場(スクリーンの裏側から見た)舞台側から映える筋書き・絵・台詞を思い描く。
脚本家は脚本家の立場(スクリーンの表裏やスクリーンすらもない)物語りが映える筋書き・絵・台詞を思い描く。


どこの立場で切り取っても筋書き・絵・台詞は均しく1セット。

 

しかし

それぞれのポリシーがあって

それぞれの立場とその責任において係わりが異なった上での1セットなのだ。

 

映画には筋書き・絵・台詞は必ず1セット。
同じ1セットは、それぞれがそれぞれで係わる1セット。
助け合って互いに歩み寄るのではなく
助け合って歩みを伸ばし広げ“支え合う”ことでこの緻密な映画ができたのだと思う。

 

監督さんと脚本家さん。
全くコメントが違うのですから
そこには、膨大な思慮と労力と侃侃諤諤なやり取りがあったことでしょう。


みんなして一つの映画を作る。
同じ映画、同じ物語の筋書き・絵・台詞を三者三様のポリシーで思い描く。
責任の所在(行動や状態の責任を負うべき対象)は三者で全く違うから同じ考えやポリシーになるはずがない。

 

台詞は役者さんに任せたほうが良いとか
絵は監督さんが考えるべきとか
筋書きは脚本家さんが考えるべきとか
合理的に分配・統合させる意味の理屈は通りますが、単なる合理的分配・統合からは相乗的な上積みの効果は生まれない。1と1とが統合して2になるのでは、ましてや、1と1とが歩み寄って出来たものが1になってしまっては、わざわざの統合に相乗の意味を成さない。


シナジー効果とは、合理的分配という意味の理屈を通し分配を成した上で、統合させなければならない。つまり1と1とが成しえ統合して3にも5にも成る意味。

 

リフォームでも同じ
お施主様、営業マン、お大工さん、みんなして作る。
それぞれが歩み寄って流すのもベタに良いことですが
私たちは、みんなして、そんなに簡単ではありませんが
ベタからさらに積み重ねに知恵を出し合って、しあわせなリフォームをご提供します。

 


マナ島で学んだ弁える話。凹んだ話。

その一週間後…映画の公開
互いの役割を弁える。
そんなことにも、気づかしてくれた一週間でした。

 

日常を離れると、日常では気づけないものに気づく。

読書も良いけれど読書とは一味違う気づきがある。

日常から遠くへ行く旅行。日常ではありえない映画。

日常という いつも。

 

いつもの容疑者。

 

いつもなのだから、いつものように扱っては気づけない。

 

いつものように思ったり、決めつけたらNG。

「そうかもしれない」くらいに思う。

 

気づきたいなら、いつも以上に謙虚に繊細に…

そう“かも”と思うようにする。

 

新たに気づきたいなら、いつもより、さらに革新的に…

そうかもと、わざわざ思って もう一度、もう一度と見てみる。

 

今回のテーマ 『思い込み』

2ページに渡って読んでいただき誠にありがとうございました。

 

 

このページは、その2ページ目です。
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『思い込み』 THE END ■

 

 

 

 

 

 

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