いつだったか、

妹のことを映画にしたいとブログに書いたことがあります。

(生前の妹とそんな会話をしていたからです)

 

 

ちょっと普通ではない妹だったので

エピソードには事欠きません。

 

実に面白い妹でした。

あんなにわがままで自由な末期がん患者はいませんね。

 

 

若くして子を残して死ぬなんて

悲劇としか言いようがない悲しい出来事ですし

私が個人的に経験した介護という観点からは

これ以上ない過酷な時間でしたが

 

それでも、私もたちが過ごした末期は

それに匹敵するほどに

幸せで笑いの絶えない日々でした。

 

 

 

私はずっと小林麻央さんのブログは読めなかったし

いまだに、海老蔵さんのニュースがテレビに出ると

慌ててチャンネルを変える臆病者ですが

 

時折ネットニュースで見ていた

お二人の

「幸せを感じる」言葉は

素直に(幸せなんだな)と思っていました。

 

 

こういう究極に直面すると

ささやかな幸せが

本当に幸せなのだと気づくことができ

心からそれを堪能できるようになります。

 

もちろん、だからといって

悲しみを乗り越えられるかどうかは

また別の問題ですが。

 

 

 

 

ともあれ、「妹、映画化」の話には

当時、多くの方々に「応援します」と言って頂いて。

その反応にとても驚きました。

 

もっと小バカにされると思っていました

意地悪なことを言われると思っていました。

でも、読者のみなさんが優しかった。

 

 

 

だけど実際には、

妹のことを、

その時のことを書くことができなくて

向き合うのにまだ少し時間がかかることがわかって

未だ書けてはいません。

 

 

 

書けない理由はそれだけではなく

私は3年ほど、腕を痛めていまして(^_^;)

 

今書いているこの文字も

音声入力ソフトを使って書いています。

 

そのため、調子が良い時でないと

コメントの返信もできなくて

申し訳ないなと思っています。

 

 

 

いつか私たちのあの時間のお話が

できるといいなと思っています。

 

 

では続きを。

今日もお越しいただきありがとうございます。

 

 

続きの過去記事です。 

よかったらこちらからお読みいただければ幸いです。

  なぜ愛着障害になったのか。

 

 

―――――――――――――――

 

余命はひと月と言われたものの
緩和ケアで痛みからも解放されていき
妹はその期間の多くを
末期患者としては異常な元気で
3ヵ月を生きました。

 

 


最期の日が近づくにつれ
妹はその殆どを眠ってすごす状態になり、
レンは何度も私に

「ママ、しんだの?」

と聞いてきました。
その度に私は少しだけ笑います。

 

「しんでないよ。
ねんねしてるだけだよ」


死期が迫ったそのような状態の時に
往診の看護師長Oさんがレンに、
やがて訪れる事実を話そうと
試みて下さいました。


お絵かきしているレンのそばで何度も
「あのね」と話しかけるOさんの言葉を
レンは完全無視。


お絵かきの話ばかりをしていました。

 

 

遂には話をすることを諦めたOさん。

 

「私がなにを話すか、
子どもは分かるんです。
子どもながらの逃避行動なんです」

 


妹がこん睡状態に陥った日のうちに、
飛行機で夫と、夫の両親が

駆けつけてくれました。


妹が息を引き取ったとき。


……ここはまだちょっと書くのは
しんどいですね。
詳細は省きます。
 

 



レンは、私に
「ママしんだ?」と聞きました。

私は唇を噛んでようやく頷きます。

 

レンは、そこにいた全員の一人一人に
「ママしんだ?」と聞いて回り
一人一人に
「そうだよ」
と頷かれました。


皆に、ママは死んだのだと聞かされて。

レンは私を見ると、照れたような顔で、
「めがいたい」と言うと、
片方の腕を大きく使って、
ぐいっと目をこすりました。


時々「めがいたい」と
目を両手の甲でもこすりながら


泣いている大人たちの間を
あっちに行き、
こっちに行きして、その顔を覗き込みました。

その姿は
まるではしゃいででもいるようでした。



あまり記憶が定かではありませんが、
私は静かに泣いていたのだと思います。

 

ですが、Oさんに
「泣いていいんですよ」
と声をかけられたのを引き金に、
私はOさんにすがって
大声を上げたような気がします。


後に夫に、その時の私の様子を聞いたら
しばらくの沈黙の後、頷きながら

「気が触れたようだった」
と表現しました。


そんなふうに泣いた私を見たレンは。


 

昨日まで毎日世話をしていた私に
全く近寄らなくなり、

 

それは通夜、葬儀を
終えるまで続きました。
私が近寄ると本気で逃げました。

 

 

今思えばですが。

幼い彼女には
私が別人に見えたのかもしれません。


お風呂に入れると
「シェリナナちゃん、キライ!」
「シェリナナちゃん、イヤだ!」

大きな声で泣いて私を拒絶しました。

だらんと両腕を下げたまま
顎を上げて大泣きする彼女の体を、
私は黙って洗いました。
 

 

 

続きます

(この一連の記事は次で終わります)。

 

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