おとといの土曜日、表参道の駅にいるときに、携帯が鳴った。


この数か月、月に数日お邪魔していた、南三陸町の仮設住宅の方からだった。


一度目はいわゆる被災地ボランティアとして、


そして、二回目からは、ボランティアという意識は消えていて、


仲良くなった人たちの笑顔が増えていくのが見たくて。




電話の用事は、3/11の鎮魂の式で使うロウソクの手配の話だった。


どこから、そんな話になったかよく覚えていない。


話の途中で、電話の声が言った。




無理はしなくていい。手は足りるんだ。手が欲しいんじゃないんだ。


ただ、3/11という日を、自分達と一緒に過ごしてもらえたら、ありがたいんだ。




びっくりした。


みんなが震災以来経験した、極限状態の過酷さは、


私なんかがどんなに頑張って想像しようとしてもしても、絶対に分かりっこない。


そんな私が、3/11という特別な日を、邪魔をしてはいけないと思っていたから。



表参道の駅で、1人で携帯を持ったまま、なんだか説明のつかない涙が止まらなくなって、困ってしまった。


いまとなっては、「被災者」という言葉は使う気になれないほど、大好きになったみんなが、


去年の3/11以降味わった大変な思いは、


私には、どんなに頑張っても、頑張っても、想像しきれない。まさに、想像を絶することだ。


でも、みんなの気持ちを分かることが難しいとしても、


それでも、3/11は、みんなのそばにいさせてもらうことにしよう。

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10ヶ月

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早いもので、昨日で10ヶ月。


11月以来、現地に行っていなかったので、「おかわりありませんか?」とメールをしてみた。


お返事は、それぞれ、


今年、また年を重ねることができることに触れられていたり、


壁や屋根のある囲われた部屋にいられるありがたみに触れられていたりした。


どちらも、当たり前のことのように思いがちだけど、


決して当たり前のことではないことを、


あらためて、しみじみ感じました。

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いわゆる”被災地ボランティア”と呼ばれる活動。

でも、回を重ねるごとに、”被災地”という言葉にも”ボランティア”という言葉にも、

違和感を感じるようになってくる。

”被災者”というヒトコトでまとめてしまうような言葉にも、とっても抵抗を感じる。

”ガレキ”という言葉にも。(だって、3/11以前は、それぞれ大切なモノだったのに。)

”ボランティア、偉いね”という言葉にも。

この気持ちは、いわゆる”被災地ボランティア”と呼ばれる活動を、

継続して続けている人には、分かってもらえるのだけど、

そうじゃない人には、うまく説明できなくて、もどかしい。




先月は、仮設の集会所での、ミニ敬老会に、混ぜてもらった。

お喋りをしながら、一緒に会場の準備をしたり、

地元で踊りの先生だった方に、笑われながらも、根気よく特訓していただいたり。


今回の敬老会も、その前の月の、お誕生日びっくりパーティのときも、

みんなと一緒に、そんなふうに準備したりしていると、仮設のお母さん達のなかに、

先生や、憧れの姐貴分ができたり…。



”被災地域の方と、ボランティア”という言葉でイメージされがちな、

"支援される側と、支援する側"なんていう関係なんかじゃ、全然なくって、
...
もっと自然に、対等になれる、この感じ。

叱られたり、鼓舞されたりされたり、心配してもらったりもする。




なんだろう。


お互いに尊敬の気持ちを持っている、普通の人間関係なのだ


決して、支援する側とされる側などではないのだ。



私にとっては、"被災者"ではなく、


東北の強くて明るく温かい尊敬すべき方達なのだ。

まだ、避難所暮らしだった頃から、わたしは、みんなのことを尊敬している。


いろいろな大切なモノを、根こそぎ奪われても、なお、


人に与えることができるのだということを、


身をもって、教えてくれたことも、頻繁にあった。




私は、そのころ、まだ、内陸の避難所にしか行ったことがなくって、


避難所のみなさん達が先祖代々ずっと住んでこられたた街が、



どんなにめちゃめちゃになったのかは、


テレビでしか、見たことがなかった。


ある日、避難所のリーダーの方が、


自分たちの街の現実を、実際に目で見て欲しいと、


私達のボランティア活動が始まる前に、朝、4時起きで、



避難所の皆さんが3/11まで暮らしていた、



志津川という町に連れて行ってくれた。



6月か、7月のことだった。



その時点では、すでに、私にとって、みんなは、


”被災者”ではなく、”○○”さんや”○○さん”だったし、



”被災地”ではなく、”○○さんたちの大切な街”だった。



”○○さんのおうちがあったところ”は、土台さえも流されて、



家があったと言われても、信じられないほど、なんにもなかった。



連れて行ってくれた方は

「ああ、だいぶキレイになってきたな」って言っていたけれど、


あの日テレビに映っていた、志津川病院も、防災庁舎も、


数か月も経つというのに、


あらぬところに、あらぬものが乗っかっていたりして、


私には、あの日のまんまに見えた。




あまりに現実離れした光景だったことと、


テレビで繰り返し見ていた光景だったせいか、


自分が映画のセットの中にいるような感覚に陥った。


でも、これは、映画なんかではなく、まぎれもなく、現実なのだ。


何度そう言い聞かせても、現実離れし過ぎていて、涙も出なかった。




自分の住んでいた家が、街が、こんなふうになる…


まさにその体験をした方のすぐ隣ににいるのに、


同じ景色を見ているのに、


想像してもしても、どうしても、想像しきれなかった。



その前日、避難所のみなさんと、物資の仕分けをしていたら、


「今日は、あなた達も、ここで、お昼たべてきなさい」


って声をかけてもらった。


私達の所属している団体は、避難所の隣の体育館が本部だったので、


すぐお隣に戻れば、私達のお昼ご飯が用意されているのを、


みなさんもご存知なのに、


「今日は、いいじゃないの。手伝ってもらって助かったし、食べてってよ。」って。




その日のお昼は、おそうめんと、焼き魚だった。


配膳を手伝ったから、知ってた。


おそうめんは、人数分あったけど、


お魚は、もともと、避難所のみなさんの人数分も、足りてなかったこと。


当然、私達は、お魚のないテーブルについた。


それなのに、みんな、「私はいいから食べなさい」って、


自分のお魚を私達にくれるのだ。


みんながそうしてくれるから、お魚がない人もいるのに、


私達のところには、たくさん、お魚が集まってしまった。


昔、おばあちゃんがしてくれたみたいに、


ほいって、私達のお皿に自分のお魚をいれてくれちゃうのだ。


いまでこそ、仮設のお部屋あげていただいて、


お茶菓子をご馳走になったりもするようになったし、


そっと渡してくださるプレゼントも、素直に嬉しく受け取れるようになったけれど、


その当時は、”被災地ボランティア”なる経験もまだ2回か3回目だったから、


もう、それだけで、どうしたらいいのか分からなくなって、


なんだか、泣きたくなりながら、お魚をかみしめていたのを覚えている。


いっぱいいっぱいで、せっかくみなさんがくださったお魚なのに、


味を感じる余裕は、まったくなかった。


私のお世話になっていたボランティア団体では、常日頃から、


「お礼は、ありがたく受けなさい。でないと、対等な関係でないことになってしまうから。」


と言われていたけど、直面すると、そのときは、とっても難しいことだった。



かつて、たくさんのおうちがあったなんて、信じられないような、


志津川の街の中に初めて立ったとき、


前日、みんなが自分のお魚を私達に食べさせようとしてくれたことを思い返していた。


自分がいらないものを、人にくれる人は、たくさんいる。


でも、自分にとって必要なものを、人に差し出すことができるのだろうか…。


通常時だって、難しいことかもしれない。


なのに、自分の街が、家が、仕事が、家族が、1日にして流され、


何のまえぶれもなく、突然、

これからの見通しもたたない状況に立たされた状況のなかで、


自分にとって、最低限必要な、充分足りている訳ではないものを、


それも、数日後には、今まで通りの生活に戻ることが分かっている人に、


差し出すことができるだろうか…。



こんなのは、ほんの一例に過ぎない。


もっと、精神的なことも、たくさん、


日々、瞬間、瞬間、


私が、今まで、勝手に思い込んでいた人間の限界というものを、


じんわりと押し広げられるような感覚に襲われるのだ。



とにかく、支援する側とされる側などといった、


固定概念通りのものなんかではないのだ。




でも、それを、上手に人に伝えることができない。


なのに、分かって欲しいという気持ちだけは、強烈に消えない。

東京に帰ってくると、


”手伝いたい”、”支援したい”、”役にたちたい”、”助けたい”、”応援している”


そんな言葉を、よく耳にする。

ありがたいことだと思う。頼らなければいけない面も実際にあるのだと思う。


でも、やっぱり、私は、それらの言葉に、違和感を感じてしまうのだ。


こんなことを言うと、激しく批判されるかもしれないが、正直に言ってしまうと、


他人事感と、尊大さを感じてしまうのだ。


本当は、自分の国の中で起きた、自分ごとなのに…と思ってしまうのだ。




もちろん、あの日を境に、

たまたま大津波に襲われた地域に住んでいた方達と、


たまたま大津波に襲われなかった地域に住んでいた方達とのあいだに、


大きなギャップができてしまったことは、事実だ。


でも、それは、どちらも、たまたまなのだ。


今、こうして、私が、以前から慣れ親しんだ暖かい部屋の中で、


ぬくぬくとPCでブログを書ける環境にいられるのは、


私が何かの努力で得たアドバンテージなどではなく、


たまたま大津波が私のところに来なかったから、


ただそれだけなのだ。


そして、8ヶ月以上経った今でも、


防寒設備も万全ではない、狭くて、お隣の声が筒抜けの仮設住宅で、


今後の生活の見通しがたたない状況に置かれている方達は、


何か落ち度があったからそうなったのではなく、


たまたま大津波が、自分の住んでいる街に襲いかかってきたから、


ただ、それだけなのだ。


こんなにも大きなギャップができてしまったのは、


ほんとうに、”たまたま”なだけなのだ。


だから、そのできてしまったギャップは、みんなで埋めなきゃいけないと思うのだ。



被害を受けた人も、受けなかった人も、


みんなが、他人事ではなく、”自分事”として、


みんなが、3/11以前の生活、

いや、できれば、それ以上の生活ができるようになるまで、


被害を受けた人も受けなかった人も、


一緒になって、そのギャップを埋めきゃいけないと思ってしまうのだ。


ああ…、なんか、でも、やっぱり、うまく説明できなくって、もどかしい。




それにしても、すぐ近くにいる人にも、もどかしい思いを感じるのに、


先週、遠い雷龍の国から来てくれた若い王様の言葉と表情に、


自分の国でない場所で起きたことにも、


他人事ではなく、自分に引き寄せた真摯な想いを、


ありありと感じてしまったのは、

かつて、あの国に降り立ったときに、

祈りのパワーを感じざるを得ない感覚に陥ってしまった私だけ…?



王様が見たことがあるという、みんなの心の中にいるドラゴン。


経験を食べて、大きく、強くなるというこのドラゴンを、


わたしたちも大きく強く育てなきゃだよね。

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可愛いでしょ。こんなに可愛いけど、アクリルたわしなのです。


南三陸町や気仙沼のお母さん達の手仕事です。


仮設住宅で子ども達と遊んでるとき、「タコの足は何本だ!」って、問題出したら、

子ども達が唖然と私を見上げ、「南三陸の人にタコの問題出すつもりか!?」って。

そっか、南三陸の名産だったね。噛めば噛むほど、アワビの味がするタコ。


ひとりのお母さんが、このタコのアクリルたわしを撫でながら、教えてくれた。

「足がね、こんなふうに、くるくるってなるのも南三陸のタコの特徴なのよ。」

わあ、ほんとだ。リアルにくるくる!


バラも素敵でしょ。

それにしても、このアクリルたわし達、

東北支援とか関係なく、普通に、雑貨屋さんに並んでても、買っちゃうよね。

タコは、ひとつ作るのに、手の早いお母さんでも、1時間30分以上かかるそう。

でも、可愛いし、エコだし、津波で全てを流された東北のお母さん達の収入源にもなる。


いいね♪ いいことづくめだね♪♪

いろいろなところに置かれるようになって、欲しい時にすぐに買えるようになったらいいな。

これからの展開が楽しみです。





Android携帯からの投稿

南三陸町の志津川の仮設住宅に、時々お邪魔している。

今回は、仮設のチビッコたちが、

秘密基地を作って遊んでいた。

いつの時代も、作るよね、子どもは、秘密基地。

…なんて思いながら眺めていた。

屋根まである、かなり素敵な秘密基地。

怪獣kids達がその中で遊んでいたら、


元気過ぎたせいか、

秘密基地が、ゆらっと揺れて、崩れそうになった。

「やべーよ、これ、地震来たら崩れっぞ。」


「んだな。津波来たら、崩れっぞ。」


そうしたら、1人のコが


「だぁいじょうぶだぁ。こねぇって。」


ほかのコが


「なんでだぁ?」


そのコ、


「700年に一度の大津波だぁ。次来るのは700年後だぁ。」


小学校1年生の言葉。


いろいろな意味で印象に残った。

先日ご紹介させていただいた、陸前高田の高校三年生、なおみさんのつぶやきが、


togetterにまとめられていましたので、またご紹介させていただきます。



「助けてくれて本当にありがとうございます


今度は一緒に生きてくれませんか」




「体調は大丈夫ですか


友達や家族と喧嘩していませんか


悲しんでいませんか


苦しんでいませんか」


http://togetter.com/li/174256




読んで以来、日々の生活の中でも、たびたび思い出す言葉です。


そして、思い出すことで、穏やかに、強く、優しくなれる気がする。 少しずつ、だけど、確実に。


みんなが少しずつ、小さくても、大切なことを、大切にできるようになれば、


犠牲になられた方達にも、「またこの国に、生まれてきたい」って思ってもらえるような国になれるかも。

自分の被災地ボランティアのお話も、まだ途中だけど…、


陸前高田の高校生、なおみさんの


「今まであまり詳しく書かなかった、11日の私自身のことをちょっと長々とつぶやいてみようと思います。」


から始まる、3/11~12にかけのて連続ツイート、ぜひ、読んでみてください。


https://twitter.com/#!/naoming830


現実の厳しさ、人間の強さと優しさ、そして、自分たちのこと。


いろんなこと考えさせられます。

到着した日の夜、食事のあと、地区長さんから電話。


「足湯にいるからね。」


私が「あ、あしゆ???いま?!」と?マークだらけになったいたら、


…だって、足湯はいつも、ごはんの前で終わりなんだもん…


「Gちゃんに言えば分かるから。一緒においで。」と。




Gちゃんは、もう何ヶ月も、そのNPOの東北本部の総務で頑張っている20代後半の女性。


まさに縁の下のチカラモチ。もちろんボランティア。内定していた仕事を蹴って、東北に駆けつけたらしい。


みんなを仕切っているイメージだったから、ちょっと怖いのかな…と想像していたのだけど、


実際に接すると、強さと優しさと可愛さのバランスが絶妙で、誰に対しても、わけへだてがなくて、


どんなに大変なときにも穏やかさをたもっている、本当に素敵な魅力的な女性。


年下ながら、心から尊敬してしまう。見習うところが本当に多い。


そして、思わず「たいへんだよねー、よく頑張ってるね」と声をかけると、


「もぉー、ほんとにたいへんだよぉー、いろんなことが起きるの。昨日もね、あー、でも、何が起きたっけ?昨日は、ほんとにいろんなことがあったんだよ…。」


と柔らかい声で、穏やかに、ちょっとだけボヤく。そんなところもなんだか可愛い。


でも、ボヤいても、小さなことにも、細やかな心配りで、頑張り続けるところなんかは、ほんとにスゴイ。


すっかりファンになってしまった。




そうそう、滞在中、突然非常ベルが鳴り響いたことがあった。結局は誤発報だったのだけど。


ベルが鳴ったとき、私は代表の方とお話していたのだけど、鳴った瞬間、もう目の前に代表はいなかった。


ふと部屋の外に目をやると、代表、Gちゃん、地区長さんの3人が、


ぴゅ~っ!とすごい勢いで避難所のほうに走っていくのが見えた。3人とも、なんて俊敏!




いやいや、ほんとに、みんなすごい。優先すべきことが瞬時に判断できて、すぐに動けるのだ。


そして、みんな、ヒトとしても、すごく素敵で魅力的。



代表は、私にとっては雲上人で、遠くから尊敬のマナザシで見ているだけなのだけど、


…というより、大変お忙しい方で現地本部には、いつもいらっしゃる訳ではなく、


私が行ったときに、たまたまいつもいらっしゃるだけのようで、私が運が良いだけらしい。




そういえば、今回の代表は、非常ベルの一件以外にも、絶対に「どこでもドア持ってる!」ということがあった。


今回は、東京本部から出るバスで行ったのだけど、


朝、東京本部で私達の乗ったバスを、手を振って見送ってくれたのだ。


なのに、東北本部に着いたら、見送ってくれたはずの代表が出迎えてくれて、びっくり。


「え?! ああ、新幹線か…。」と思ったのだけど、代表も自分の運転で高速を飛ばしてこられたそう。


絶対、どこでもドア、持ってる…!




聴くところによると、この方は、大災害が起きるたびに、NPOを立ち上げ、阪神大震災はもちろん、


国内外問わず、被災地救援に向かうそうだ。




たくさんの経験のある代表も、今までどんな大きな災害でも長くても2ヶ月半~3ヶ月で撤退できていて、


4ヶ月も経つ頃には、地元の方達と再会を喜び、同窓会飲み会をやっている頃だそう。


それだけに、4ヶ月経っても水を運び続ける今のこの状況は、今回の災害の大きさを物語っているそうだ。




私が大好きなのは、朝夕のミーティングのときに、代表も一言おっしゃるのだけど、


「代表の○○です」ではなく、「言い出しっぺの○○です」とおっしゃるところ。


それを体現するかのように、ふと気づくと、エプロンして、ニワトリの卵を産む箱をトンカチで作ってたりする。


誰も引き連れず、一人で。




そんな訳で、私は、尊敬し過ぎちゃって、雲上人の代表と直接お話するのは、畏れ多いのだけど、


まれにお話するときは、私なんかの話でも、作業の手を止めて、姿勢をこっちになおして、


メモを取りながら、真剣に聴いてくれる。そして、誠実な答えをくれる。


(そして、非常ベルが鳴れば、瞬時にダッシュ…!で、落ち着くと戻ってきて、ちゃんと話を聴いてくれるのだ。)


みんな、ほんとにすごいなぁー。



ああ、素敵な人が多すぎて、一度じゃ書ききれない。


冒頭の、足湯の謎に戻ることなく、今日は、ひとまず、ここまで。


(足湯の謎も、地区長さんのお人柄の話に繋がっていくのです。。。)

ふたたび被災地へ。


今回も、同じNPOにお世話になって、被災地ボランティアとしての現地行きだけど、前回とはなんか違う。


被災地というより、大好きな親戚のおじさん・おばさんの元気な顔を見たくて行くような気持ち。


3週間ぶりに会った、みんなのお父さん的存在の地区長さんは、なんだか、若返って見えてびっくりした。

(※地区長:いわゆる町会長さんや、自治会長さんの立場)



そう、やっぱり、そうなんだ。


お金や名誉や、俗っぽい欲とは、まったく別の世界で、みんながより良くなることを願い、


信念に突き動かされている人は、みんな、顔が違うし、若々しい。


それは、ダイアログ・イン・ザ・ダークの金井さんや季世恵さんや、公志園の方達で痛感していたけど、それは平常時のお話。


でも、こんな史上まれにみる大災害の非常事態下で、本当に大変なときでも、それは一緒なんだね。


そして、志のある人は、どんな状況に置かれても、顔がすさなまい。


ご苦労は、たいへんなものであることは、だった数日行っただけの私がみただけでも、察するに余りある。


もちろん、ものすごいプレッシャーも。


なのに、とってもいいお顔をされている。



そういえば、この話とは関係ないけど、俗っぽい欲ばかりを追い求めてる人は、


どんなに溢れる贅沢に身を置いても、顔がすさんでしまうってことも、最近知った…。


結局、物理的な豊かさではなく、心の豊かさが、鍵だってことだね。


私の大好きなネパールの子供たちのほとんどが、どんなに貧しい地域に行っても、不思議と顔がすさんでなかった理由も、きっとコレだね。




あ、、、完全に話がそれた。話を元に戻そう。




今回、地区長さんの言葉で印象的だったのは、


「やれることは全てやる。みんなが無事仮設に入れるまで、自分のための時間は一切使わないと決めている。」



努力の甲斐はあった。


各方面と粘り強く交渉し、地域が離れ離れにならず、まとまって仮設に入る、今回の被災地の中では先駆者だ。


阪神大震災の時に起きてしまった、仮設での孤独死を絶対に繰り返したくないという一心だったようだ。


地域の住民のことを真摯に考えて動こうとしたときに、一番の壁になったのは、なんと、法律だったらしい。


なんのための法律なのかと悔しくなる。 (これは、この地域に限らず、他県の被災地でも同じだったようだ。)


でも、この地域の成功のおかげで、全員まとまって仮設に入る地域が、あとにも続いている。




みんながより良くなれることは、もちろんだが、


あの大災害のあった時のリーダーとして、良くも悪くも、後々まで語られてしまうであろう、ご自分の立場もある。


きっと、自分が最善を尽くさないと、子供や孫の代まで、肩身の狭い思いをさせてしまう…、


そんな思いもおありだったのではないかと思う。


想像もつかないようなプレッシャー…。


「無理しないで」なんて言ったって、無理してるに決まってる、心身ともに…。


「身体に気をつけて」という言葉以外、みつからなかった。




今日は、ひとまず、ここまで。

被災地から…

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この前、被災地ボランティアで一緒だったメンバーと、再び現地に行くことが決まった。


避難所の方達と交わした「仮設に入る前に、また来るね」という約束を果たしたくて。


早速、滞在中可愛がってくれてた避難所の方へ電話。


避難所暮らし、きっと、不便も多いよね、足りないものも、あるよね…と思ったし。


「行くからね!」に、


「おお!みんなで、顔揃えて、来るか!」とすっごく嬉しい声が返ってきた。


つづいて、「足りないものあれば、東京から買ってくから、必要なもの、教えて!」には、


「なんにもね。たーだ、みんなの顔だけ見せてくれればいーから。」


「え・・・、でも…。」


「なーんにもいらねーって。」


「あ、でもね、暑くなったし、この前扇子欲しいって言ってたから、みんなで扇子集めたんだよ。」


「おお、そおか。ありがとう。んなら、扇子だけありがたくいただく。ほかは、なーんもいらねー。気ぃ付けて来い。元気な顔だけみせてくれればいいって、なーんももってこなくって。それより、仕事、夜中までかかってたのは、ちーとは落ち着いたのか?」


…泣きそうになってしまった…。


これから、避難所を出て仮設に行けば支援はなくなり、みんな職まで流されてるのに自活しなくちゃいけない。


足りないものがない、なんてはずない。東京の普通の生活での引っ越しですら、モノイリなんだから…。


私なら、呆然としてしまう状況。きっと、自分のことでせいいっぱい。


そんな状況でも、私が、この前の現地ボラのあと、残業続きで忙殺されてたこと、覚えててくれて、気にかけてくれてたんだ。嬉しい…。


またしても、被災地ボランティアのはずの私が、被災地の方から、チカラを与えられてしまった。


あれだけ瞬時にして、すべてを流されても、ヒトは、ヒトに、与えようとしてくれるし、


事実、私は、与えてもらった、物理的にも、精神的にも、得難いものを。


あれだけたいへんな困難に見舞われてもなお、自分のことよりも、人を気遣う。


私の周りには、震災前から、何故かそういう方が多いのだけど、それにしても、今回出会った方達は、驚異的とすら思えてしまう。


電話のおしまいは、「また、こっちっからも、電話すっから、とにかく、気ぃ付けて来い。な。」


ほっこり、あったかい気持ちになるのでした。


そんなワケで、被災地から、もらいっぱなし…。


こんどは、どのくらい、お返しして来られるかな。