地震の犠牲(巨大地震発生七日目) | 上海大学シニア留学日記~その後

地震の犠牲(巨大地震発生七日目)


朝、両親が行方不明の宮城県のCさんの長男から
電話が通じるようになったことと、お見舞いに対する
お礼の電話が入った。

その時の話では、ご両親は津波の来る直前まで家に
いた筈なので助かることは無理かもしれないと言っていた。

次に、那須塩原に単身赴任している私の長男から、電話が
入り、町の食堂は開店しているので、食事は何とか食べて
いる。車のガソリンも昨日満タンにしたと言って来た。
少しは安心した。

今日も福島第1原発の3号機から白煙が立ち上り、事態が
切迫して来た。自衛隊が先ず空から、そして夕刻には陸か

らの放水を試みた。警視庁機動隊も陸から高圧放水車
による放水を実施した。効果が現れることを切に願う。

午後からは、運動不足解消を兼ね、片道40分ほどの距離
の大型ショッピングセンターまで買物に出かけた。
途中、いろいろな店を覗いたが、お米やカップラーメン
などはどの店も全部売り切れだ。

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(お米売場は1袋もない。)

都会の人の買いだめは被災者に物資を回すため、
控えるべきだが、こんなにも商品が無くなれば、
心理的には煽られるのも致仕方ないかも知れない。

帰ってくると、宮城県のCさんご夫妻のご遺体が発見された
との訃報が入っていた。
何とも痛ましい。言葉が出ない。
こんな時だから、ご遺体を引き取って、お葬式もあげられな

いとのこと。

Cさんの二人のお子さんには、ご両親の無念だった分
まで強く生き抜いて欲しいと心から願うばかりだ。  合掌