この旅で11カ国を旅してきたのだが、

まずシリアに入って目に付いたのが、そのゴミの多さ。

同地域のトルコやイランに比べて、格段に汚い。

バスで走っていても、幹線道路沿いにはゴミの山が景観を害しているし、街はゴミによってその魅力を半減させてしまっている。

シリア人の多くは、ポイ捨てをすることに対して一切の罪悪感がないようで、街並みには吸殻などのゴミが無数に落ちている。

街を歩いていると、ゴミが放つ悪臭に思わず嫌気がさしてしまうことも少なくない。


大地は、パートナーのマサ君とタクヤ君とともに環境教育の活動に従事しており、その一環として、ダマスカス市内の公園でゴミ拾いが開催された。現地の子供を中心ターゲットに、ゴミ拾いだけでなく、紙芝居などを通じて「ゴミを減らすことの大切さを伝える」ことが目的だった。


↑  段取りを説明する大地


事前の入念な告知活動の結果、当日は180人ほど集まり、大規模なゴミ拾いが行われた。

参加者は主に、公園にいた人たち、政府の清掃局職員、ダマスカス大学の学生、JICAの職員、他の協力隊員参加者であった。

参加者は、特に子供たちは、精力的に、かつ楽しくゴミを拾っていた。

中でも、印象的だったのが、公園にいた物乞いの子供が、他の子供たちを見習って、ゴミ拾いをはじめたことだった。「誰かがやりだせば、他もやりだす」そういった希望を3人に持たせてくれる力強い光景だった。


このゴミ拾いを再現性、持続性のあるものにするのが彼らの目的の一つであり、そのためにあらゆる工夫がなされた。

例えば、

ゴミ拾いに参加した者にはスタンプカードを配布し、参加回数が増えるにしたがって、商品がもらえる仕組みを導入した。

その他にも、「ポイ捨てはいけない」ことを学習させるために、ゴミ拾い後に参加者に飴を配り、それを捨てる行為まで見届けたことがあげられる。その際に、迂闊にポイ捨てをした人に、参加者からの非難が集中したことが、このイベントの効果を象徴していた。


活動を見学させていただいて思ったのが、

その活動が実に地味で、根気と情熱が必要だということ。

ゴミをポイ捨てしてはいけないこと、ゴミを減らすことの重要性。

こういった、日本では当たり前の常識を、それに関しておそらくほとんど興味がない人たちに普及させることの難しさを痛感した。

それでもなお、この問題を「環境教育」という切り口で地道に、

そして強かにタックルする同期の姿は、力強かった。


 明日にはシリアを出発し、ヨルダンへ行く。

結局シリアには2週間近く滞在したことになる。

普通のバックパック旅行では体験できないことが体験できたし、

引退してから初めてといっていいほど、同期の大地と、

ラクロス以外のことについていろいろ話し合えた。

いろいろ刺激にもなった。


そして、なんといっても大地と再びラクロスができた。

大地の村の学校で、試合が開催された。


怪我をしないように準備運動


フェイスオフで試合開始。


攻める俺、押される大地。


シュート。


決まる。



勝利。

試合後の反省会。


球拾い。


ファンとの記念撮影。


シリアで初めてラクロスの試合が開催されました・・・

くだらなくてすみません・・・


ちなみに、誤解を招かないように補足すると、

ラクロスは10人対10人で行われ、選手は防具をつけます。


って、なんのブログだ、これ!?


くだらない話はやめて、、、

また明日から、一人旅が始まる。

シリアでは、大地に頼りっぱなしだったので、またここから引き締めていきます。


ヨルダンでは死海とぺトラ遺跡、エジプトではシナイ山とピラミッドが

俺を待っている。

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この大地がいるキルギスという村は、実はゴラン高原にある。
ゴラン高原とは、
第3次中東戦争(1967年)で、イスラエルシリアへ侵攻し、占領した場所だ。
それに対する国際批判が高まり、イスラエルは領土を一部返し、
さらにそこに国連のUNDOFという機関が介入した。
UNDOFの目的は、簡単に書くと、イスラエルとシリアがまたドンパチしないように
監視しているということである。
自衛隊は、このUNDOFに派兵しているそれぞれの国の軍隊の後方援助(輸送、整備、技術援助・・・等)を行っている。
昨日は、シリア政府の許可を得て、
このゴラン高原へ見学に行った。
↑ 何個も国連管理のゲートを通過していく。
さらに、大地のコネで、ゴラン高原でPKO活動をしている自衛隊のTOPの
隊長と話す機会にも恵まれた。
隊長でっせ、隊長!!
↑ 左のベレー帽が白川隊長、右が前島3等陸佐。
彼らに、クネイトラという街を案内していただいた。
ここは、イスラエルが撤退時に破壊した街である。
病院やら学校やら片っ端から破壊してイスラエルは撤退した。
が、シリア政府がそれを誇張するために、一部を自作自演したという説もある。
真相は闇の中だが、イスラエルが破壊行動をしたことは事実である。
残された病院や学校は廃墟と化し、侵略と戦争の痛々しい面影を残していた。
さらに、イスラエルとの国境にも特別に連れて行ってもらった。
ここは、ものすごく緊迫した場所だった。
厳重な警備の向こう側には、イスラエルの国旗のダビデの星がなびいていた。
舗装された道路から踏み出すな と注意される。
地雷がそこらじゅうに埋めてあるらしいのだ。
(写真撮影も固く禁止されていた)
見学の後は、自衛隊の方が今度は大地の活動を見学したいということで、
大地の村へ移動した。
そこで、なんと、、、、
自衛隊の方の国連の車に乗せてもらった。
黒い文字で「UN」と書かれた白い車。
まさか自分がそれに乗る機会があるとは、、、。
隊長の車、まじすごい!
見たこともない機能がカスタムされていて、まじかっこよかったっす。
キルギスの村で、大地の活動の一部を見学した後、
彼らは、基地へと帰っていった。
自衛隊の方は、こんな辺境の地でも頑張っています。
国内では、イラク派兵同様、ゴラン高原駐屯もしばしば問題視されますが、
自衛隊の皆さんは、そんな狭間で、国際平和のために、
そして日本の国際協力のために、妻子を日本に残し、頑張っているのです。
シリアなど、多くの国で、親日派は多い。
俺は旅人として、何度もその親日派の人たちに助けていただいた。
他国にとって、一般的に日本・日本人の印象がいいのは、
海外青年協力隊や、地域によっては、自衛隊の人たちが、
あるいは、普段は脚光を浴びない大勢の人たちが、
現地の人のために頑張っていることを現地の人が知っているからではないでしょうか。
ゴラン高原で任務を遂行している自衛隊や、
現地の貧困層の救済や環境問題への取り組みを行っている大地も、
その大勢の人たちに含まれるのだろう。
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シリアで頑張る仲間を訪問

テーマ:
しばらく更新をさぼっていました。
今はシリア南部のキルギスという小さな農村にいます。
ここで、大学の部活の同期の小沼大地が、海外青年協力隊の一員として、
村人へのマイクロファイナンス(小口融資)と環境教育の活動に取り組んでいる。
久しぶりに大地と再会してまず驚いたのが、
彼がぺらぺらにアラビア語をしゃべる光景。
去年までは、「克己心、克己心!!」(去年の部活のテーマであった)と叫んでいた男は、
今はアラビア語で仕事をしている。
彼の村に行ってみると、彼は人気者だ。
道ですれ違う人が、みな「だいちー!」と呼んでは、
握手を交わしに来る。
子供たちも、大地を放っておくことはない。
歩いていると、あらゆるところから、「だいちー!」の声が聞こえてくる。
村人に受け入れてもらうまでには、きっと涙ぐましい努力があったに違いない。
大地の仕事の忙しさとは裏腹に、村の時間は、ゆったり流れる。
大人は午後3時に仕事が終わり、それから誰かの家に集まり、ひたすら世間話。
最近砂糖の値段が上がったな、とか、
おまえの牛の調子はどうだ、とか。
そして、日本では考えられないくらい、人と人の距離が近い。
みんな家族のようにお互いのことを親しく感じている。
夕食の時間になると、誰かの家に行けば、必ず夕食を振舞ってくれる。
のんびり生活で、家族と過ごす時間が長い。
近所もみんな親戚で、互いに助け合いながら生きている。
彼らの月収は、約200ドル。
でも、これもまた幸せの一つの形だなと、村人の笑顔を見て思う。
↑ 村長の家に招待され、夕食をご馳走になった。
↑ アラビア コスプレ。
ここで、大地の活動を軽く紹介します。
シリアは都市部でも、田舎でもゴミが散乱している。
ひどいです、はっきりいって。
彼はまさにそれに取り組んでいる。
「ゴミは、しっかりゴミ箱に捨てましょう」
「環境を大切にしましょう」
こういった日本では当たり前のことを、
いかに効果的にシリアの人々に浸透させていくか、
彼は日々試行錯誤を繰り返しながら、奮闘している。
大学に働きかけたり、幼稚園の先生を教育したり。
彼の環境教育の活動は、ここで全て紹介しきれないくらい
多岐にわたる。 彼は、自分が立案した計画がこの村で成功すれば、
今後の他の村での活動のモデルになるに違いないと、
自分のアイディアを形にするべく、頑張ってます。
もうひとつの任務が、マイクロファイナンスと呼ばれる融資の活動。
最貧困層の生活水準の向上を計り、「現物融資」という形で、
農民に牛などを「融資」している。
ただし、イスラム教の聖典であるコーランには、「利子」を禁止する項目があり、
なかなか先進国とは同じようなシステムでは機能しないため、
さまざまな苦労があるという。
村で、彼の活動を見学した。
まずは彼が所属するNGO団体(FIRDOS;Fund for Integrated Rural Development of Syria)設立した幼稚園を見に行った。
↑ 仕事の打ち合わせをする大地
まぁ子供たちは、相変わらずどこの国でも元気です。
大地が仕事をしている間、自分は子供たちと戯れる。
バスケ、鬼ごっこ・・・ 汗かいたー
次に、大地の活動とは直接関係ないのですが、
日本のODA援助でこの村に誕生した、移動式図書館を見学。
村内を定期的にまわって、子供たちに無償で本を貸し出す。
本などにアクセスのない子供の教育に、一役買っています。
次には、日本が医療器具を提供したクネイトラ病院を視察しにいった。
大地のコネでいろいろ見て回ることが出来た。
日本が提供した医療器具には、ずべて日の丸と「From the People of Japan」と書いてある。
こんなシリアのド田舎でも、日の丸が見れるのです。
やっぱり海外で見る日の丸は嬉しいです。
病院の医療器具や移動式図書館。
これらが提供・設立されるまでには、影でいろんな人が
努力しているのだなと、大地の活動を見ながら思う。
いろんな刺激を受けた一日だった。
明日は、自衛隊がPKO活動をしているゴラン高原へ
見学しに行きます。
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内輪な記事になりますが、失礼。


実は、明日、大学の部の後輩が、

関東学生リーグの準決勝に挑む。

http://www.h-lacrosse.com/



去年の今頃、、、

俺たちの代は、創部以来、史上初めて、関東4強(FINAL4)進出を果たした。


俺たちの4年間の全てがラクロスだった。

練習、分析、ミーティング、食事、トレーニング・・・

全てが、FINAL4で勝つためにあった。


4年間ともに頑張ってきた仲間とあの舞台に立てたこと。

あのとき感じたこと、思ったこと、それは一生忘れることない。

今でも誇りに思う。


しかし、俺たちは、FINAL進出(決勝進出)という目標を目前に、

この準決勝の試合で、惜しくも逆転負けを喫した。

今でも、長距離移動の時など、気がつくとその日のことを考えている。

夢でも何度も出てくる。


明日、君たちはまたあの舞台に立つ。

うらやましい限りだ。

法政戦を見にいったら、みんな見違えるほどうまくなっていたぜ。

今までやってきたことを信じ、仲間を信じ、全てを出し切ってきて下さい。

俺たちが託した夢を叶えてきてくれ。


応援にいけないのは非常に申し訳ないけど、

俺は大地とともに、シリアから文字中継を通して応援します。



ローマ遺跡 & 地中海

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イスタンブールから夜行バスで10時間、

地中海沿岸のエフェスという場所に来ました。

ここは、昔はローマ帝国の植民地だったことから、

ローマ遺跡が残っています。しかもその保存状態は、

ほかの無数にあるローマ遺跡よりいいらしいです。

初、ローマ遺跡。

教科書の世界が、自分の目の前に登場しました。


(写真は、クリックしたら全部拡大できますよー)



誰もがどこかで必ず一度は見たことがあるであろう円形劇場。



バスが早朝について即効遺跡に行ったので誰もいなかった。

そこで、思わず舞台で独唱。


抜群の音響の良さと自分の音痴ぶりに驚く。




ギリシャ神話の神様、ニケ(NIKE)

そう、あのNIKEの由来です。

たまたまNIKEの帽子を持っていた。

(イランで$2で購入。なぜか中のタグにPACHINKOって書いてある 笑)

思わず記念撮影。



ローマ遺跡を満喫した後、

エフェスの遺跡からヒッチハイクして、近くの港町へ。

ここは、「ザ・地中海」 の街だった。

海風、青い空、そして、限りなく濃い青の海。

「紅の豚」が上空を飛んでそうな、そんな雰囲気。


疲れが溜まっていたので、ここでしばらくのんびり。

(夜行バス明けに観光って結構疲れるんよ)

夕方にヒッチハイクでセルチュークという大きな町へ戻り、

そこで軽い夕食にピザを食べた。

これが、災難の始まりだった。

たぶん、チーズだった。

あたった。

見事に。

食べて1時間ほどしてから、急に気持ち悪くなり、すべてを吐いてしまった。

それでもなお、激しい悪寒に襲われ、腹痛。

そしてトドメにアイツもやってきた。

ゲーリー クーパー。

ここで一泊して休もうかなとも思ったが、すでに

夜行バスのチケットを予約していたので、強行。

案の定、苦しい移動になった。

途中でゲーリーの襲来。

バス運転手に次の休憩はいつだと聞いても

英語が通じない & 発射寸前になったので、

しょうがないから、「もれるーー」みたいな動作をして、

無理やりバスを停めてもらった。

暗いほうへ行く。(幸いに夜 & 何も無いところを走っていた)

トルコの大地に、しゃがみこむ。

バスに戻るときの、あの恥ずかしさといえば、

この右にでるものは無いのでは。

トルコ人はみんな失笑・・・

円形劇場で音痴なのに歌った罰だと自分を慰める。


そんなこんなで、アンタリアというこれまた地中海沿岸の

街に着き、ホテルを探しては、ひたすら寝た。

寝たおかげで完全復活!

風邪かなとも危惧したけど、やっぱあのチーズだった。

エフェスのチーズには気をつけろ!

アンタリアも、地中海沿岸のとてもきれいな街です。

ヨットが並ぶ小さな港があり、新鮮な魚が市場に並ぶ。

果てしなく青い海。

心地よい海風。

海を見ているだけで、豊かな気持ちになれるのはなんでだろう?


格安のヨット ツアーを見つけ、

一時間ほど、地中海にのった。



気分最高。

地中海を、ヨットで。

ちょっとした夢だったんです・・・感涙。



↑  アンタリアの港町 


いつか地中海の街に住んでみたいなぁ


地中海を満喫して、ここから一気に

シリアまで移動です。


シリアでは、海外青年協力隊で働く同期が待っている。



イスタンブールで6日間

テーマ:

今日で、イスタンブール6日目です。

こんなに長くいるとは思わなかった。

とにかく、この街は、見所が多くて、何日いても飽きないです。

こんな街、初めて。

普通は、3日くらいいると大体飽きてきて、次の街に移動するのが、

ここだけは何日いても、未練を残して去っていくのだと思う。


歴史、自然、料理、ショッピング、バー、クラブ・・・・

イスタンブールは、なんでも用意してくれている。


とにかく毎日同期の康平と歩きまくって、

イスタンブールを散策した。



簡単に紹介します。


↓  アヤソフィア

   ここは、6世紀に教会として建設され、その後のアラブの支配でモスクにコンバートされた建物です。

   イスタンブールのシンボル。

   中にはモザイク模様や、キリストの絵があって、独特の雰囲気。





↓  ブルーモスク

   今でも、イスラム教徒の礼拝の場所として使われているモスク。

   街のど真ん中に、ドォーーンとある感じです。




↓  ボスフォラス海峡

   アジアとヨーロッパ側を隔てているのが、ボスフォラス海峡。

   橋の上などでおっさんが釣りをしている。結構釣れてる。

   港で、鯖サンドイッチが売っている。フランスパンに、トマトと玉ねぎと

   鯖の塩焼きをはさんだだけのものなんだけれども、めちゃくちゃ美味いです。

   暇な人は、ぜひ試してください。





その他にも、無数に見所があります。

アジア側もまたヨーロッパ側と違って、なかなかいい雰囲気です。

少し混沌としているところが、アジアらしい。


康平とこんな会話のやりとりがありました。


「今日は何処に行く??」


「今日はアジアへ行こうか」


「じゃ、午前中はヨーロッパを見てまわって、

午後はアジアに行こう。」


そんな会話が出来るのもここイスタンブールだけです。




昨日の夜は、友達のバーへ遊びに行った。

実は、イランでトルコ人のザフェールと一緒に旅をしていたのだが、

彼はなんとイスタンブールにあるバーの経営者だった。

ちなみに刑務所に5年間いたこともあるらしい・・・

なぜかは、ごまかされた。笑

彼はインドの方へ行ったが、

別れるときに、イスタンブールに行ったら、俺のバーに行って、

「この手紙を見せろ」といって、手紙を渡してくれた。


そのバーへ行き、店員に手紙を見せると、

店員が、一言。


「今日は、全部無料だよ。

好きなもの飲んでいきなよ」


感涙。

久しぶりに生ビールを飲んだ。

4杯も。笑

まじうまかったぁーーー。

康平とビールを交わしながら、色々と語った。


↓ ザフェールの友人。

  

ザフェール、ありがとう。



そんなこともあり、ここイスタンブールが大好きになってしまいました。

ここにいつか駐在できるといいなぁ。


今夜の夜行バスで、エフェスという場所にローマ遺跡を見に行きます。

イスタンブールを去るのが、少し悲しい。


今の居場所 ↓


http://www.dokonano.com/istanbul

キャパドキアから夜行バスで12時間。

いよいよアジアの果て、ヨーロッパの始まり、イスタンブールに着きました。

当初は、ここを最終目的地にしていたので、通過点になってしまったことは、

多少残念です。


イスタンブールといえば、それは昔から、

自分にとっては、大げさに言えば、どこか神秘的な響きがあった。

イスタンブールを舞台に、

どれほどの歴史のドラマが演じられてきたか。

世界史で、ビザンティウム、コンスタンティノープルと度々名前を変えて登場するこの古都は、

自分の中では、常に「憧れ」という言葉をもって印象に残っていた。 


しかも、

アジアの果て。

ヨーロッパの始まり


これほどドラマチックな街はないのでは?


そこに今、自分はいる。


いやぁ、それにしても、上海からよくきたなぁー

と少し感慨深くなり、イスタンブールのバスターミナルに

到着したときは、なんともいえない達成感を感じた。


でも、まだ旅は続きますよ、ピラミッドを見るまでね。




トルコに入ってからは、移動が本当に楽だぁ。

トルコのバスは、値段が高い分、この上なく快適です。

まずは、席の間隔が広い。

そして、あらゆるサービスがある。

まるで飛行機の機内サービス。

水、お茶、お菓子、そして「おしぼり」に代わって、コロンを振りまいてくれる。

さっぱり。


インドや中国の苦痛バスはなんだったんだろう?

と思わしてくれる快適さです。

これだったら、何十時間でも乗ってられます。


何より嬉しいのが、

みんなマナーがいいこと。

一番感心したのが、車内絶対に禁煙ということと、

「靴を脱いではいけない」という規則。


これは明らかに、悪臭防止策です。

これを読んでいる中国バス会社の人がいれば、

ぜひこの制度を導入してください。 笑




実は、

イスタンブールで大学の部活の同期(彼も5年目で、世界を旅している)

康平(通称、こぶへい、こぶちゃん ETC)と再会した。

彼はエジプトからヨルダン、シリアを通ってここまで来た。

劇的な再会だった!



4年間ともに汗と涙を流し、すべてをかけてきた戦友と

海外で会うのは、これまた変な感覚に陥ります。


去年の今ころは、関東4強進出を果たし、

準決勝の準備と練習にすべてをかけていた。


そして、今は2人でボスフォラス海峡を眺めている。


なんか、へんな感じだ 笑



夜は酒を交わし、いろいろ部活の話や、旅の話で盛り上がった。

気がついたら、深夜2時。

やっぱ、いいですね、仲間って。

大学時代、「友達」はたくさんできるけど、

「仲間」ってなかなか出来ないんだと思うんです。

自分は、同期も後輩も先輩にも、本当にいい「仲間」に恵まれた。


そういったセンチな思いにさせてくれるのも、

またイスタンブールマジックです。



そう、ここイスタンブールはボスフォラス海峡を挟む形で、

アジア側とヨーロッパ側に街がまたがっている。


イスタンブールは、ずるい。

ここまで、美しい自然に恵まれ、

街が整備され、歴史がしっかりと残っている街はないです。

それに加えて、トルコ料理がとにかくおいしい

人も優しい、(うざい客引きも多いけど)、

ショッピングから遺跡めぐりからなんでもある。





この旅で、一番好きな街になりました。

さすが、イスタンブール。


しばらくここで康平と観光やら何やら楽しんでから、

シリアを目指します。


次の記事でまた、イスタンブールについては詳しく書きます。


いつも読んでくださる読者の方々、ありがとうございます!

こんな幼稚で自分勝手な文章を読んでいただけるなんて、

光栄です。


これからもよろしくです!



ジブリな世界 キャパドキア

テーマ:

キャパドキという場所にいます。

ここは、トルコ中部の奇岩地帯です。

キノコ状の奇があらゆるところに「生えて」いて、

とてもメルヘンチックな雰囲気を醸し出しています。

なんじゃ、こりゃぁー。


↓ キノコ岩



↓  妖精の煙突



↓ そしてまたキノコ岩

   アポロチョコが食べたくなる。  





なんか、まるで宮崎駿のジブリ世界に飛び込んできた感じ。


ここは、実は紀元前から人が住居として利用していたらしく、

奇岩を彫りぬいて作った洞窟があらゆるところで見られます。


↓ 相当、ジブってます。



その中でも、地下に彫った「地下都市」は圧巻でした。

ここは、アラブ人から隠れるために、4,5世紀にキリスト教徒が

作ったといわれています。

地下8階まで、ありの巣のようにトンネルが張りめぐり、

その中には、貯蔵庫、教会、キッチン、井戸、そしてワイナリーまでがある。

1万人の人が当時は住んでいたといわれています。


↓ ここで、ぶどうを踏み潰し、果汁が左下の穴を流れ通り、

  下に設置された桶に流れる込む仕組み。 んーー賢い。



↓ ありの巣のようにトンネルが張り巡らされている。

   なぜかうれしそうな俺。




奇岩のほかにも、

ピンク色の岩で囲まれた谷がある。

その名も、ROSE VALLEY。

あまーい。


絶景でした。

思わずハイテンション。



この谷を4時間ほどかけてハイキングしたのですが、

そこらじゅうに果物が生っていて、食べ放題。

りんご、ぶどう、アプリコット(みたいなやつ)・・・

フルーツ フェスティバルでした☆


話が変わって、、、

トルコは物価が高いです。

これまでの国とは比較できないほど。

泣きそうです。

そんなに頑張ってEUに入ろうとしなくてもいいのに。


安宿は、インドが70円。

ここは、一番安くて、480円。


イランの夜行バスは、200円。

ここの夜行バスは、約3000円。


金欠になる前に、シリアに抜けないと。

シリアは安いらしいので。


3000円の夜行バスで、これからイスタンブールに行きます。

アジアの果てです。






イラン西部の町、タブリーズから36時間かけて、

トルコのキャパドキアという場所に来ました。


なんとタブリーズでも、テヘラン発の列車で一緒になった

マリオとルイージの家に招待された。

ちなみに彼らの本名は、ALI と JAVAD。


夕食に招待され、イラン料理のフルコース(キノコは出なかった 笑)をご馳走になった。




↓  やっぱり、どの角度から見ても、彼はマリオです。



↓ お礼にといっては何だけど、鶴を折ってプレゼントすると、


  「俺も教えてくれ!!」

  と、ALIの弟とJAVADの兄さんが興味津々。

  教えると、相当はまったらしく、その後もひたすら折りまくってた 笑

  全部で20羽くらい折っていたのでは!?

  完成する度に俺に見せてきて、「どうだ? どうだ?」といってくる。 

  イラン人の大人は、どこか無垢で憎めないところがある。



その後は、ALIの友達がバイクの修理屋さんだということで、

そこにも遊びに行くことに。

バイクの修理屋のフッサンは、自慢げに自分のHONDAを披露してくれた。

HONDAのほかにも、KAWASAKI SUZUKI と日本製のバイクがぞろりと並んでいた。

やっぱ海外で日本の製品が活躍しているのをみると、嬉しいですねぇ。

 


↑ 左がフッサン。


自分がフッサンを勝手に、MR HONDAと呼ぶと彼は大喜び!!

きっと彼は、今後ずっとそのあだ名を使うのでしょう。 


彼らには最後まで親切にしてもらった。

しまいには、バス停まで送ってくれ、

「おなかが減ったらこれを食べなさい」と、

弁当まで持たせてくれた。

最後の最後まで、イラン人の優しさを浴びて、イランを去ることに。

イラン以上に好きになる国はこれからあるのでしょうか?

タブリーズからは、ひたすら


移動・・・


移動・・・


移動・・・


イランートルコ の国境は、余裕。

国境によっては、ひたすら待たせられる場所もあるけど、

ここは「余裕のよっちゃん」。


そういえば、、、、

「余裕のよっちゃん」といえば、、、

アメリカから日本に帰国して日本語が苦手だったころ、

クラスの友達が  「あれは余裕のよっちゃんだね」  というの聞いて、

クラス内で、よっちゃんという名前の人を探した覚えが。。。

たまたまヨシキ君というクラスメートがいて、

しかも彼はやたら余裕そうにしているので、

俺は半年間、彼が 「余裕のよっちゃん」だと勘違いしていた。

真実を知ってカルチャーショックを受けた覚えがある。

てか、「余裕のよっちゃん」 って誰だよ!?


くだらない話はやめて、、、


国境で見たアララット山。

ここは、ノアの箱舟が発見された場所。

(その科学的根拠は怪しいらしいが。)

山の形は、富士山に似ている。

気がついたら、しばらく思いが日本に馳せていた。


その後もひたすら


移動・・・


移動・・・


移動・・・


やっとアンカラ(トルコの首都)のバスターミナルに深夜について、

そこのベンチで寝袋を広げて一泊。

屋内だったのに、くそ寒かった・・・


そう、トルコ東部は、いま、くそ寒いです。

雪降ってます。

ダウンジャケットを持ってきて、大正解☆



早朝のバスでキャパドキアへ。

やっとの思いでここに着いた。


トルコに来てまず戸惑ったのが、通貨。

トルコは、驚異的なインフレーションを経験した。

そのせいで、約80円が、1000000リラに相当する。(リラはトルコの通貨)


これにトルコ政府も困り、今年の1月から、

「0を6つ切り捨てます」

と発表。


要するに、今年の1月から、

今までの1000000リラが 1リラになったのです。

そこまでなら、大丈夫。


問題は、今までの古い紙幣が出回っていること。

3リラを出したのに、おつりで500000リラが返ってきたりするんです 笑

ようやくなれた感じです。


ここキャパドキアで疲れをとってから、イスタンブールへ行くことにした。

本来なら、トルコ東部からシリア、ヨルダン、エジプトまで行き、

エジプトのアレクサンドリアからフェリーでイスタンブールまで行く予定だったのが、

アレクサンドリアからフェリーが出ていないことを知り、笑

やむを得ずルートを変更することに。


ってことで、とりあえずイスタンブールまで行き、そこからトルコの地中海沿岸をまわり、

シリア ヨルダン エジプト へ。

最後にピラミッドを見てから、帰国することにしました。


ってことで、来週にはイスタンブールに着きますが、

まだまだこのブログは続くんで、コメントを待っています!!


テヘランで、アリーと再会!!

アリーについては、下の記事を読んでください ↓

テヘラン大学寮は、4人部屋で割と広くて、きれいだった。

少なくとも、自分が大学の寮よりははるかにきれいだった。


夜遅くに着いたのだが、アリーと彼のルームメイトたちは大歓迎してくれた。

みんなは、政治学やアラビア語を専攻している。

ご飯やお茶や果物を出してくれて、いろいろ話をした。


彼らは、好奇心旺盛で、かつイランが外国からどう思われているか

興味あるらしく、いろいろ聞かれた。

「イランのイメージは?」

「実際イランを旅をしてどう思った?」

「イランに対する日本人の一般的なイメージは?」

イランに対する日本人の一般的なイメージに関しては、

「危険な国」と答えざるを得なかった。その理由は、

やはりみんながメディアが作り上げたイメージに左右されているからだと答えた。

すごく残念そうにしていた。

そこから宗教の話へ。

「イスラム教についてどう思うか?」

「なぜ神を信じない?」

「イランの政治は、政教分離ではない。それについてどう思う?」

イスラム教は、女性の扱いがあまりにも不平等だと

答えた。彼らも納得していた。

政教分離については、95%以上がシーア派で宗教的多様性が

みられないこの国では、簡単なことはいえないけど、

俺は政教分離に賛成だと答えた。

コーランでは、「男女は平等だ」と、明記されていているが、

外国人の目から見ると、明らかに女は不平等に扱われてる。

一夫多妻制もその一例だ。その宗教的思想が、法にも適用されてしまっていると

思うから。

「なぜ神を信じない?」 

この答えに、日本人は困るのでは。

俺は、いつもこう答える。

「religion」と、 「faith」 は必ずしも一致しない。

俺には、「religion」はない。だから「religion」が作る神は信じない。

でも、「faith」はある、と。

アラーが唯一の神だと信じているイスラム教徒には、なかなか

受けいれられない答えだが、彼らはやはり修士生ということで、

その考えを理解してくれた。

彼らは修士生ということもあって、

より客観的にイランの政治や外交を見ているという

印象を受けた。

政教分離の考えにも賛成だったし、

保守的な首脳陣に不満を抱いていた。

話は、雑談へ。

「好きなサッカー選手は?」

  

 三浦カズだと答えた。なんと、全員がカズを知ってました。

 さすが、キングカズ。

「日本でもっとも有名なイラン人は?」

 政治家のホメイニか、サッカーイラン代表のダエ かな? と答えた。

 

 ねぇ、ミスターマッスル って、イラン人だったけ??

 彼に似た人がたくさんいるんだよね 笑

「おしんは、見ていたか?」

 

 そう、なぜかイランでは昔 「おしん」 が大ヒット。

 みんなから「おしん」は、見てたか? と聞かれる。

 「見てない」と答えるたびに、 なぜか乗り遅れている思いになる・・・

「日本の音楽はどんなものか?」

 MMP3を取りだして、何曲か聴いてもらった。

 

↓  AI の 「Story」  に、めろめろ。 

    右がアリー               


いろんなテーマを話して、話して、、、、

気がついたら、朝の3時 笑

翌朝は、朝8時からの講義に一緒に出席・・・ ><

「イランの外交史」について、ペルシア語で2時間みっちり

講義を受けてきました。 笑

講義後、教授の研究室を訪問し、

「イランの核開発問題」や「対シオニズム発言」など

いろいろと質問をさせてもらった。

賛成はできなかったが、考えは理解できた。

最後は、教授と硬い握手でお別れ。

写真は、さまざまな問題につながるんで、

搭載しないでくれと。。。。

これもまたイランを感じさせてくれる。

その日の夕方、いつかの再会を誓い、

アリーと別れた。駅まで見送ってくれた。

一生の思い出になった。

駅で、とんだことに気づいた。

金を両替するのをすっかり忘れていた。

イランは、アメリカの経済制裁のせいで、

トラベラーズチェックが使えない。

そして、外国のキャッシュカードをATMで使えない。

ドル現金を銀行で両替するしかない。

そして、その銀行は閉まっている。

列車のチケットが買えない。

しまった・・・やってしもうた。

駅の窓口で 「ドル払いさせてくれ」 とごねていたら、

一人の紳士が登場。

「俺について来い。」 

という。

何をしてくれるのかな と思いきや、

彼は近くのATMへ行き、

$20分のリアルをおろしてくれ、

銀行と同じレートで両替してくれた。

彼はきっとその後、わざわざ銀行に行って両替えするのだろう。

なんて親切なんだろう?

頭を深く下げ(日本式)で、お礼を言った。

列車に乗ると、、、、

同じブースに マリオ と ルイージ が座っていた。



まじで似てない??

彼らもこれまた親切で、

飯を食わせてくれるは、お茶をたのんでくれるは、お菓子はくれるは、、、、

片言の英語だけで、すっかり仲良くなった。

朝タブリーズについてからは、家へ招待してくれ、朝食をご馳走になり、

さらにはトルコ行きの夜行バスのチケットを手配してくれた上に、

その時間まで荷物をおかせてもらことに。

ここには書ききれないくらい、いろんな人に親切にしてもらった。

こんなにいろんな人に親切にされたことは、生まれて初めてです。

胸が溢れそうな気持ちでいっぱいです。

イランでは、一度もいやな思いをしなかった。

少なくとも、このブログを読んでくれている人に伝えたいです。

イランは、とてもいい国です。

人は本当に紳士的で、親切で、温かい。

深い人情を感じる。

治安も安定しているし、きわめて安全な国です。

もし、あなたの周りにイラン人がいたら、親切してあげてくださいね。

自分は、すっかりこの国の虜になってしまった。

今夜の夜行バスで、いよいよトルコへ。

この旅、9カ国目だ。