ラオス ルアンパバーン
テーマ:ブログしばらく更新できずにいました。
今はラオスのルアンパバーンにいます。
最後の「アユタヤ&スコタイ」の記事をかいてから、
今までの流れを簡単に書きたいと思います。
スコタイの後は、チェンマイ、チェンライを経由して、
メーサーイという町へ行きました。
ここはタイ最北の町で、ミャンマーとの国境があいている数少ない場所です。
ビザなしでも一日だけミャンマーに入国できます。
(ミャンマーは、基本的に陸路での入国は禁止しており、本来は空路のみでしか入国できません。)
そこで、一日だけミャンマーへ行ってきました。
とはいっても、メーサーイと川を挟んだところにあるタチレクという小さな町のごくわずかな
場所しか歩き回ることが許されていません。
ミャンマーとタイの経済格差は歴然としていた。
国境を越えるとすぐ、ミャンマーの物乞いの子供たちが
「金をくれ、何かをくれ」と集まってきた。
ミャンマーは、タイより物価が安く、タチレクにある市場はタイからの
観光客で賑わっていたものの、自分はたいした魅力も感じることができずに、
すぐ出国しました。
(市場を歩いていると、「タバコを買わないか、ポルノDVD」を買わないかと、
5m歩くたびに変な兄さんが寄ってきて、それがマジうざい!!!)
メーサーイのあとは、ゴールデントライアングルという場所へ行きました。
ここは、ラオス、ミャンマー、タイの3カ国が隣接する国境で、
ちょっとした観光スポットになっている。
3カ国が隣接する国境・・・日本じゃまず見られない 笑
ちなみにもともと「ゴールデン トライアングル」というのは、
ここの亜熱帯気候の三角地帯が、ケシの花の栽培に絶好の場所だった(今でも☆)
ことから、この地域一帯の名前になったらしい。
ラオス、タイ、ミャンマーの歴史といえば、常に誰かが誰かを侵略していた歴史で、
その結果がこの国境かと考えると、川とジャングル以上のものが見えた気がした。
いや、そんなことないなぁ ちょっとかっこよく書いてみただけ。
その後は、チェーンセーンという小さな町を経由して、ラオスへ入国。
ここから2日間かけて、小船でメコン川を下り、今のルアンパバーンにたどり着いた
ということです。
ラオス。。。。
みなさんはこの国名を聞いて、何を連想しますか??
自分は、旅する前までは、「ラオス=ビエンチャン(首都)」としか連想しなかった。
(いかにも、受験で詰め込んだ知識っぽいでしょ。。。)
中国から旅を始めて、「ラオス」と聞いて連想することが増えていった。
なぜなら、ラオスを通ってきたほかのBP(バックパッカー)と話すたびに、
「ラオスは、最高だ」
と耳にたこができるほど聞かされてきたから。
「なんでそんなにいいんだ?」 と聞くと、
「いや、なんかいいんだ」 とみんなが口をそろえたようにいう。
きっとみんながみんな言うから、それに影響されて、
ほかの人も「ラオス、最高だ」と連鎖的に言っているのだと、多少割り引いて聞いていた。
そして、今ラオスにいる。
「ラオス、最高です」 ・・・・笑
本当だった!!!
特にこの町、ルアンパバーンは、今までの言った東南アジアの数々の町の中で、
一番好きだと断言できます。
でも、なにかあるかと聞かれれば、特になにもない。
歴史的な遺跡もなし、ポストカードを飾るような絶景もない。
あるのは、本当に小さな町。
メコン川の辺に位置し、市内は大きい通りが3本ほど通っているだけで、
そこを通る交通量は圧倒的に少ない。
信号も一つもない。
植民地時代のフランス建築が散在し、通りには民芸品を並べた店がある。
独特の雰囲気を醸し出している。
通りを歩いていると、ラオスの人たちと目があう。
必ず笑顔が返ってくる。自分も気がついたら笑顔になっている。
この国は本当に時間がゆっくりと流れている。
ゲストハウスの時計は、みな違う時間を表示し、
中には完全に停止し、単なる壁飾りになっているものもある。
国境から出る船も、「何時に出発するのか?」と聞いたら、
1日目も、2日目も、「みんなが集まったら。」という。
数時間単位でしか、ものごとが計画されない。
電車が、5分遅れただけでお詫びの放送が流れる東京とは、あまりにも
時間の流れ方が違う。
自分も、その時間に身を委ね、午前中のんびりのんびり
町の少し外れたところを散歩していたら、声をかけられた。
「おい、どこいに行くんだい?」
「いや、どこにも行かない」 と返した。
この返答が、ごくごく普通に通ってしまう国だ。
相手は、エアー君(ラオス、23)
道端に座りこみ、世間話が始まった。
いろいろ話していく中で、仲良くなり、夜、家へ招待してくれた。
(なぜか、どこへ行っても、よく家へ招待される)
最初は多少迷ったが、キーホルダーにぬいぐるみをつけているこの男は、
絶対に悪いやつじゃないと悟り、遊びに行くことに。 笑
夜、ゲストハウスまで向かいに来てくれて、
そこからバイクで10分ほど郊外に行ったところにある小さな町に着いた。
(10分バイクで走れば、郊外です 笑)
その町は、道路もない、街灯もない、真っ暗だった。
家は、木版をつなぎ合わせたものだけで、壁に隙間が目立つ。
8畳くらいの広さに、家具といえば、映りが悪いテレビと、椅子がいくつかあるだけだった。
電気は、蛍光灯一本で、家の隅々は暗い。
とても貧しい家庭だ。
お母さんと、長女と次男とが出迎えてくれた。
夕食は、ラオスの家庭料理を4皿も振舞ってくれた。
決して豪華ではなかったが、この家族にとっておきのもてなしだった。
家族に囲まれて、楽しい楽しい時間をすごした。
このエアー君と仲良くなった一つのきっかけが、
同い年で、しかもお互いの家族構成が酷似していることだった。
父親の年齢、母親の年齢、兄弟の年齢、、、どれをとっても似ていた。
それで、家に招待された、ということだった。
ふと、考えてしまった。
もし、自分が、この家庭に生まれたとしたら・・・
経済的にも厳しいので、きっと自分も、エアー君と同じように、
昼間は働いて、夜は夜間学校で勉強していたに違いない。
この家に住み、今のように海外に行くことなんてまずなかっただろう。。。
そう考えると、自分がいかに恵まれているかを痛感するとともに、
余計なお世話だろうけど、エアー君をすこし可愛そうに思ってしまった。
ラオスの人たちは、貧しい。
GDPに関して言っても、バングラデッシュとアジア最貧国を争うくらい。
でも、なんでだろう・・・・?
この家族といい、ほかの人々といい、
日本にいる僕たちより、人生を楽しんでいる気がしてならない。
すこし嫉妬させられるくらい。
ラオス人は、本当にリラックスしてて、親切で、礼儀正しく、前向きだ。
その雰囲気が、町全体を包んでいる。
異国の地にいるのに、アットホームに感じる。
しばらく団欒していると、お父さんが帰ってきた。
泥酔している。
きっとどこかで飲んできたんだろう。
ここからが、戦いの始まりだった。
ラオスのウイスキーを勧めてくれた。
これが、喉がやけるくらい強い。
一杯頂いたあと、またグラスに注いでくれる。
あとで飲もうと思ったら、俺が飲み干すのをじーーと待っている。
ラオスの文化なのかしらないけど、相手が飲み干すまで、
自分は新たについではいけないらしい。
しょうがないから飲む。
注がれる。
飲む。
注がれる。
飲む。
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体育会顔負けのアルハラ。 笑
帰るころには、酔っ払っていた。
そして今朝は二日酔い。
ラオスのソルマックくれ!
ラオス文化に触れる貴重な一日だった。
そして、今夜もこの家に招待された。
今日は、ラオス伝統の「友達の儀式」をやるらしい。
儀式=酒。
よし、気合いれていくぞ。
この長い記事を 最後まで読んでくれたみなさん!
ありがとう!!

































