フエ Hue

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今は、ベトナム中部のフエという都市にいます。

ハノイからバスに13時間乗り、やっとたどり着きました。


ここは阮朝(19世紀ころ)の都で、町並みと郊外のいくつかの遺跡が、UNESCO認定の世界遺産です。


早速、阮朝の王宮跡に足を運びました。


中国の影響が大きかったせいか、この王宮は、北京の紫禁城を思わせる造りです。

ただし、紫禁城に比べるとはるかに小さい。


阮朝の面影を探しにいったが、意外にも違う印象を受けて帰ってきました。


中を歩いているうちに、王宮内の壁がひどく汚いことに気づいた。

近くに行って見てみると、無数の穴がある。

弾痕だ。


フエは、冷戦中の南北境界線のすぐ南に位置し、ベトナム戦争の要衝だった。

1966年のフエの攻防は、ベトナム戦争でもっとも激しい戦いのひとつだった。

歴史の教科書に出てくる、いわゆるテト攻勢

ホーチミン率いるベトナム解放戦線は、ここを数日間制覇したが、

アメリカが空爆を開始し、北ベトナム軍は大きな打撃を受けた。


ここの王宮の建物の多くは、米軍の容赦なき空爆によって破壊され、

芝生の中に、その瓦礫がむなしく残っている。

壁には、無数の弾痕が残っている。


ベトナムの独立国家であった阮朝の王宮内に、時代は違うが、米軍が残した傷跡を見るのは

いかにも皮肉な感じがした。


この王宮の隣に、ベトナム最高のフラッグタワーが聳え立つ。

真っ赤な背景に黄色い星を載せたベトナム国旗が高々と風になびく。

フランスや日本の植民地支配、ベトナム戦争といった数々の困難を乗り越え、

過去に縛られることなく、毎日を必死に生きているベトナム人の象徴のように感じた。



明日はホイアンという町に行きます。

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Viet Nam!!! Hanoi

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今、ベトナムハノイにいます。

ハノイの印象は、


①オートバイが多い

②ベトナム人は、日本人とすごい似ている

③食べ物がおいしい


って感じです。


①オートバイがほんとに多い。

  

道路は常に、オートバイでいっぱい。

HONDAのSUPER CUBってモデルが街中を、埋め尽くしている。

DO YOU HAVE A HONDA? ってのがホンダのキャッチコピーだけど、

ハノイでは、

DON’T  YOU HAVE A HONDA?

っていえるくらい、ホンダのオートバイを持ってないほうがおかしいくらい。


道路はオートバイだらけで、横断するのも危険そうだが、

歩行者・自転車が横断するときは、減速して、よけてくれる。

そこらへんが、ベトナム人の優しさを感じる。

(上海は、減速しない & よけない)


②ベトナム人は、日本人とすごく似ている気がします。


顔や体格は違うけど、人との接し方だったり、和を重んじるところだったり。

まだ数日で、一般化することはできないけど、

とにかくベトナム人は心やさしい人が多いです。

街中で目が合っただけでも、ニコッ って笑顔で返してくれるし、

買い物 その他の時も、礼儀正しく、親切に対応してくれる。

ぼってくる人も、なんか憎めない。

それだけ、ここの人は心優しく、和を重んじる空気がある。

大好きだ。


③食事がとにかくおいしいです。

BUDGET TRIPなので、決して高いところにはいけないけど、

毎日現地の人が行くようなところで、ほかのBPと食事を楽しんでます。

ベトナムは、食事の時間になると、路上にお風呂で使うような小椅子が出てきて、

その上で、路上で調理されるフォーを食べる。一食60円くらい。

薄味で、日本人の舌にもすごく合う。




今日は、ANDRE(ITALY、26)と一緒に、自転車でハノイを見て回った。

午前中は、ホーチミンの遺体を見に行った。

教科書で勉強した人物の死体を目の前で見ると、

言葉では表現できない違和感がある。。。

ホーチミンは、ベトナムではヒーローです。

ベトナム紙幣にはすべてホーチミンが乗っているし、

現地の人もホーチミンの遺体を見にきては、拝んでいます。

「ベトナムのお父さん」って感じでしょうか。

それが、社会主義的教育の必然的な結果なのか、

本当に建国の父として崇拝されているかはわからないけど、、、


一緒に観光しているANDREは、寡黙なイタリア人で、いつも俺がしゃべってばっかり。

たまに口を開いたかと思うと、彼の口からは、南イタリア訛りの英語がボソッボソッと出てくる。

それがマジ、カッコいい。

まるで、GOD FATHER のドン・コリオーネと話している気分だ。



明日は、ハロン湾に行きます。



↓ ハロン湾





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中国と暫しお別れ

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今日、ベトナムへ向かいます。

中国南部は雨期に突入し、信じられないほどの豪雨が降っています。


海岸沿いの都市(上海、蘇州、杭州)から桂林、陽翔と内陸の街に来てから、

中国人に対するイメージが大きく変わりました。

ここにくる前までは、過去の記事からも分かるように、正直、あまりいいイメージがなかった。

もちろん、親切な人は多かったけど、悪い印象の方が強かった。


ここの人たちは、笑顔が素敵だ。

銀行、郵便局に行っても、笑顔で対応してくれるし、「外国人を助けよう」としてくれる精神であふれている。街を歩いていても、気軽に「どこから来たんだい?」と声をかけてくれる。

もちろんそれを装って、金目当てで寄ってくる人もいるが、それはどこでもあるものでしょう。


陽翔を案内してくれた中国人のLavendarもそうだし、

とにかく町全体が暖かい空気で包まれている気がする。

きっと、周りにこれだけ美しい景色が広がっていると、

人の心も自然と穏やかに、暖かくなるのかな、と思った。


少なくとも、自分は何人もの中国人の素敵な笑顔で、心が暖かく・穏やかになり、癒された。

言語や文化の壁がいくらあっても、「笑顔」だけは、どこでも人の心に通じるんだなと思った。





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陽翔 (Yangshuo)

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今は桂林(中国)の南に位置する陽翔という小さな町にいます。

実はマカオは、①フェリーが高い ②ギャンブルできないとそこまで楽しくない

ということをほかのバックパッカーが言っていたので、時間も限られていることから断念しました。

 

香港→深セン→広州→桂林→陽翔 と一気に20時間くらいかけて来ました。

 

実は広州の駅で、かなり恥ずかしいことをしてしまった。。。。

香港は英語が通じるため、それまでせっかく覚えた中国語を忘れかけてました。

中国で覚えたフレーズの中で、買い物をするときによく使うものがある。

「ドイシャオティエン?」=「いくらですか?」

「タイグァイラー」= 「それは高すぎる!」

 

ところが、香港ボケでこの二つを逆に覚えていた。

広州の駅の売店で、食料を買うときのこと。

 

ペットボトルの水を手にして、店員を見ては「これは高すぎる

次に、

カップ麺を手にとって、店員に向かって「これは高すぎる

次に、

トイレットペーパーを手にとって、「これは高すぎる

 

「じゃ、買うなよ!!」

って感じでこっちを見てきた。

なんかおかしいことを察知し、自分の過ちに気づき、赤面・・・

 

ところで、、、

 

ここの町は、山水画に見られる山と川の風光明媚な景色に包まれています。

文章で書くより、写真を見てください!

言葉では表現できないほどきれいです。山の頂上付近に霧がかかって、

いかにも仙人が出てきそうな風景は、今までの人生で見てきたなかで、

1位2位を争う絶景です。

 

 

ここの安宿では、JUSTIN(NEW ZEALAND、33歳)とMEGAN(AUSTRALIA、28歳)と3人部屋を借りることに。二人とも知識が豊富で、トリビアとへぇーが尽きることはない。

初日に、少し離れた小さな町を歩いていたら、中国人の女性に話しかけられて、「英語を練習したいから、私と話してくれるお返しに、この町を案内します」という。

最初は、「典型的な詐欺だなぁ」と思ったが、彼女は家に招待してくれて、お茶も出してくれた。

どうやら本気で英会話を練習したいらしい。JUSTINとMEGANと話し合い、彼女に頼むことにした。

 

これが僕たちの陽翔の体験を忘れられないものにしてくれた。

彼女は本当にいい人で、地元の人にしかわからない場所やレストランを案内してくれた。

今日も、川くだり(外国人なら400元くらいとられる)をしたのだが、友人を紹介してくれて、

格安(45元)で船に乗せてもらった。 川を下りながら見る景色は、一生忘れないと思う。

筆舌に尽くしがたいほど、すばらしかった。

 

 yangshou

 

もうひとつ、陽翔でいいことがあった。

かなり久しぶりに(上海以来)日本人に会った。

真由香さんと恵美さんは、北京に留学していて、バケーションでここに来ていた。

夜3人でビールを交わしながら、久しぶりの日本語での会話を楽しみ、気づいたら

少し酔っ払っていた。 夜の町の景色はとても落ち着くもので、

「やっぱり、やっぱり日本人と日本語で話すのが一番だぁ!」 と思った。

真由香さん、恵美さん見てますか?

あの時はほんとにありがとうございました☆

 

明日はJUSITINと一緒に桂林へバスで向かい、その後はそれから決めます。

月曜日には、ハノイ(ベトナム)行きの列車に乗ります。

 

 

香港 (Hong Kong)

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香港3日目です。


この街はとにかくすごいです。

地下鉄から上がって、安宿街に出ると、そこは黒人とインド人だらけの場所だった。

路上にはいかにも悪そうな人たちが横目でこっちを見てくる。

大きな路上は、観光客の外国人がたくさん歩いている。

ずっと中国で、自分と顔が似ている中国人に囲まれていたのが、

広州から電車でたった2時間程度できたところがこんなにも異なる人種と雰囲気を醸し出していたので、正直驚いた。

驚いたたというよりは、不安の気持ちの方がが強かった。

宿も、中国のユースホステルに比べて汚く、

居心地が悪い。


しかも、杭州の長距離移動以来、2日間ほど、誰ともまともに話していなかった。

(2日間で唯一話したのは、広州のホステルの受け付けの人と値段交渉をしたときくらい。

その時は、相手は断固と値段を譲らない。いろいろ説得しても無駄だったので、

相手が少しおばさんだったのを察知し、「ねー お願いーーねーねー」 と甘い顔をして、ねだったが、完全否定された。   < font size= 4>どうやら、まったく甘くなかったらしい。


それはどうでもよくて、


とにかく香港についてから寂しかった。

大都会を一人で歩き回るほど切ないことはないです・・・

お台場に一人で行くみたいな・・・


2日目も一人で観光するけど、とにかく寂しい。

日曜日だから、街は熱々のカップルばっかり

(中国の恋人たちは、結構平気で公共の場でイチャイチャするのです)

俺も、イチャイチャしてぇーー!!

イチャイチャさせてくれー

とクダラナイことを考えながら、日本においてきた彼女のことで頭がいっぱいになってました ・・・泣


香港の夜景を一望できる「頂上」という場所までケーブルカーで上り、夜景を待つ。

そこで、同じように一人で観光している人を見つけ、「友達みっけ!!」と思い、

話すきっかけを作るために、「写真撮ってくれますか?」と頼む。

撮ってくれた後に、


「ところで、どこから来たんですか?」


ベタベタなナンパのように会話を始める。

彼の名前はSTUART(BRITAIN、30歳)で、イギリスのTV会社に勤め、

出張で香港に来ていた。その日はOFFだったので、一人で観光していたらしい。

実は、彼も数年前にバックパッカーで、南米を旅したという。


下手なナンパから始まったのが、途中からお互いに意気投合してしまい、

香港の夜景が一望できるバーでビールを飲むことに。

会社の経費で落としてくれた。

STUART,ありがとう!


いろいろ話したが、

その中でも一番印象に残っていたものを紹介させてもらいます。


ビールを数杯飲んだ後、彼は急にこう切り出した。


「おまえは、運命を信じるか」と。


またベタな、質問だなぁ と思いながら、

「まだ若いからよくわからん」と返した。


彼はそこで、今の彼女に出会った経緯を話してくれた。

彼は、25歳のときに会社に辞表を提出し、南米に放流の旅に出ようと決意した。

コロンビアにある山の頂上で、今の彼女に会ったらしい。

頂上には数人しかいなかったらしいが、彼女を初めて見たときに


「ビビッ」

と来たらしい。

[英語では、Wooooooooow ] 

(目をでかくして顎をあげ、すこし体を後ろに反らしながらゆっくりと  笑)


そこで話し掛けたら、実は彼女はSTUARTの故郷の隣の町に住んでいるらしい。

その瞬間、この人と結婚しようと確信したらしい。

気がついたら、なんと地平線から太陽が昇っていた、と。



まぁ、少し誇張されていて、「ちょっとTV番組作りすぎじゃない!?」とは思ったけど、

STUARTがあまりにも嬉しそうに話してくれたので、自分もなぜか嬉しくなった。


二人で酔っ払って、店を出たころには、それまでビル街に立ち込めていた雲と霧も消え、

香港の夜景が僕たちを迎えてくれた。



香港の夜景は、最高です。

六本木とお台場、ごめん。

香港のKO勝ちです。


明日はマカオへ日帰りで行ってきます。

そのあとは、桂林へ行く予定です。





火車で27時間

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今は香港います。


昨日 杭州から列車に乗り、27時間かけて広州に着きました。

距離にすると仙台から福岡まで一気に行ったことになる。


中国の列車(中国語では、列車は「火車」)は、いろいろ悪い噂を聞いていた。

いろんな旅行記を読んでも、その大抵が中国の列車は「最悪だ」と酷評していた。


知ってる人も多いとは思うが、中国の列車には4種類の座席がある。


1 硬座  硬い座席

2 軟座  軟らかい座席

3 硬臥 硬い寝台

4 軟臥 軟らかい寝台


長距離の旅だったので、自分は3の硬臥にした。

どきどきしながら駅に行った。

子どものとき、初めて一人でJRの電車に乗ったときのことを思い出した 笑


中国の駅には、デカイ待合室がいくつかあり、そこで自分の電車に乗車するのを待つ。

乗車の時間が近づくと、それまで席でゆっくり食べていた人たちや、

トランプで遊んでいた人たちが、改札口に長蛇の列を作る。

すべて指定席なのに、なぜか、みんな「我こそ一番乗りだ!」といわんばかりに競争する。


自分はすいてから乗車した。

自分の寝台を探すのに、すこし梃子摺ったが、なんとか順調に乗れた。

一人で電車に乗れたYO!


自分の寝台を探すと、そこは三段のベッドがお互いを向き合うようにある。

思ったほど悪くない。

というよりも、きれいだ。

少なくとも自分が2年間住んだ大学の寮よりは、格段にきれいだ。笑



ベッドの間には机があり、冷房もきている。

ベッドには、シーツと枕が用意されている。

しかも、硬臥なのに、軟らかい。

これは快適な 旅になりそうだ。


中国の列車はとにかく気まぐれだ。

少なくとも場内アナウンスがまったくわからない自分にとっては、

駅でもないのに電車が30分も停車したり、

急に速くなったと思いきや、

「これ、自転車の方が早いんじゃないの?!」と思わせるほど徐行したりする理由が

よくわからない。


でも、室内は快適だし、ほかの5人もきさくな人たちだった。

ずっと読書に耽り、快適な27時間をすごした。



広州駅に到着し、降りた途端からこの町はいやな雰囲気だった。

目的の安宿を探したが、予約がないと、一泊100元だという。

100元?!(1500円)

杭州の宿は一泊35元だった。

高い・・・

このまま広州に一泊してから香港へ向かうこともできたが、

ここは一気に香港まで行くことにした。

広州は、あまり見るものがなさそうだ。

デッカイ商業都市で、楽しめそうなものを唯一あげるとしたら、広東料理だろう。

別に、いいや。


直行列車がなかったので、(というよりは、見つけられなかった)

深センまで行き、そこから香港へと歩いた。


生まれて初めて、歩いて国境を超えた。

(厳密には、香港は中国に返還されてから「国境」ではないが、

出国手続きと入国手続きは普通にある。)

歩いて渡る国境は、いかにも「旅してます」という感覚で、

ミーハーな自分は大満足 笑



今は香港のネットカフェにいる。

ここは、なんて街なんだ。


ぶっ飛んでる。


すでに数時間この街にいるが、何がなんだかわからないほど

とにかく「ぶっ飛んでる」。


香港には3、4日滞在する予定です。

整理してからまた、更新します。

いつも読んでくれているみなさん、ありがとうございます。

謝謝!



中国人 

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中国人。 


いろんな人たちに会ってきた。

一般の中国人は、えっ?!ってことを平気でやる。

電車の中で唾を吐き、エレベーターでタバコを吸い、バスの窓からごみを投げ捨てる。

店内で小便をしている小僧も発見した。(トイレの中じゃないよ)

とにかく声がでかく、電車やバスでは絶対に並ばず、割り込み合戦になる。


駅、観光地の近くではとにかく騙そうとする。

値段をふっかけるだけでなく、その商品を断った後に、わざと間違ったことを教えてくる。

(間違えて違うバスに乗るところだった) 

しかも1回だけではない。

値段をふっかけてくるのは、この国の文化だとは思うが、あえて間違ったことを教えてくるのはどうかと

思う。自国に来た観光客を助けようとする精神がまったく見れない・・・

日本で、外国人観光客が騙された話なんて聞いたことがない。

どうなってんだ、この国は!!


でも、驚くほど親切な人もいる。

杭州までのバスの中で知り合ったANGELAは、英語が話せて、

バスの中で90分ほど話した。

彼女は中国の生地をオーストラリアに売っている27歳の美人商人。

杭州についたあと、タクシーに乗っていっしょに宿まで連れてってくれた。

しかもタクシー代は全部出してくれた(自分の家とはまったく違う方向なのに)


あと、蘇州でいっしょだったSHIRELEYとJACKIEは二人とも、中国語や中国の便利情報を

丁寧に教えてくれた上に、豪華な夕食までご馳走してくれた。


上海であったカツさんは、蘇州の安宿やバスの情報を惜しみなく教えてくれた。

便利な中国語もいくつか学んだ。


みんなが共通して言うことは、「中国では、教育をしっかり受けた人たちと、

街中でみる一般の人たちでは、まるで文化が違う」よいうこと。

マナーのかけらもない人たちに対して、恥を感じると言っていた。


確かに、街中を歩くだけで、中国社会の2極化はひしひしと感じる。

しかも、上流層はごくわずかの人たちだという。


すこし話題がかわるが、中国人と話していると、必然的に政治の話になる。

いろんなテーマが話題にのぼる。


「小泉首相の靖国神社参拝」

「歴史教科書の問題」

「反日デモ」

ETC


彼らの言い分を聞くのは、本当に新鮮だ。


小泉の靖国神社参拝に関しては、中国人はまじで許せないらしい。

確かにその気持ちはわかる。

ただし、靖国神社には、戦犯だけでなく、若くして命を落とした無数の兵士の魂も

眠っていて、そして戦没者全員に敬意を払うために小泉は参拝しているのだと弁明すると、

「それは初耳だ、中国のメディアではそうは言っていない」という。

だとしても、それは納得できないという。

日本政府が過去に計17回も謝罪をしていることや、ODAで多大な援助をしていることも

一切知らない。

(別に俺は右翼じゃないよ☆)

メディアが、自国が有利になるように報道をするのはどこの国でも見られるが、

中国の場合は、プロパガンダだと言わざるを得ない。

中国のパソコンからは、BBCやCNNにはアクセスできないようになっているのも、

この氷山の一角だ。


今、ドミトリーの同じ部屋に、43歳の王さんという中国人がいる。

彼は朝から晩まで読書に耽っている。

そして、政治経済や文化の話が大好きだ。

少しでも俺がひまそうにしていると、話かけてくる。


昨日の夜は、「反日デモ」が話題にあがった。

俺は、「あれは日本人にとって、かなりショックでした」と伝えると、


「あれは、起こるべくして起きた」という。


その理由は、日本に対する不満の爆発よりも、経済的に苦しい人たちが社会に対する

不満を蓄積していて、その捌け口として「反日感情」が用意されているからだという。

反日デモに参加し、破壊的な行為をしたその大抵は低学歴の人で、

社会的にも地位が低く、社会に対して、政権に対して不満を感じている人たちだと王さんは言う。

王さん曰く、漢民族は、他人の幸福をすぐ妬む習性があるという。

そのため、下層にいる人たちは、日ごろから「経済発展の中国」についていけない不満が蓄積しているという。その蓄積の捌け口が、反日デモだという。

だから、気にするな という。


日本メディアが伝えていた同じ内容を、中国人の口から聞いたのは、驚きだった。

王さん一人の意見を一般化するのことはできないが、俺は納得した。


それにしても、中国と日本の間では、あまりにも誤解が多い。

ほかの国に比べて相対的に文化や言語が似ているこの2カ国が、

ここまで険悪なのは、悲しいことだ。


この旅を通して少し話しただけでも、自分も相手も、お互いが

無駄な争い、意地張りをしていることがわかった。

自分は、安易なパシフィストのつもりはないけど、

もっとこの2カ国が仲良くなればいいと心から思う。


明日は、広州へ向かう。

列車で23時間・・・


杭州はすばらしい場所でした。

(↓ 自分が撮った写真じゃないです。ネットからの引用です。)









蘇州 

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今は杭州にいます。


蘇州で4日間も過ごしてしまった。

それだけ魅力的な町だ。


マルコポーロも東方見聞録でこの町を「世界一きれいな町」と絶賛した。

中国では、「天有天堂、下有蘇杭」 「天上には極楽があるが、地には蘇州と杭州がある」


蘇州の町は、水と人と建物が共存していて、街並みや建物も上海に比べて格段に綺麗で、

過ごしやすい町だ。


1,2日目は、部屋が同じだった中国人のSHIRLEY(高学歴の中国人は、英語名を持っている)とADAM(BRITAIN)とJONNY(NEW ZEALAND)と4人で、町を観光した。

3人は南京の大学で英語の講師をしている。

蘇州には、清明代の大富豪が立てた私庭が今でも残っていて、それが李白の漢詩に出てきそうな

風景を残している。(時代は違うけど。)


また、町は運河に囲まれていて、あらゆるところに運河が通っている。

東洋のヴェニスと呼ばれる所以である。


中国人と一緒に観光すると本当に楽しい。

とにかくいろいろ解説してくれ、一人で旅するより情報量が豊富。

夜は、SHIRLEYの友達が町の有名なレストランに連れて行ってくれ、

いろいろおごってくれた。蘇州の料理はほんとにおいしかった。

特に、鯉の揚げ物は絶品だった。


3日目に3人は南京に帰ってしまったので、

一人で自転車を借りて、町を観光した。


中国は自転車だらけ。

しかも交通ルールは最悪。

自動車も自転車も歩行者も、とにかく自分のことしか考えていない。

自動車は巻き込み確認をしないから、本当に怖い。

自転車と歩行者は「轢くなら轢いてみろ」といわんばかりに、

堂々と赤信号を横断する。それに対して、車は必ずクラクションを鳴らす。

とにかく混乱状態だ。(蘇州はまだましだったけど、上海は最悪)


その中を自転車で走った。

自分の中には「インディジョーンズのテーマ曲」

何回か轢かれそうになったが、大学時代に鍛えたチャリ通の

技術がここで活きた 笑


宿に戻ったあとは、JAMES(IRISH)と中国の鍋を食べ、

旅の情報をいろいろ交換した。


なんか今回の記事は日記みたいになってしまった。

つまらなくてすみません。。。


杭州に2,3日滞在し、そのあとは広州に行きます。










蘇州 東洋のヴェニス 

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蘇州に来て3日目になります。

上海からバスでおよそ1時間半。

新しい町についたら、まずは宿探しから始まる。

あとは、現地のだいたいの物価を確認するためにコンビニに入る。


蘇州には、安宿がひとつしかないと聞いていた。

そのおよその場所と名前は、上海の安宿で知り合った中国人の友達に聞いていた。

ただ、およその場所だ。地図で、半径5CMくらいのエリア。


重いバックパックを背に、まずはこの丸で囲まれた場所へバスを乗り継いでいく。

だが、バス乗り場がわからない。

人に聞いても、蘇州は上海と違って、まったく英語が伝わらない・・・

こりゃ、苦労しそうだ。

しかも、

中国はバス路線が無数にあって、どこで何にのればいいかわからないのと、

路線の番号がわかったとしても、その路線のバス停が見つからない。


「まっいっか」


と思い、とりあえず市内に向かっているバスに乗る。

そのバスはすいていたので、バスの運転手に、地図をみせて指で指し、

「俺、ここ、俺、ここ」

とジェスチャーをする。

運転手はうなずく。


「これで、乗り換える(降りる)時になったら教えてくれるだろう」


その運転手はいい人だった。

バスがと停まると、振り向いて、俺にすごい勢いで何かを言ってきた。

「降りろー いまだー」

と俺は解釈し、降りると確かに宿の方面に行くバスに乗り換える場所が近くにあった。


乗り換えて新しいバスに乗れたはいいが、これが日本の通勤ラッシュ以上に込んでいる。

汗だくだくの自分は、汗だくだくの中国人たちとひとつのバスにギュウギュウ詰め。

今回は、どこで降りるかは自分で判断しないといけない。(←おれ、何歳だよ!!)

しかし、人海に溺れて窓の外が見れず、現在地がまったくわからない。


なんとかして、降りる場所が次だとわかった。

駅が停車して降りようとしたときに、すごいことに気づいた。


降車口は後ろ。

俺は前の方。

その間にtoo many chinese

スクラムを組むように、後ろのほうに進んでいったが、無常にもドアは閉まる。

プシュー。

最悪。。。


でも次のバス停で何とか降り、地図のみを頼りにして歩き出した。

この日の蘇州の最高気温は33度。

背中にはバックパック。

かなり歩いたが、宿が見つからない。。。

しょうがないので、近くの別のホテルに入り、場所を聞いてみる。

筆談で、ホステルの名前を紙に書き、中国語の「なーりー」(どこ?)を連発する。

ホテルの人も連発する。


「没有、没有」(メイヨー、メイヨー)

そんな宿なんて存在しないという。


えっ?!

信じたくなかったので、違う人に聞いてみよう。

今度は地元の人が集まりそうな店に入り、同じことをするが、ここでも「メーヨー」を連発される。


歩き疲れ、汗だくだくになっている自分には、この中国語が、

「ねぇよ!、ねぇよ!」に聞こえてしょうがなく、だんだん焦燥感が募る。

しょうがない、じゃほかの安宿を探すことにしよう。


「安宿」と書き、「ナーリー」といって、安宿の場所を聞いた。

「招待所」が近くにあるという。一泊500円くらいだという。

重い腰を上げ、そこまで歩き、確かに「招待所」を発見した。


「房(部屋) 有?」 と筆談。

そしたら、

「外国人 不可」のような内容の中国語を書かれた。


俺はそのとき思い出した。

中国でいう「招待所」は、中国人しか泊めることが法律で許されていないということをどこかで読んだことを。

疲れ果てていたのと、暑さで頭がおかしくなったせいか、いちかばちかだと思い、ノートに以下のように書いてみせた。


「我 中国人」


大爆笑。


周りに珍しがって数人集まっていたが、みんなが俺に指差して、

「おまえ、面白いなっ」と笑い飛ばした。


周囲を笑わせてなぜか気分がいい自分は、

とりあえず大きい通りに戻ることにした。


あまりにも疲れ果てていたので、路上に座り込んでいると、

道路の反対側に金髪の女が歩いている。


「チャンスだっ!!」

と思い、轢かれ(not 惹かれ)そうにながら道路を渡る。

(別に欲求不満とかじゃないよ☆)

きっと彼女もバックパッカーだ。


彼女に英語で話しかけた。

どこに泊まっているかと聞いたら、自分の目的の宿に泊まっているという。


救われた。


彼女がバックパッカーっぽい格好をしていたので、容易に推理ができた。

彼女は、ロシアからシベリア鉄道を経て、ここまできたという。

一緒に宿へ行き、数時間にも及ぶ宿探しは終わった。
こうして蘇州の一日目は終わった。







上海 New and Old

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今日も歩きまくった。

まずは、川を渡って浦東エリアへ地下鉄で行った。

ここは、外資系会社などのビルが林立する上海のビジネス街だ。

「上海の大手町」といったところか。

世紀大道という大きな道には、大手町と変わらないほど大きくて立派なビルが並ぶ。

しかし、2つほどブロックが外れると、新しいビルの建設が急ピッチで進められているようだ。 よく中国の経済が加熱していると新聞でよく読むが、この光景はまさにそれを感じさせる。

 

上海にはいろんな顔があるみたいだ。

近代国際都市上海を印象づける場所からすこし離れただけで、

それとは無縁な場所を感じる。

そこは、狭い道に住宅地が密集し、悪臭が漂う。

路上にはおっさんがぼーと何かを眺めるように座っている。

これもまた上海の顔みたいだ。

一方で近代化、市場化、国際化が急に進められている背後には、

その勢いや流れに置いていかれている人たちがたくさんいるいたいだ。

いや、もしかしたら、彼らは、そのような変化を望んでいないのかもしれない。

 

それにしても、上海の街は大気汚染がひどい。

晴れているのに、スモッグのせいで、あまり遠くまで見えない。。。

そしてまだ2日だというのに、喉が痛い。

この汚染もまた、急ピッチに進んだ都市化に、環境が対応できていない印象を受けた。

ちなみに今日の上海の最高気温は34度。

暑い。




温度といえば、今日町中を歩いていて、Jewerly Shop を見つけた。

その名も、

 

「7度C」

 

東京にある有名な「4度C」の店のパクリだ。

でも、今日の最高気温は34。

上海は鹿児島と同じ緯度。

なるほど、そりゃ3度高くなるわ。

と、変に納得して歩き続けた。

 

明日は午前中にぶらぶらして、午後には水郷の蘇州に行こうかと思う。