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   ◆◆◆コンパスポイント 第1回勉強会◆◆◆
        若手社会人のための勉強会

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若手社会人が「志」をキープするための勉強会、「コンパスポイ
ント」が始動します。

記念すべき第1回は、ビジネス性の高いアプローチで国際協力
に取り組む「かものはしプロジェクト」共同代表の本木さんを迎え、
本木さんが起業に踏み切った経緯や団体の活動たや課題につ
いてお話を伺います。


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┃ ■概要
┃ ■内容
┃ ■参加申し込み
┃ ■コンパスポイントとは
┃ ■お問い合わせ
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

■概要
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□日時:  2008年1月26日(土) 14:30~16;30(勉強会)

                    17:00~19:00(懇親会)

□ゲスト: NPO法人かものはしプロジェクト  共同代表 本木恵介さん

□場所: 勉強会;NPO法人かものはしプロジェクトオフィス
京王井の頭線神泉駅より徒歩3分
      京王井の頭線渋谷駅西口より徒歩7分
      http://www.kamonohashi-project.net/about/access/

       懇親会;渋谷(場所はまだ未定。)

□参加費: 無料 (懇親会は3,000円程度)


■内容
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□目的
熱い志を持った若手社会人の情熱の源泉、コンパスポイント、
記念すべき第一回会合は、カンボジアにおける児童の売春問
題の解決のため、児童買春の対象となることの多い、農村や
孤児院の子供を対象に職業訓練と就労機会の提供を行う活動
をしている、NPO法人かものはしプロジェクト代表の本木恵介
さんにお話を伺います。

●本木さんがどうしてカンボジアの児童買春問題に関心を
  持ち、数ある進路の中から今の進路を選択したのか。
●現在のかものはしプロジェクトの活動内容、そして現在の
  課題と今後の展望。

といった点について話を伺い、後半はそれに基づいて議論を
したいと考えています。


□NPO法人かものはしプロジェクトとは…

「カンボジアでは、10代の子供が強制的に売春宿で働かされて
います。時にはドラッグ漬けにされ、強制的に働かされます。
タイやマレーシアへの人身売買も後を絶ちません。
子どもたちは、HIV/AIDSに感染し、精神的・肉体的に被害を受け
ます。人権を侵害する深刻な問題です。」
(かものはしプロジェクト HPより抜粋)

児童買春の背景には、その児童の帰属する家庭の貧困問題が
あります。児童買春の解決には、その児童が売春につながる
出稼ぎに行かなくとも収入を得られるような仕組みの構築が必要
なのではないか-。

(団体HP→http://www.kamonohashi-project.net/index.php


■申込方法
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ご参加いただける方は、下記の返信フォームにご記入の上、
1月23日(水)までにcompasspoint2008@gmail ドットコム宛にご返信願います。

①お名前(ふりがな):
②所属(会社・団体・学校など):
③電話番号:
④メールアドレス:
⑤参加ご希望(両方とも参加/勉強会のみ参加/懇親会のみ参加)
⑥ご自身が興味を持っている分野
⑦将来の夢、目標(漠然としたもので結構です。)
⑧今回の会合で講師に対して聞いてみたいこと。


■コンパスポイントとは
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「先駆者から刺激を受ける機会」と「仲間同士で交流の機会」の
提供を通じ、若手社会人が「胸に秘めた志(=コンパスポイント)」
を失わずに、行動へと移すことのサポートするコミュニティです。

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極端が極端を生む

テーマ:

上の写真を変えてみました。

ベトナムのハロン湾の写真です。

きれいだったなぁ・・・




最近、アメリカ政府が中国にインターネット上での検閲を強く批判していますね。

中国では、例えばGoogleのサイトで、「台湾独立」 「チベット独立」などの

反政府的なキーワードを検索しても、それに関するHPはいっさい見れないように

政府が取り締まっているのです。


恐ろしい世界です。。。



旅してて、メディアについて考えさせられる機会が、意外にも多かったです。

それを最も考えさせられたのが、中国とイスラム圏でした。


まずは中国で感じたこと。。。

それは恐ろしいほど、国がメディアと教育をいじっていて、

国民に与えれる情報の質と量が、あまりにも悪い・少ないこと。


George Orwellの著作 「1984年」 の中に、

社会主義を強烈に風刺した一節があります。


「現在を制したものは、過去を制する。

過去を制したものは、未来も制する。」


現時点で権力を持っているものは、

過去(歴史)を好きなように変える力があって、

それができれば、将来も権力を維持できる。


そういった解釈でしょう。


これを約6億人規模で、実現してしまっているのが

中国で、全く恐ろしい国だと思った。


イスラムでもプロパガンダの強い力を感じたと言わざるを得ない。

イランやシリアで感じた。

特にイランは、「反米」 「反イスラエル」の色に染まっていた。


ただし、

イスラム圏の人々と議論を重ねるごとに、

彼らの主張にも、正当性はあると思うことがしばしばあった。


歪んだメディアに遭遇するたびに、その極端な表現に驚いた。


でも、ふと思ったのが、「極端が極端を生む」ということ。

一つの極端が創られると、それに対抗する形で、もう一つの極端が生まれるということ。

「歴史は繰り返す」というけど、それはまさに、この極端VS極端の構図が

サイクルとしてリピートされるからだと思う。


左翼があるから右翼があるように、

これらの国の極端な報道の背景には、一方で対極があるのだと考えるようになった。


その対極にあるものはナンだろう?


って考えると、やっぱ
それが 「西欧型」 のメディアなのだと思う。

少なくともその一部。


そして、今まで自分が「西欧側」の主張・意見にどっぷり漬かっていたことも

痛感させられた。 特に、アメリカで育った自分は。


そういうことを感じながら、帰国した。


日本でのメディア。


日本に帰国してからはや2ヶ月。


日本のメディアは偏っているのかな!?

そんな疑問を抱きながら、TVなどを見ている。


驚くほどアメリカの影響を感じてしまう。


最近TVを見てて、「これはずるい!」と思ったことがある。

最近世界中で問題になっている、ムハンマドの風刺画搭載に対するイスラム教徒の暴動。

これを報道すること自体は問題ないはずだが、

その報道の仕方は、間違いないく日本の人に、

「ムスリム=危ない」というイメージを助長するようなものだ。


そして何より「おかしい」と感じたのが、暴動化するムスリムの映像を流したこのニュースの直後に、

「イランの核開発問題」を報じること。

不思議なことに、この二つのニュースを報じるときは、かなり高い確率で、

連続して流している。


本来なら、この2つのニュースは、全く独立したものであるはずだが、

連続して放映することで、 「イスラム」という枠で2つのニュースが

視聴者の中では、関連付けされてしまう。

その結果、「ムスリム」 「暴動化」 「イラン」 「核開発」 というキーワードが

視聴者の中で一くくりになってしまい、間違ったイメージが植えつけられてしまう。

そしてこのやり方は、アメリカの放送局がいつもやっていることだ。

特に、FOXテレビ。


作為があるのかどうかは分からないが、

少なくとも日本にいても、間違ったイメージというのを、

植え付けられているのだと思った。


その証拠として、旅していて、


「今までTVで見てきたことは、一体何だったんだろう!?」


と思わされることが、旅中に多かった。


最終的に、考えた一つのこと・・・


それは、結局は自分の足を動かして、現地の人に話して

「生の声」を聞かない限り、何も分からないということ。

そういうことをして、初めて判断が下せるのだということ。


次は、、、

ちょっとテーマを変えて、、、


旅先で会った印象的だった人を紹介したいと思います。


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人間くせぇ

テーマ:

1ヶ月以上更新していませんでした・・・


旅が終わり、刺激が少ない毎日が続くようで、

何かどうしようもない脱力感と虚無感から、

はりがない毎日を過ごしていました・・・


ここから気分一転、記事を書きます。


日本に帰国して1ヶ月以上が経ち、

ますます気づくことがる。


日本とアジア諸国との違い・・・
というよりは、先進国と途上国との違いといったほうが適切だと思う。

旅した国全般にいえるのが、


人と人の距離がとても近いということ。

人と人が「人間らしく」付き合っている気がした。


現地の人は他人同士でも気軽に話しかけるし、
とにかく人と人のつながりを大切にしているなぁと感じた場面が多かった。


例えば、イランで乗りあいタクシーに乗っていたときのこと。

交通量もそこそこの街のド真ん中にあるロータリーにて。
異なる車線からロータリーに入ってきた車の運転手が、
自分が乗っている車の運転手と知り合いだったらしい。


互いに、クラクションで合図し、車が並列すると、
車を停止させ、窓越しに話を始める。
内容は、わからない。
でも、表情やジェスチャーから大体が予想がつく。


「やー、久しぶりだね」

「おい、元気か?」

「最近、どうだ?」


といった、挨拶代わりの世間話だ。

ロータリーの車の流れを、二台の車が遮ってしまっている。

後ろの車からは、クラクションの嵐。


それでも、二人は笑顔で時には大笑いをしながら、しばらく話をしていた。

一分くらい会話した後、車はそれぞれ違う方向へ発進した。


「なんて迷惑行為だろう。」


日本では、この行動は様々な側面から考えて、ありえない。


まずは、交通渋滞を引きおこすこと。
他の車両に迷惑をかけてしまうこと。

それに、客を乗せているのだから、
車を止めて世間話なんて一体どういうつもりだっ! となるだろう


でも考えてみると、


なんて人間らしいのだろう?


知り合いがいれば、挨拶を交わし、世間話でもするのが当然といえば当然なわけなのだ。
人と人のつながりを大切にしているところが、自分は素敵だと思った。


サービスの供給者である「運転手」という役割より、
「友人」というより人間くさい役割が優先されている。

彼は、運転手である前に、彼の友達なのだ。



途上国では、モノを買うのにも、必ず人と接する。
日本のように自販機がどこにでもあるわけでもなく、
コンビニやスーパーのようにシステム化されているわけではないからだ。

モノを買うには、常に交渉する。

現地人も、当然、店員とよく話す。

そこには、人間と人間のふれあいがあり、
時には喧嘩にもなるが、たいていは、挨拶から始まり、
天気の話でもし、それでようやく、モノと代金の交換がされる。


とっても人間くさい。


日本はどうだろう。

モノをカウンターに置く。
バーコードで、値段が表示される。
払う。


ほとんどの場合は、店員といっさいのかかわりを持たない。

それは、その場が極端に言えば、「売るヒト」「買うヒト」の関係に過ぎないから。

システム化、合理化されたその取引には、「挨拶」や「世間話」は無用なものなので、
あるのは、機械的な「いらっしゃいませー」くらいだ。

人間らしくない。


日本(先進国)では、「人間としての役割」よりも、
むしろ「役割としての人間」の方が優先されている気がしてならない。

人間が、人間らしくない。

そのせいもあるのか、
人と人のつながりが、どんどん希薄になっている気がする。

帰国して驚愕したのが、連日のように報道された小学生殺害・誘拐事件。
去年には、少女監禁事件などもあった。


日本は、病んでいるのではないかと、心が痛むニュースがたくさんある。


日本人の大半が危険だろうと誤解している中東では、
このような弱者を狙った犯罪はまずないらしい。
窃盗でさえ、少ないという。それはもちろん強い宗教倫理に支えられているからなのだろうが、
それだけではないと感じた。

それは日ごろから、人と人が人間らしく接していて、その中で正常な心が養われているからだと思う。

それこそが極めて人間臭い心なんだろうと思う。

日本の最近の病理的な事件を見ていると、合理化・都市化の代償として何かが失われ、
何かが歪められたような感じがしてならない。


もちろん、合理化・都市化された生活に文句を言うのではない。

この生活に慣れた僕たちは、なんだかんだいってこれが一番快適で、

楽なのだから。


ただ、旅で、その対極と言えるべき世界を見てきて、そこには、

日本ではなかなか見つけることのできない「よさ」がたかさんあるのだなと

感じたのでした。


次のテーマは、、、メディアについて書きたいと思います。




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更新が遅れてます、すみません。。。


カイロについて書きます。

カイロは、エジプトの首都で、ここのすぐ近くにあるのがギザという町。


このギザには、アレがあります。

そうです、エジプトといえば、アレ

4500年前から世界の盛衰を見てきたアレ


旅も終盤を向かえ、アレを見たら、もう旅も終わらせて、帰ろうと決心していた。


そのアレとは、、、







↑ スフィンクスの目の前にあるKFC





じゃなくて、、、、





もちろん、





です。


写真で見るとあまりその大きさが伝わらないけど、
一つ一つのブロックの大きさには圧倒されます。



でかっ。



ピラミッドがいかにすごいか、、、


最大のクフ王のピラミッドは、平均約2.5トンの石を230万個積み上げて
造れられ、基底部には、15トンを越える石が使われているらしい。


内部の部屋が重力で押しつぶされないよう、重力軽減の空間
あらゆる場所に設け、重力からくる圧力を拡散させたらしい。


しかも3個並ぶピラミッド全てが、そのそれぞれの側面が、
東西南北に向いて、一寸の狂いもないらしいのだ。



さらに、3個のピラミッドの位置関係は、
オリオン座のベルトの3つの星と全く同じ位置関係にあるという。


さらに、、、
ピラミッド建設は、従来は、強制労働で造らせていたという説があったが、
今では、「社会事業説」が有力で、すなわち、ナイル川の氾濫期に
仕事がない人々の雇用創出のために行われた
というのだから、
たまげたもんだ。


らくだも、びっくり。





だって、4500年前だもん!

日本人が、せっせと縄文土器を作っていたころ、
エジプトでは、国家規模の社会事業が行われていた。


当時としては、エジプトは間違いなく、「世界最先進国」であり、経済大国であった。
最新の農業・建築技術、食文化、軍術、etc・・・

日本は当時から考えると、途上国どころか、

毛皮に身をつつんだ人たちがいる「未開の地」だ。


そして、歴史を、1000年単位という長い目で見てみる。


日本は、現在は世界第2位の経済大国。
エジプトは、途上国にあたる。


エジプトの主な産業は観光産業で、皮肉にも、
現代のエジプト経済は、4500年も前の遺産に頼っている。


世界&歴史最高峰の建築物を目の当たりにしながら、
皮肉にも、あの一説をふと思い出した。


祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す。
奢れる人も久しからず、只春の夜の夢の如し、
猛き者も終には亡ぬ、偏に風之の前の塵に同じ・・・・


4500年以上にも及ぶ世界の盛衰を、
このピラミッドとスフィンクスは見てきたと考えると、
自分がピラミッドを見ているはずなのに、
何かピラミッドに、ジーと洞察されている気になった。



ピラミッドは、今まで何人の人たちを見てきたのだろう。
そして、これから一体何を見るのだろう。



ピラミッド周辺をひたすら歩いていると、日が沈み始めた。




ピラミッドの背景に落ちる夕日を見て、思った。


そろそろ、帰ろう。

日本に、帰ろう。



それにしても、長かった。
約6ヶ月、13カ国にわたる旅は、ピラミッドを見て、終わりを迎えた。

エジプトの果てしなく続く砂漠の地平線に沈んでいく夕日が、
旅の終わりと重なるようで、感慨深かった。


俺は、この旅で何を得たんだろう?


多すぎてまだ整理できていないのが、正直なところ。


日本で、ゆっくり考えたいと思っている。

よって、日本に帰国してからでも、このブログに、
自分の感じたこと、見てきたことを整理して書いていこうと思う。

なぜなら、頻繁に更新してきたつもりでも、自分が感じたことの氷山の一角しか、
ここでは表現できなかった。

その残りの部分を、ここで紹介していければいいな思う。


ここまで読んでくださった方には本当に感謝しています。

旅先で見る、みなさんのコメントは、とても嬉しかったです。
そして、なんか予想外にいろんな方が読んで下さっているようで、びっくりです。
(たとえば、後輩のご両親とか・・・ 笑)

でも、これからもしばらくは、旅の後記ということで続けるので、
よろしくお願いします!


みなさんのコメント待ってます!!
コメントできなかった方も、ぜひコメントしてください!




↓ おまけの写真


   お兄さんがピラミッド見たいといって、

   弟が、土台になってあげている。

   微笑ましい一枚。


      

  



しばらく、更新をサボっていました・・・ すみません m(_)m

ルクソールの観光を終え、カイロにやってきました。



ルクソールについて、書きます。


突然ですが、みなさんは 

「ツタンカーメンの呪い」

というものを知っていますか?

ツタンカーメンとは、エジプト新王国時代(約3400年前!)の人物です。
彼は9歳ににして王に君臨したが、18歳で死んでしまい、歴史から姿を消した。
それには毒殺説や暗殺説がある。

彼の墓は、盗掘から逃れ、1922年に、ハワードカーターの発掘チームによって、
発見された。

盗掘を免れたこの墓には、多くの財宝が眠っていた。

しかし、ここからが、興味深い。

実は、この発掘調査にあたった人たちが、(ハワードカーターも含め)
発掘後に次々と死んでいったのだ。

なぞの病気や、事故死・・・

発掘・調査に携わった人たちが、次々と謎の死を遂げていった・・・


これが ツタンカーメンの呪い  である。


ルクソールといえば、このツタンカーメンの墓がある。


彼だけではない。

エジプトの歴史を飾った数々の王の墓がここにある。

「王家の谷」と言われる所以だ。

その王家の谷に、行ってきた。

従来なら、ここはタクシーなどをチャーターして観光するのだが、

とにかく貧乏旅行・・・

タクシーを使わずに自力で周ることに。

エジプトは、気温が余裕で30度を超えます。

けっこーーキツかったぁ。

まずは、ハトシェプスト女王葬祭殿。

奥に見える建物がそう。

崖を削って作った建物です。

その規模の大きさに絶句。



上の写真の崖を登って越えると、そこの下には王家の谷が。



って簡単に書いたけど、あの崖を登るのが、かなりハードだった・・・


行くのが大変な場所に作られたのには、理由がある。

それは、歴代の王様が、自分の墓の盗掘を恐れ、

誰も行かないような場所に隠して作ったからだ。

道理で歩いていくのが大変なのだ。


墓の中は写真撮影禁止なので残念ながらここでは紹介できないが、

墓の内部は色彩豊かな壁画がたくさんあり、


とにかく 


まぁ よく3000年以上前のものがここまでよく残っているなぁー 


という感じです。



数々の墓を見物した後、

ここからは、ナイル川を渡って、反対側にある神殿をなどを周ることにした。


歩くのがメンドクサイので、、、


ここで得意のヒッチハイク!!

ロバの「馬車」(なんていうの?)に乗っているオッサンが通ったので、


「頼む!」


と頼んだら、快く乗せてくれた。

目的地が一緒だったので、最後まで乗せてもらうことに。




ラッキー☆  


このロバ、暑いのに頑張るなぁ・・・

休憩中に、落ちている草などをプレゼント。


むしゃむしゃ。



そんなこんなでロバの旅を楽しんでいたら、、、、


事件が起きた。


警察に止められた。

オッサンが、警察にこっち来いといわれ、自分も不安そうについていく。

何か大声でオッサンが怒鳴られはじめる。

終いには、身分証明書を警察に取られたようだ。

彼は、しょんぼりした顔で戻ってきた。


何が起きたのかさっぱり分からず、とりあえず

警察のところへ何が起きたのか聞きに行った。

そこにいた警察官は、何か顔を真っ赤にして興奮している様子だった。

英語で話しかけるが、通じないので、英語を話せる警察官を呼んできてもらう。


状況を説明してもらった。

どうやら、こういうことだった。


警察は、俺を乗せたオッサンの馬車を発見し、

彼が、俺を何か騙して乗せて、どこかに連れて行くのだと勘違いしたらしい。

というのも、本来なら観光客を乗せるには、たとえばタクシーの運転手などは

「観光客を乗せてもいい」という許可証を持っているはずだからだ。

観光客に、安全なサービスを提供するためだ。


警察の目には、俺が


「ロバの馬車に乗っている騙されたアホな観光客」


に映ったに違いない・・・

そういう理由で、警察はオッサンを疑ったらしい。


オッサンは、「ヒッチハイクで乗せたんだ」 といっても警察は聞いてくれなかったらしく、

彼の身分証明証をとりあげたらしい。


警察が誤解してしまうのも、分からなくはない。

というのも、観光客の安全を守るというのも彼らの業務だし、

現に、観光客を騙して、どこかへ連れて行ってしまうという事件はよくあるらしい。


自分のせいで、このオッサンに迷惑かけたら、最悪だぁと思いながら、

誤解を解くために、

「自分が、自から「乗せてくれ」と頼んだ」 こと、

「このオッサンは悪人ではない、むしろいいヒトだ」ということを、

必死になって説明した。


警察は、最後は俺の言葉を信じてくれ、証明証を彼に返却した。

しかし、オッサンは、親切なことをしたのに疑われたというショックが大きかったらしく、

しょんぼりして帰ってしまった・・・


なんか、すごい悪いことをしてしまったような気がした。。。


やたらめったらヒッチハイクで移動するのも、

迷惑だなと反省・・・

それにしてもオッサンには悪いことをしてしまった・・・


すっかり自分を中心に考えてしまっていた・・・

オッサン、ごめん。


少し落ち込んだ自分を、ナイル川の夕焼けが励ましてくれた。

本当に美しい景色だった。



すっかり暗くなり、ライトアップされたルクソール神殿を見に行くことに。

白い長い塔のようなものは、「オベリスク」というもの。

本来は2本あるのだが、もう一本は、なんとパリのコンコルド広場にある。

フランス人がパクって行った。



↓ 壁画に残るヒエログリフ(エジプト人の文字)






翌日には、カルナック神殿へ。

3000年以上も前によくこんなものを建てたなぁ


と関心するしかないです、ホントに。

とにかくその大きさに圧倒される。

クレーンがない時代に、どうやってこれを建てたんだ??

と首をかしげながら、笑うしかないです。

感動の連続です。



次の記事は、いよいよピラミッドの登場です!!

乞うご期待!!


ダハブ 紅海

テーマ:

今は、紅海沖の町、ダハブに居ます。



ここは、海がとってもとってもきれい。

ダイビングをする人にとっては、ここは聖地らしい。



砂浜がないので、数メートル泳げば、急に深くなり、

そこにサンゴ礁や熱帯魚などが見れるのが特徴だ。

透明度は、タイのピピ島以上によく、

普通に泳いでいるだけでも、様々な種類の魚を見ることができた。



ゴーグルから覗く海底の世界は、なんとも不思議。

見たこともないような魚たちが、サンゴ礁と戯れている。

あるいは、わずか数センチしかない魚の群れが、

太陽の光を反射させ、ネオンサインのように輝いている。



ダハブが、人気を集めているのは、ダイビングやその海のきれいさだけではない。

ここは、とにかく、時間がゆっくり。

現地の人たちも、とってもイージーゴーイング。

怠けているように見えて、常にリラックスしている感じ。

ここで、数ヶ月滞在している旅人にも会った。


かなりのスピードでヨルダンを駆け抜けてきたのと、

「中東」の潜在的な緊張感から、

心身ともに疲れていた。

ここでこの雰囲気に溺れて、疲れをとることにした。


時計を外し、海をのんびりと眺めながら、

日記を書いたり、本を読んだり、シーシャ(水パイプ)を吸ったり・・・

なかなか「無意義」な、そして贅沢な時間を過ごした。



海辺でのんびり過ごしていたら、

子供たちがやってきた。

サーフボードで遊び始めた。



何をして遊ぶのかと見ていたら、

なかなか面白いことをはじめた。


2人が、お互いを見合うような形でサーフボードの両端にうつ伏せに寝る。

第三者の声を合図に、とにかく腕で漕ぎまくる。





漕いで、


漕いで、


漕ぐ。



力があるほうが、徐々にサーフボードを進めていく。


ある一定のラインを超えたら、ゲームは終了、

ラインを超えさせた人が勝ち。


なんとも、単純なゲームだ。


このゲームには、説明書もない、

AボタンもBボタンもない、

バーチャルな世界もない。


体当たりで

ただひたすら漕ぎまくる。笑


やっぱ子供はこうでなくちゃなー。


子供たちは、このゲームに夢中になり、

1時間以上も飽きることなく、熱中した。

しまいには、一度も勝てなかった奴が泣き出すくらい・・・


単純なゲームに熱中する子供たちの無邪気な笑顔には、

こっちも思わず笑顔になってしまう。


いいなぁ、こんなのも。

ここの夕日は、とりわけきれいだった。



次は、王家の谷があるルクソールという場所です。



死海  &  ぺトラ遺跡

テーマ:

この旅、12カ国目、JORDANにいます。

冗談ではないです、ヨルダンです。

先月テロがあったアンマンは、いたって平和。

ヨルダンは、中東で一番平和な国と言われているくらい。

夜の渋谷より絶対安全な気がする。

アンマンから、車で行くこと約1時間。

死海  へ行ってきた。

死海は、塩分濃度がなんと27%。

生物がすめないことから、この名前になった。

ちなみに、ここは世界でもっとも低い地点。

この旅で、世界最高点(エベレスト)と世界最低点を見たことになる。

塩分の濃度から、浮力が強い。

ってことで、

死海といえば、やっぱこれでしょ!!

えーと、まずはテレビ欄から。

(このためにわざわざ新聞を購入 笑)

死海の水は、しょっぱい という言葉では表せないほど、塩辛い。

目に入ったときには大変大変。

ものすごい浮力で支えられているあの感覚は、

実に変な感じです。

体験したい人は、大量の27%塩水作って、

風呂に入れてみてください。

次は、死海の泥で全身パック。

肌すべすべ。

一緒に死海へ行ったパキスタン人のヘター。





死海を満喫した翌日は、ヨルダン南にあるぺトラ遺跡を観光。

ここは、後半の旅のハイライトのひとつ。

前日からまじ興奮。

あの「インディ ジョーンズ」「最後の聖戦」が撮影された場所で有名です。

そういうのに、弱いんです、俺。

ぺトラ・・・・

すごいです。

本当にすごい時って、「すごい」 としか表現できない。

俺の貧弱な語彙力だと・・・

ぺトラは、俺にとって、アンコールワットと超える遺跡だった。

狭い岩の切れ目を頭上には、100mほどの高さの崖が迫ってくる。


そこを抜けると、、、、




ドーーン と神殿が顔を現す。




あまりの大きさに圧倒される。

しかも太陽光の当たり具合で、色が刻々と変化する。

言葉でもいってもまったく通じないのが、残念です・・・

ぺトラ遺跡群は、これだけじゃなくて、かなり広い範囲にわたって

さまざまな種類の遺跡が散らばっている。




全部歩いてまわったので、10km以上歩いた気がする。

めちゃ つかれたぁ。



遺跡を見ると、それを作った人たちや、

その当時の生活を想像するのが楽しい。

長距離移動で鍛えた妄想を最大限に働かせ、

当時のことを想像すると、感動が2,3倍になる。

このぺトラ遺跡を造った人たちは、本当にすっげーよ。

みなさんも、死ぬまでには、是非ここに足を運んでくださいね。

ってことで、

これからこの旅最後の国、エジプトに向かう。

この旅で11カ国を旅してきたのだが、

まずシリアに入って目に付いたのが、そのゴミの多さ。

同地域のトルコやイランに比べて、格段に汚い。

バスで走っていても、幹線道路沿いにはゴミの山が景観を害しているし、街はゴミによってその魅力を半減させてしまっている。

シリア人の多くは、ポイ捨てをすることに対して一切の罪悪感がないようで、街並みには吸殻などのゴミが無数に落ちている。

街を歩いていると、ゴミが放つ悪臭に思わず嫌気がさしてしまうことも少なくない。


大地は、パートナーのマサ君とタクヤ君とともに環境教育の活動に従事しており、その一環として、ダマスカス市内の公園でゴミ拾いが開催された。現地の子供を中心ターゲットに、ゴミ拾いだけでなく、紙芝居などを通じて「ゴミを減らすことの大切さを伝える」ことが目的だった。


↑  段取りを説明する大地


事前の入念な告知活動の結果、当日は180人ほど集まり、大規模なゴミ拾いが行われた。

参加者は主に、公園にいた人たち、政府の清掃局職員、ダマスカス大学の学生、JICAの職員、他の協力隊員参加者であった。

参加者は、特に子供たちは、精力的に、かつ楽しくゴミを拾っていた。

中でも、印象的だったのが、公園にいた物乞いの子供が、他の子供たちを見習って、ゴミ拾いをはじめたことだった。「誰かがやりだせば、他もやりだす」そういった希望を3人に持たせてくれる力強い光景だった。


このゴミ拾いを再現性、持続性のあるものにするのが彼らの目的の一つであり、そのためにあらゆる工夫がなされた。

例えば、

ゴミ拾いに参加した者にはスタンプカードを配布し、参加回数が増えるにしたがって、商品がもらえる仕組みを導入した。

その他にも、「ポイ捨てはいけない」ことを学習させるために、ゴミ拾い後に参加者に飴を配り、それを捨てる行為まで見届けたことがあげられる。その際に、迂闊にポイ捨てをした人に、参加者からの非難が集中したことが、このイベントの効果を象徴していた。


活動を見学させていただいて思ったのが、

その活動が実に地味で、根気と情熱が必要だということ。

ゴミをポイ捨てしてはいけないこと、ゴミを減らすことの重要性。

こういった、日本では当たり前の常識を、それに関しておそらくほとんど興味がない人たちに普及させることの難しさを痛感した。

それでもなお、この問題を「環境教育」という切り口で地道に、

そして強かにタックルする同期の姿は、力強かった。


 明日にはシリアを出発し、ヨルダンへ行く。

結局シリアには2週間近く滞在したことになる。

普通のバックパック旅行では体験できないことが体験できたし、

引退してから初めてといっていいほど、同期の大地と、

ラクロス以外のことについていろいろ話し合えた。

いろいろ刺激にもなった。


そして、なんといっても大地と再びラクロスができた。

大地の村の学校で、試合が開催された。


怪我をしないように準備運動


フェイスオフで試合開始。


攻める俺、押される大地。


シュート。


決まる。



勝利。

試合後の反省会。


球拾い。


ファンとの記念撮影。


シリアで初めてラクロスの試合が開催されました・・・

くだらなくてすみません・・・


ちなみに、誤解を招かないように補足すると、

ラクロスは10人対10人で行われ、選手は防具をつけます。


って、なんのブログだ、これ!?


くだらない話はやめて、、、

また明日から、一人旅が始まる。

シリアでは、大地に頼りっぱなしだったので、またここから引き締めていきます。


ヨルダンでは死海とぺトラ遺跡、エジプトではシナイ山とピラミッドが

俺を待っている。

この大地がいるキルギスという村は、実はゴラン高原にある。
ゴラン高原とは、
第3次中東戦争(1967年)で、イスラエルシリアへ侵攻し、占領した場所だ。
それに対する国際批判が高まり、イスラエルは領土を一部返し、
さらにそこに国連のUNDOFという機関が介入した。
UNDOFの目的は、簡単に書くと、イスラエルとシリアがまたドンパチしないように
監視しているということである。
自衛隊は、このUNDOFに派兵しているそれぞれの国の軍隊の後方援助(輸送、整備、技術援助・・・等)を行っている。
昨日は、シリア政府の許可を得て、
このゴラン高原へ見学に行った。
↑ 何個も国連管理のゲートを通過していく。
さらに、大地のコネで、ゴラン高原でPKO活動をしている自衛隊のTOPの
隊長と話す機会にも恵まれた。
隊長でっせ、隊長!!
↑ 左のベレー帽が白川隊長、右が前島3等陸佐。
彼らに、クネイトラという街を案内していただいた。
ここは、イスラエルが撤退時に破壊した街である。
病院やら学校やら片っ端から破壊してイスラエルは撤退した。
が、シリア政府がそれを誇張するために、一部を自作自演したという説もある。
真相は闇の中だが、イスラエルが破壊行動をしたことは事実である。
残された病院や学校は廃墟と化し、侵略と戦争の痛々しい面影を残していた。
さらに、イスラエルとの国境にも特別に連れて行ってもらった。
ここは、ものすごく緊迫した場所だった。
厳重な警備の向こう側には、イスラエルの国旗のダビデの星がなびいていた。
舗装された道路から踏み出すな と注意される。
地雷がそこらじゅうに埋めてあるらしいのだ。
(写真撮影も固く禁止されていた)
見学の後は、自衛隊の方が今度は大地の活動を見学したいということで、
大地の村へ移動した。
そこで、なんと、、、、
自衛隊の方の国連の車に乗せてもらった。
黒い文字で「UN」と書かれた白い車。
まさか自分がそれに乗る機会があるとは、、、。
隊長の車、まじすごい!
見たこともない機能がカスタムされていて、まじかっこよかったっす。
キルギスの村で、大地の活動の一部を見学した後、
彼らは、基地へと帰っていった。
自衛隊の方は、こんな辺境の地でも頑張っています。
国内では、イラク派兵同様、ゴラン高原駐屯もしばしば問題視されますが、
自衛隊の皆さんは、そんな狭間で、国際平和のために、
そして日本の国際協力のために、妻子を日本に残し、頑張っているのです。
シリアなど、多くの国で、親日派は多い。
俺は旅人として、何度もその親日派の人たちに助けていただいた。
他国にとって、一般的に日本・日本人の印象がいいのは、
海外青年協力隊や、地域によっては、自衛隊の人たちが、
あるいは、普段は脚光を浴びない大勢の人たちが、
現地の人のために頑張っていることを現地の人が知っているからではないでしょうか。
ゴラン高原で任務を遂行している自衛隊や、
現地の貧困層の救済や環境問題への取り組みを行っている大地も、
その大勢の人たちに含まれるのだろう。