比べる

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「お母さん、私はとても恵まれていると思う。」

高校生の下の娘が突然私につぶやく。

 

「今さら(笑)?どうしたん」

「自分は自分の環境が当たり前で、みんなも同じと思っていたけど

友達と色々話していたら、自分はとても恵まれている環境だと

実感したんや。みんな結構家族関係で大変そう。」

 

私は、娘たちに自分たちに有るものがない人もいるし

有るものが自分たちにないものもあると

教えてきたつもりでしたが、

友人から聞く話から、それを彼女はリアルに感じたのでしょう。

 

比べる 比較する

 

これは自分を知る、他を知る

一つの物差しくらいに思っておけばいいのでは

なぜって?

それは娘のように比べて初めて知り得ることもあるからです。

しかし、娘のまわりの友人が不幸かと言われたら、それは違いますよね。

これは彼女に起きた「気づき」なだけです。

 

脳は対比しないと認識できない

しかし、その認識が真実かと言われたら…

言葉で表現するなら

「すべてが真実で、すべてが真実でない」

となります。

 

この比べる、比較する

どんな時に、どんな風に使うかは自由なんです。

 

比べる必要がある時に比べる

例えば、結果を出したい時は相手と自分を比べるとヒントがあるかもしれません。

例えば、今の自分を変えたいと思う時、同じような状況で人がどう受け止めているか

それを比べてみたら、違いがわかるかもしれません。

 

比べる必要がない時は比べない

例えば、どうしたってどうしようもないのにそこを比べて自分を責めている時

だれかと比べる必要はありませんね。

例えば、自分の嫌なところばかり意識してしまって自分を肯定出来ない時

だれかと比べる必要はありませんね。

 

周りの人がいるから気づけること

周りの人がいるから知れること

居てくれてありがとう。

あなたが居てくたから気づけました。

でも、そんなあなたもだれかの気づきになっている。

あなたがそのままいるだけで、だれかに気づきを与えている。

 

だから、実は自分の外側は自分の内側で

自分の内側は自分の外側

 

自分を思いやることは、だれかを思いやることにつながり

だれかを思いやることは、自分を思いやることにつながる。

 

「私」と「私以外」の境界線は赤ん坊は持っていない。

「私」を脳が知るためにドンドン脳が引いていく境界線

でも、ある時その境界線は本当は無い境界線と気づく時がくる。

その時、「私」はもともと自由だったと気づくのかもしれない。

 

 



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