生まれてすぐの新生児を「純粋無垢」と言いますね。

新生児でなくても、子供たちをピュアと感じますよね。

なぜそれをそう感じると思います。

私たちが純粋無垢じゃないことを知ってしまったからですよね。

不純、汚れ、不浄を知ってしまったからですよね。

私たちはどうして、あの純粋無垢のまま生きれないのでしょうか?

どうして不純で汚れて、不浄となるのでしょうか?

自分も純粋無垢であれば、新生児や子供たちをピュアとは

思わないはずです。

 

純粋無垢と言えば、今日こんな投稿にFBでいいねを押しました。

外国のダウン症の子供を持つ父親が自分の胸中を語る動画をアップしていました。

ダウン症の説明を他の父親が息子に「何も知らなくなる病気」と

説明しているところに居合わせて、なにも言えずにいた自分を悔いて

自分のために自分の気持ちを語っています。

https://www.facebook.com/9post/videos/1359969917402143/

 

「何も知らなくなる病気」ではなく、「汚れることができない存在」だと思います。

純粋無垢のままでいる存在。

父親は息子に多くを教えられていると、本当にそうだと思います。

 

では汚れ、不純、不浄とは何でしょうか?

私はそれを2つに分類しています。

一つは、

「人間として人間の中で生きていくために教えられた概念」

それは、これまで多く書いてきましたが、ねばならない、こうあるべきなど

両親や、身近な人たちがあなたのためにと思い授けてくれた固定概念です。

汚れや、不純、不浄とは感じにくいですが、

新生児にそれを全くもっておらず、概念いっぱいの幼い子供がいたら

ピュアと感じるでしょうか?

 

もう一つが「欲」です。

 

人が自分以外の人の在り方を見て、よく怒ったり、怒ったり、ジャッジしているのが

この「欲」です。

だれかの欲を見て、感情を揺らしています。

赤ん坊がお腹がすいたと欲求のまま泣いても、

だれも不純や不浄ととりませんが、

大人たちの欲に対しては、汚さや不純を覚えます。

どうしてでしょうか?

 

私たちは実は自分のことをよく知っていると思います。

知っているから、汚れや不純、不浄から逃げようとしますし、

自分を知ろうとしたら、そこには欲が出てくるのを察知しています。

その瞬間、自分から目をそむけます。

そして心の中でこう言います。

「だって仕方ないじゃん、生きるために必要なんだから。」

だけど、他の人が持っているそれにはひどく反応します。

 

実は人間に「無欲」は存在しません。

命に対しての欲求がなければ、命の維持はできないから

 

ではどうして私たちは他の人の欲に反応するのでしょうか?

それは自分の欲を認めていないからです。

このことが、自分を知ろうすることへの最大の壁になります。

 

私は自分について知っておくべき

自分が持っている「欲」だと思います。

自分で自分の欲を知ることこそが、あの純粋無垢だった新生児

魂そのものだった時の自分に近づける近道とも思えるくらいです。

しかし、なぜかその欲を隠したがります。

 

人の欲に反応しながら、自分の欲は他人に見せたがらず

自分には欲はないと、そこにあるのに奥底にしまい込みます。

そうして、自分ではない自分を演じ続けることを選びます。

どんどん、自分を縛り付けていきます。

自分を知るどころか、違う自分になっていこうとします。

 

まず、自分が持っている欲を受け入れる

そしてどうしてその欲が必要なのか、その言い分を聞く

そこまでやって初めて知る自分がいます。

そうすると、もうそれを自分が自分に隠す必要がなくなります。

持っていないふりをする必要もなくなります。

 

自分の欲を受け入れるということは、勇気のいることだと思います。

けれど、自分の欲を受け入れた時でしか

わかり得ない体験があるのは確かです。

 

勇気ある方にはぜひおすすめいたします。

あの純粋無垢だった新生児、

魂そのものだった時の自分に近づけるプロセスを。

挑む人にはとことんお付き合いしますし、エールを送ります。

 

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