私たちはどうして願いを叶えたいのでしょう。

どうして思い通りに生きたいのでしょう。

どうして幸せになりたいのでしょう。

 

それは、今自分が

願ったとおりになっていない

思い通りに生きてない

幸せじゃない

と思うから発生する思いですよね。

 

そんな思いを発生させるのは地球上で人間だけです。

赤ん坊は、いつごろからこの

自分は願った通りになっていない、

思い通りに生きていない

幸せじゃない

という思いを抱き始めるのでしょうか?

明らかに、比較するという思考が働き出してからだと私は思います。

もし赤ん坊が動物に育てられるとこの思いは発生しないと思います。

動物は生きるために本能で相手を見極めるというだけ

比較するという発想はないし、動物はすべてを受け入れています。

 

そう考えると私たちが

願いをもったり、思い通りを望んだり、幸せになりたいと思う思いは

与えられたものに対して、他と比較することで不足感を感じることにより

発生する思いということになります。

 

今、私は自分の脳が願ったことでないことがやってきて体験しています。

しかし、それは体験を重ねるにつれて、もしかしたらこの体験は

私がどうやったって自分では気づかなかった自分の持つ資質を

引き出されているのではないかという現象が起きています。

もしも、自分の脳が求める願いや、思いや幸せを求めていては

到底出会えなかった自分という存在の資質に出会えるのではと感じています。

それは脳がつくる喜怒哀楽の感情を超えた、どう表現したらいいのでしょうか

「ああ~そういうことだったのか」を連続して体験している感覚です。

生かされ活かされている感覚。

ああ、脳にはわからないだろうな。


願わなくてよかった。

思い通りにしようとしなくてよかった。

幸せを求めなくてよかった。

ただただ、自分を知ること、自分の概念を見直すこと

それを繰り返しやっていることで、新たに与えられた感じ。

 

願いがかなってしまう恐怖

思い通りになる恐怖

幸せになる恐怖

 

それは脳の持つ欲求から発生する世界に閉じ込められる恐怖

そして叶ったら、思い通りになったら、幸せになったら

きっとこうなるだろうと脳が予測した世界に裏切られる恐怖、それに飽きる恐怖

 

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