自分と向き合うことって、どうして大切なんでしょうね。

「自分と向き合う」っというワードがしっくりこなくなりましたね。

言い方変えますね。

「自分を知る」「自分を理解する」

が、いい感じですね。

 

「自分をもっと愛する」

こんなワードもよく耳にしますよね。

「愛」ってなんでしょう?

「愛する」ってどういうことなんでしょう。

「愛する」はまず相手がいれば相手を知ろう、理解しようという

想いが始まりかなと思います。

そうしたら、自分を知ろうとする、理解しようとすることは愛することですよね。

 

さて、今回は

「人のことはよくわかるのに、自分のことがわかりにくいのか」

私たちは自分以外の人をどう見ている思いますか?

わかりやすく説明すると

 

「共感、共鳴、同調」など

同じような境遇だったり、体験、同じ考えをを持っている人に対しては、

このような反応がありますよね

 

「比較、競争、ジャッジ」みたいに

食い違いや、違和感、感情の大きな揺れでからその人に反応することもありますよね。

 

実はその時、どんなことに共鳴し、どんなことに違和感がおきているのか

その自分も観察すると、周りをみながら自分をみることができるのですが、

どちら側かに偏りすぎることが、自分のことがわからなくなってしまう

のでは私は思います。

 

人と自分との違いを感じて、自分を知ることができます。

人と自分との共通を感じて、自分を知ることもできます。

 

脳は自分と人との違いで不安になったり抵抗したりして、自分を否定したりします。逆に共通、共鳴で安心したり、自分を肯定できたりします。

でも、自分を知る、理解する、愛するということは、

両方、バランスよく知り、理解しようとすることではないかと思います。

それが自分を愛そうという姿勢ではないか思います。

 

人をその人全体ひとくくりで判断せず、

私はこの人のどういうところに、違和感や、違いを感じているのか

自分に聞いてみてください。

すると、おもしろいことに、人が変わっても同じことで反応していることに

気が付きます。

その人と思っていたことが、人ではなく要素だったと気づきます。

では、なぜその要素に反応しているのか

その言い分を自分に聞いてみてください。

驚くような答えが出てきますよ。

 

人のことがわかるのに自分のことがわかっていない

 

人も自分も脳の好みに偏らず、違いと共感をバランスよく

観察し、知ろう、理解しよう、愛そうとすれば

装ってしまっている自分に振り回されることが

減ってくるのではと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

AD