スーパー・ジャンキー・モンキー | 社長の履Rec書のブログ

スーパー・ジャンキー・モンキー

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★スーパー・ジャンキー・モンキー / ばかばっか★




閑話休題、第2弾であり、番外編第1弾。


今回は日本人の思い出バンド。




***




2006年10月、NYの老舗クラブCBGBが閉店した。


ラモーンズ、パティ・スミス、テレビジョン、トーキングヘッズ


ブロンディなどが巣立って行ったクラブ、


日本語英語で言えばいわゆるライブ・ハウス。


イギリスから来たセックスピストルズもやったとこ。


遂に力尽きたパンク・ロック発祥の聖地。


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私が初めてアメリカに行ったのは1977年。


7月13日のNY大停電にあったのもこの時で


一緒にいたのはこれも海外初めての渋谷陽一。


(テッド・ニュージェント取材もこの滞在中)


3週間滞在したNYでこのCBGBとBOTTOMLINEに通い


デビュー前か直後のSuicideとDevoとOrchestra Lunaを


見つけたのが一番印象に残っている。




***




で、それからずっと時が過ぎた1993年、


私は今でも大好きな日本の女の子4人組バンド


もしかしたらミクスチャーのハシリのバンド


「Super Junky Monkey」と、このCBGBにいた。




当時洋楽を離れ、国内新人発掘部門を担当していた私は、


そのオーディション優勝者に与えられた副賞としての


「CBGBで演奏できる権」立ち合いのために


スーパー・ジャンキー・モンキーといたのだ。




企画協力はCMJ(カレッジ・メディア・ジャーナル)で、


CMJでは毎年NYの数十ヵ所のライブハウスで行われる


インディーズバンドのイベント「CMJミュージックマラソン」を


主催しており(大阪FM802の「ミナミ・ホイール」みたいなもの)


そこに参加できるというものだった。




当然地元インディーズ・バンドに混じっての出演で、


前のバンドが終わってメンバーがセッティングを始めると


ちっこい東洋人の娘っ子を見た客がゾロゾロ帰り始めた。。




そこにKeikoのギター!(ビースティーボーイズより凄い)


まつだっっのドラム!(男だか女だかわからんパワー)


大音量に客が続々と戻ってきて最後は大盛況。


ほとんど満員になった客が踊りまくり暴れまくった!




ライブ後に、その日偶然来ていたキャピトルのA&Rから


是非うちと契約してくれと言われ


「CBSだからダメ」と断わり、


プロモーターからKISSのオープニングをやってくれと言われ


メンバーが「KISS!?だっせー!」と言ったので断わり、


このバンドの未来がバラ色に見えた瞬間だった。


「日本からロック・バンドをアメリカに送り込む」


この夢が実現するかと思えた。。




アメリカのCBS傘下インディーズ、トライスターで発売した


LPの評判も良く、アニメの主題歌にも起用され


再三のプロモーション渡米要望を受けたが


バンドの意思は「アメリカやだ。日本でやる」。


そしてメジャーデビューしてからの作品の混乱と混迷。




遂にバンドのカリスマ・ヴォーカル、むつみの突然の死・・・


1999年2月


スーパー・ジャンキー・モンキーは儚く消え去った。






この仕事を何10年もしてきて


何100というバンドに関わって


今でも断言できるのは、


私が日本人バンドで最も愛したのは


この「スーパー・ジャンキー・モンキー」だった。


初めて三軒茶屋の「ヘブンス・ドア」でライブを見て以来


ずっと変わらぬ情熱を注ぎ続けたのが


スーパー・ジャンキー・モンキーだった。




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左からまつだっっ、keiko、一人おいて、むつみ、しのぶ




「ばかばっか」を聞くとシンミリしてしまう・・。


でもしのぶのことなんか風の便りに聞くのでまだ救われる。


しかし、それにしてもこのバンドの評価は低すぎる。