家康公めぐり【浅間神社】
皆さま、こんにちばん和!!
和心を詠って伝える伝道師(アーティスト)仁王です! (^o^)人(^_^)
今ある私達の平穏な暮らしが、過去に散っていった、
数多くの犠牲の上に成り立っているということを常に忘れず、
その時代を全力で生き抜いた方々に、尊敬と感謝をこめて
手を合わせながら、仁王が巡る歴史ゆかりの地。
ただいま、徳川家康公を巡っています!(`・ω・´)
前回は駿府城(すんぷじょう)でした。
今回は駿府城の近くにあります、
静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)にやってきました。
神部神社・浅間神社・大歳御祖神社の三社を総称して
『静岡浅間神社』とされています。
ここ浅間神社で元服され、今川義元の「元」の字をもらって、
松平次郎三郎元信(まつだいら じろうさぶろうもとのぶ)と改めます。
その後、天正10年(1582年)、
三河・遠江を制した家康公は、武田氏との戦いの際、
武田氏を無事攻略出来たら立派な社殿を再建するという約束のもと、
社殿を焼き払いました。
戦いが終わると、約束通り立派な社殿を建造されたといいます。
家康公の念持仏である摩利支天像を安置するために造営されたものだそうです。
静岡民謡『ちゃっきり節』に唄われているという神馬。
1頭だけ戻って来たという伝説があるそうです。帰巣本能??
境内の建物はどれも荘厳で、
日光東照宮にも負けず劣らずです。
現在の建物は、江戸時代に60年もかけて作られたものなのだそうです!
しかも社殿はすべて漆塗りなのだとか・・・(゚д゚)
そうじゃない人でも圧倒されること間違いナシ!(`・ω・´)
パワースポットでもあるそうですよ。
静岡浅間神社、とってもオススメです♪
是非、駿府城とあわせて、巡ってみてくださいね☆
さて、次回の家康公めぐりは浜松城(はままつじょう)です♪
★「仁王」 Official Web Site :【仁王軍本陣@仁王幕府】
(http://nioh.bakufu.org/)
※仁王の詳しいプロフィール、芸歴、結成秘話、出演情報など
★「仁王」公式twitter(@niooooo000h )
※仁王の最新情報を逸早くお届け!
「仁王」ブログ総合TOPへ
和心を詠って伝える伝道師(アーティスト)仁王です! (^o^)人(^_^)
今ある私達の平穏な暮らしが、過去に散っていった、
数多くの犠牲の上に成り立っているということを常に忘れず、
その時代を全力で生き抜いた方々に、尊敬と感謝をこめて
手を合わせながら、仁王が巡る歴史ゆかりの地。
ただいま、徳川家康公を巡っています!(`・ω・´)
前回は駿府城(すんぷじょう)でした。
今回は駿府城の近くにあります、
静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)にやってきました。
ここ静岡浅間神社は、家康公が元服された由緒ある神社さん。
地元では「おせんげんさん」の名で親しまれています。
神部神社・浅間神社・大歳御祖神社の三社を総称して
『静岡浅間神社』とされています。
ここ浅間神社で元服され、今川義元の「元」の字をもらって、
松平次郎三郎元信(まつだいら じろうさぶろうもとのぶ)と改めます。
その後、天正10年(1582年)、
三河・遠江を制した家康公は、武田氏との戦いの際、
武田氏を無事攻略出来たら立派な社殿を再建するという約束のもと、
社殿を焼き払いました。
戦いが終わると、約束通り立派な社殿を建造されたといいます。
家康公の念持仏である摩利支天像を安置するために造営されたものだそうです。
静岡民謡『ちゃっきり節』に唄われているという神馬。
1頭だけ戻って来たという伝説があるそうです。帰巣本能??
境内の建物はどれも荘厳で、
日光東照宮にも負けず劣らずです。
現在の建物は、江戸時代に60年もかけて作られたものなのだそうです!
しかも社殿はすべて漆塗りなのだとか・・・(゚д゚)
そうじゃない人でも圧倒されること間違いナシ!(`・ω・´)
パワースポットでもあるそうですよ。
静岡浅間神社、とってもオススメです♪
是非、駿府城とあわせて、巡ってみてくださいね☆
さて、次回の家康公めぐりは浜松城(はままつじょう)です♪
★「仁王」 Official Web Site :【仁王軍本陣@仁王幕府】
(http://nioh.bakufu.org/)
※仁王の詳しいプロフィール、芸歴、結成秘話、出演情報など
★「仁王」公式twitter(@niooooo000h )
※仁王の最新情報を逸早くお届け!
★「仁王」のCD情報一覧
「仁王」ブログ総合TOPへ