「運命」と言う言葉は、良くも悪くも、

「自分の意思ではどうする事も出来ない巡り合わせ」と言う意味で使われます。



何度やっても、どれだけ努力しても、限界を感じてしまったり、壁を乗り越えられない時。


生まれた場所で、育った環境で、選択肢を断たれてしまった時。




それが、「運命」だから、仕方ないと。




今回の楽曲は、そういったネガティブな側面の運命をテーマにしています。




結論から言えば、

「運命は自分の手で変えられる」

僕はそう思っています。


変えることの出来る運命など、本来の「運命」の意味と矛盾するではないか。


恐らく皆さんそう思ったと思いますが、もちろんその通りです。


しかし、僕が此処で言っている運命とは、皆さんの心の中にある、皆さんが認識する運命なんです。


変な宗教ではありません。笑



つまり言葉そのものの意味合いを持つ、神様的な何かが定めた「運命」では無く、皆さんがそれを運命だと思うことによって初めて存在する運命。


絶対的「運命」なんて存在するかどうかも分かりませんが、皆さんが運命と認識するモノは確かに存在します。


皆さんがそれを運命と認識するから。


全てのモノは第三者からの認識の上に成り立っているからこそ、逆に形のないモノでも、認識される限り存在し得ると思います。


骨すら残ってない故人や、幽霊、神様など。


それはカタチは無くても、確かに存在しています。


この文字の羅列を見て、貴方がソレがどう言ったモノかを認識できる限り。

貴方の頭の中に何らかのイメージが浮かぶ限り。


つまり、運命も、です。


幾つか例をあげます。



[問1]

A.山へ柴刈りに行って小枝を拾ったお爺さん

B.川へ洗濯に行って桃太郎の入った桃を拾ったお婆さん


運命はどちらでしょう?

続けます。



[問2]

A.テストで赤点を取ってしまった太郎くん

B.自動車事故で亡くなった次郎くん


同じく運命はどちらでしょう?




ほぼ全員がBと答えると思います。


何故なら、【事の重大性】と【不可避性】が運命というモノを構成する要素だと皆さんは認識しているからです。


凄く重大な事で、避けようの無い事。

それが「運命」だと。



しかし、同時にこうも思うんです。




運命は結果だと。




そしてその結果は、貴方の見ている世界が終わりを迎えるまで、ただの過程だと。


だからこそ、貴方の運命は未だ、途中経過の筈なんです。






「もう終わりだ。」


そう思った事がありました。


出来る限りの事をしたはずなのに、なんでこうなってしまったんだろう。

どこで間違えてしまったんだろう。

死にたくなるような気持ちを抱えたまま過ごした時間が、絶望的な未来しか見えない時間が、自分に受け入れさせてしまうんです。


「もう諦めれば良い」と。


何度もそうしようと思いました。

諦めてしまえば良いと。


そういう「運命」なんだと。


諦めずに頑張れば夢は叶う、なんて、もう誰も信じては居ない。


現実を突きつける常識が、数字が、情報が溢れているこの社会では。


信じたいのに、周りがそうさせてくれないから。








其処で諦めていれば、それは一つの運命として幕を閉じたのかもしれません。


しかし、何かのきっかけで、また諦めてしまった道を歩く事になるかもしれません。


諦めない事で、乗り越えたかもしれません。





その時、どんな選択をしてもいいんです。


諦めたって、逃げたって、良いんです。


だって未だ、その運命は途中経過だから。


その運命の結果は、誰にも分からないから。





絶対的な「運命」なんて存在しない。


そう信じている限り


運命は、貴方のモノです。




刹那FAKE / Gt.石原翔太

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