直前の記事で取り上げた文藝春秋11月号をさっそく購入して読みました。


私は一専門家として反論するために買わなくてはいけないのですが、皆さんは極力買わないようにしてください。


と言うのは、近藤さんの記事のおかげで売上が伸びると出版社が評価し、また原稿を頼むことになるからです。


不買が最高の対処策です。


文藝春秋はしばしば患者さんの枕元やテーブルにもあります。


たくさんの人が読むものに、こんな誤った内容のものを載せて良いのかと驚きますが、ざっと見ていきましょう。


ただ何か新事実や、すごいことが書いてあるわけではないので、皆さんは購入して読む必要はありません。


ツイッターで普段から精力的に近藤さんのことについて情報を発信してくださっている祭谷一斗さんのまとめも参考になりますので、下記をご覧になると良いでしょう。


祭谷一斗さんのまとめ前編

祭谷一斗さんのまとめ後編



近藤さんは「法律上、亡くなった方は医師の守秘義務の対象ではなくなります」と同号の文章で述べています。医師の守秘義務に関しては刑法第134条1項において、診療等の業務上知った人の秘密を漏らすことが禁じられていますが、「刑法上」の「人」には死亡した患者は含まれないとのことです。しかし刑法134条に触れた判例でも「本人が死亡した場合であっても、(略)なおプライバシー保護の対象となり得る」と記されていること(luckdragon2009さんのページ。中ほどの「判例 公文書非開示決定取消請求控訴事件 | 名古屋高等裁判所 | インターネット判例」が判例へのリンクです)や、東京女子医大が秘密漏示罪(刑法134条)で刑事告発された事件でも告訴事実として(亡くなった子の)診療経過や疾患の内容などの情報を医師がマスコミに漏らしたことが含まれている(と報じられている)ことなどから、今回の事例も、全ての法律上潔白であるとは言えないグレーな領域だと思います。


「法律上、亡くなった方は医師の守秘義務の対象ではなくなります」という表現においては、全ての法律においてそうなのだと読めますが、法律は刑法だけではないため、「守秘義務がなくなります」→そのため話して良い、と以降の文で診療内容を公開という今回の一連の行為が(全ての)法律上問題がないとは言えないでしょう。<参考→弁護士の中島章智先生のコメント。”民事上は問題になり得る”>(10/14加筆修正。上2段)


一般的には守秘義務は患者さんの亡くなった後も継続すると考えられており、例えば世界医師会のリスボン宣言という患者さんの権利を示したものにも、このようにあります(拡大して見て頂ければ幸いです)。





ご本人、すなわち川島さんの同意を得ていたとは思えず、少なくとも倫理的には大変問題があると考えます。


インターネット上で指摘している方もいましたが、有名人の皆さんは近藤さんのセカンドオピニオンに行かれると、言ってもいないことを言ったように書かれかねない(※)ので気をつけてください。


※のように書いたのは理由があって、その片鱗が今回の記事にも表れているからです。


それでは見ていきます。なお専門的知識がなくても、話の筋が通らないので、皆さんでもおかしさはすぐに理解できます。



近藤さんは後段で「胆管がんは膵臓がんなどと並び予後のきわめて悪いがんです」(p191)と自ら語っています。しかし……



”このまま放っておいても一年で死ぬことはありません。一年以内に死ぬとしたら手術や抗がん剤治療を受けた場合だけです”(p190)


・・・根拠は? と首をかしげざるを得ません。1年以内に死亡するのは手術や抗がん剤治療を受けた場合「だけ」というのが、妙な意見です(なお後述しますが、川島さんは手術後1年半以上生きられました)。


がんは多様性があり、中には極めて進行が速いがんも存在し、発見から1年以内に原病で亡くなってしまうこともあります。予後のきわめて悪い、と自分で言っているのに、なぜこの場合は1年で亡くなることはないと断言できるのでしょうか?



次です。



川島さんは「切除手術も抗がん剤治療も受けたくない」とおっしゃる(p192)とあります。


しかし……



「手術をしてしまおうかとも思いましたが」(p191)、年内のハードな仕事を優先させ、それが終わったら「切るなり焼くなり」(同)と話しています。


「切るなり」と書いているので、手術も念頭にあったことは明白です。


その言葉を「切除手術以外の治療法はないか、必死で模索していたようです」とあり、手術”以外”と解釈し、読者を誘導しています。


あるいは川島さんが仰っている意味を自己流に解釈してしまうのが、近藤さんの認識と言えるかもしれません。


川島さんは手術も考えておられたことが普通に文章を読めば理解できます。しかしそれを”「切除手術も抗がん剤治療も受けたくない」とおっしゃっ”ていた(p192)と書かれてしまう。


要するに、※で記したように、言ってもいないこと、考えてもいない意図を勝手に「故人の意思」として紹介されてしまう危険が、このセカンドオピニオンにはあります。


次は191ページです。



まず「ステージは末期のⅣ」(p191)と、ステージⅣを末期と呼称する医学の基本知識の間違い。


さらに、川島さんは「転移はありませんでした」(p191)と書いたのちに、”いずれ”転移巣が出てくる可能性が高いのでそうすると「ステージⅣは末期」だから、という論旨です。


皆さんおわかりのように、ステージⅣではない方を、しかも転移がない方を、勝手に「ステージⅣになってしまいそうだから」と判断して、その結論を導くのです。


同ページのこれに続く文章もすごいです。


「切除手術を受けた場合、何もしなければ少なくとも一年は元気に生きられたはずの人が、合併症も含めてバタバタと亡くなっていくことになります」(p191)


何もしなければ少なくとも一年は元気に生きる、というのが根拠が怪しいことを先述しました。


それが切除手術を受けた場合は、一年は生きられたはずの人がバタバタと亡くなるのだそうです。


川島なお美さんは2014年1月に手術を受けられたと報じられていますが、今年の9月まで生きられました。1年半以上頑張られました。


どうも根拠が怪しいと皆さんも思いませんか?



そして私が個人的に許容しがたいと思ったのは、最後に取り上げるこの文章です。


「切除手術を受けなければ、余命がさらに延びた可能性は高く、あれほど痩せることもなかった」とあります。


人は誰でも終末期には悪液質になり得ます。


悪液質になれば、川島さんのように痩せてしまいます。これはがんからが主因です。


それを手術と結びつけることは、何の根拠もないことです。


ご本人の手術をするという決断のために痩せたと、避け得ぬ悪液質で痩せたのにレッテル貼りをし、本人のせいにすることは、怒りを禁じえません。


許容できないことは他にもあります。それが今回、いつもよりも強い表現でこの文藝春秋の記事に対応している理由です。


それは、痩せたのはがんが進行したからであって、もし近藤さんが放っておいて良いなどと適当なことを言わなければ、まっとうなことを勧めていれば、もしかしたら早い段階で手術を受けて完治することができ、従って痩せて亡くなることもなかったのではないかと思うことからの憤りなのです。


そして川島さんは「お一人で来られました」(p189)とあるように鎧塚さんはこの経緯を知らないのです。


最愛の奥様が亡くなって今が大変なお気持ちであろうと察せられるところに、「切除手術をしなければ痩せなかっただろう」などと文藝春秋上で述べることと、それを掲載する媒体への憤りなのです。


本当に、亡き川島さんやご主人のお気持ちが察せられます。


人としての正しさが、各所で少しでも回復されることを強く願います。