今も聞こゆ
わたつみの叫び
「まえがき」
太平洋戦争中、病院船ぶえのすあいれす丸が南太平洋上において米軍の攻撃を受け、多くの傷病兵を乗せたまゝ赤道直下の海底深く沈没した史実は世に殆んど知られていないが、このとき奇しくも傷病兵としてこの船に乗り合わせ、七昼夜余りの間漂流の末友軍の輸送船に救助され奇跡の生還をした一人として当時の模様を記めた。
戦争状態にあっても、彼我共に病院船への攻撃は国際法上で禁じられているが、戦争がエスカレートしてくると如何なる法秩序も、道徳も、人としての常識良識はもとより事の善悪すら見失って、総てこれ一切空となる人間のはかなさを身を以って知らされた。
「ほしがりません勝つまでは」を合い言葉に聖戦の名のもと、窮乏に耐え、神風を信じ、国を挙げて努力を重ねたあれは一体何だったのか。私が戦争を悪と悟ったのは、この無防備無抵抗の病院船までも打ち沈める悲劇に出合ったからだ。船と運命を共にした傷ついた多くの兵士たちは、二度と日の目を見ることなく、六十年余の今も海底の闇に眠ったまゝだ。何とも無念の極みと云う外ない。
思えば私たちが中学生の頃、当時の軍人勅諭なるものを学んだが、その文中の一節に「義は山獄よりも重く、死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ」と。また、「上官の命は、これ直ちに朕が命と承れ」とあった。消耗品に等しかった人命の軽視こそ讃美し、上級者の言は理由の如何を問わず絶対服従の義務を解いたもので、これは当時国是として誰もが否定し得なかった。今にして思えば今昔の感一入という外ない。それにつけても、平和に徹するためには政治というものゝ重たさを痛感させられる。人と人とが殺し合う野蛮な戦争は、次世代を生きる人たちに二度とこの様な惨禍を味わって欲しくないし、当時の惨状を思い出したくもない。また語りたくもないのが本音のところ。それは当時一億玉砕の旗印のもと己も戦争に追随した一員でもあったからだ。あのときすでにフカの餌食になっていたであろうわが身が、戦後六十年余の今を生きていることの数奇な運命を思うと、み霊にはすまなくてつい寡黙にならざるを得ないのだ。あのとき船と共に海底に沈んだ多くの重傷患者を思うと、この病院船を攻撃した一部米軍の非行に対しては私の命ある限り非難の感情を消し去ることはできない。
武器を持たない無抵抗の傷病兵を殺りくすることこそ虐殺行為ではないだろうか。実に戦争とは人類にとって悪以外の何ものでもないこと。そして何よりも平和の尊さを次代を生きる人々に思考して頂くよすがともなれば望外の幸と思う。
(2に続く)